そんな事より聞いてくれよ!

いやどんな事だよって。

20kgくらいの機械を掴んで持ち上げると、どうやら肩の筋肉を使っているらしいんだよね。

この前は1階降りては作業して、で10階くらい降りたんだけどさ。

昨日は14階くらいだったかな?

でも今日、筋肉痛ほとんど無かったんだよ!

お姫様抱っこするみたいに持てる事に気がついたからなのか、良い感じに肩以外の筋肉も使えていたのか、多少耐えられる筋力が備わったのか。

なんでもいいけど成長やろぉ。

いい事気がつけて良かった。


さておき、七月も終わったね。

もう一ヶ月もしたら涼しくもなってくるだろう。

暑かったなぁなんてのもまた忘れて、間も無くすっかり忘れていた寒さがやって来る。

去年、一昨年より夏がしんどい。

夏が好きか冬が好きか、なんて冬好きの方が多いのでは無かろうか。

夏の暑さはどうしようも無いが、冬の寒さはある程度何とかなる。

個人的にはそれなりの対処をした後に冬の寒さの方がしんどいと思っているのだが、そんなしんどさの比較では無く付加価値の総量によって好き嫌いってのは決まるものだろう?

ファッションに興味があるだとか、イベントが好きだとか、人肌恋しくなる季節だもんな。

人との距離がより近くなる、人と物理的に寄り添える事は精神的にも近しく感じられる。

それらが重要な人々が多い故の冬好きの多さなのでは無いかと。

軽いねぇ〜。


なんだか、今日はほんの少しのやる気。

そして、只管に浅い。

ゲームでそこに扉があるのに開けられない様に、深みへの扉はもうすっかり開かない様相をしている。

今日の私にはこれなんだろう。

宿命論者である強み、その一。

なる様にしかならない。

「こうしたい」という欲求も、それを叶えられないジェラシーも、今日という日はそう在るべくしてそう在る迄。

微塵も諦めなんかじゃない。

牛歩なだけ。

私は世界で数少ない宿命論者で在れていると思う。

それを自称するか否かでも変わってくるだろう。

所謂「𓏸𓏸論者」なんてのはその𓏸𓏸論を唱える人でなければならない。

宿命論的思考回路だとしても、それを声高に唱えなければ宿命論者では無いだろう。

そこに邪な気持ちがあってもならない。


やれビジネスやら人心掌握やら、悪意は必要悪だなんて言われる事も屡あるけれど。

日本ってすっごくまどろっこしい。

思った事を素直に話して何が悪いよ。

それを悪意だと捉えるのが余っ程悪い事だろう。

相手への思い遣りだ、人々は助け合いだ?

そんなん言ってるヤツらがどれだけ相手を思い遣っているよ、人々を助けているんだよ。

いや?

全然、怒ってないけどさ。

そんな所で競っても仕方無い。

そんな競争は浅い。

もっと言えば低レベル、稚拙。

真にそう思うのであれば争う暇なんて無いだろう、やれる人間は行動するんだよ。

行動した人間は分かるんだよ、そんな争いに価値が無いって。

救えない人間は救えない。

自然界なら余りにも沢山の命が今日も失われているだろうよ。

それに比べて人間は生き過ぎているは言い過ぎか。

人だからって悲しむヤツもおるやん、等しく命でも人間はそれぞれに価値を見出すやん。


世界は残酷だろうよ。

生きている、悪く無いだけで素晴らしい。

それなのに自分の価値に拘ってさ。

結局、自分が可愛いよね。

わかるぅ〜。

八月も頑張ろうな!