ようやっと、少しの余裕が出てきた。

やるべき事が減ったという訳では無い。

お金が貯まったという訳でも無い。

気の持ちよう、捉え方のお話。


日常生活の中で煩わしい事や鬱陶しい事は幾らでもあって、それを仕方の無い事だと諦めたり問題を放り出したりする事が大人になる事だなんて、私は信じない。

違う違う。そんな話じゃないし、それが大人って訳でも無いだろう。

まぁそんな様な話は後回し。

私は、自分の事を気分屋だと明言しているが良くも悪くも気分屋なのだよ。

確かに、気分屋と言えば「調子の良い時だけ良い人」みたいな印象を受けるかもしれない。

だが、そうでは無い。

気分の悪い時は無なのであって、人に対して悪い振る舞いを敢えてする訳では無い。

逆もまた然り。

と言うより、人に対しては善良な振る舞いを誰しも常に心掛けているでしょ?

それで気分が良ければより良くできる、悪ければ良い感じに出来にくいくらいの話。

私なんかは分かりやすく行動に出てしまっている様だが。


気分ってのはこれまた厄介な物で、平均すると悪い寄り。どうしてもグラデーションだからね。

目が覚めたら、ひと仕事終えたら、夜になったら、そんな些細な瞬間に気分が良くなって。

コミュニケーションにて簡単にまた悪くなる。

やる気も似た様な物で、他者の言葉ひとつでネガティブな方向に向いてしまう。

そんなストレスも、捉え方ひとつで大きくも小さくも見える。

そんなストレスによって余裕が奪われる。

だからこそ、他者によってネガティブに引き込まれない様な自分を持たなくてはならない。

厳かかもしれないけれど、そのくらいしっかりと持っていないとすぐに見失い、ネガティブに飲まれてしまう。

常に変わらないものを持ち続けるのとも違う。

人はひとりで生きるのだって不可能では無いけれど、大抵助け合って生きているのだから、周囲の変化に柔軟に対応できなくてはならない。

なんとなく自分はこうしたい、こう在りたい。

この人に合わせるとそれが出来ない、上手く噛み合わない。

ならそれは自分に取り入れたいのか、その人と共に生きたいのか。

共に生きたいのならば如何様に変化するのか、思考は何方にせよ行動する必要はあるだろう。

要らないとするのも否定はしない。

けれど、何でもかんでも不要とするのは思考停止なんじゃないか?

本当に自分に必要か不要か、真に問うたのだろうか。


なんか変なテンションになってね?

そんな営みを只管にしていて、多少の余裕が出来たのよ。

どうしたものか、どうするべきか。

悩み続けている己を肯定したいだけの投稿かも知れないね。