ところで、今朝はバカにされる夢を見た。
私は本当にバカにされるのが嫌いでね。
プライドが高いのやら。
うだうだ言ってやらぁ。
バカにする人間は少なくとも相手を下に見ている訳で、下に見られる事は一向に構わないんだよ。
確かに劣っている自覚はあるからね。
ただ、その劣っている部分だけを見て、達観しているツラしてんじゃねぇよ。
てめぇの視野の狭さ故のツラだろ?
そのツラ構えになってしまうとそれを変えられなくなってしまうんだよ。
一貫してそのツラしてんじゃねぇよ。
確かな所もある、けど私の思う所もある。
ただの言い訳な時もある、それはその場合においてのコメディだと思ってしている事もある。
言い訳もせずに「はいはい、私が悪かったです」以外にどう返せばいいんさ。
じゃあ言い訳してた方がおもろいだろ。
クソつまらんからな。
そのツラ引き剥がしてやりてぇよな、物理的に。
幼少期の私は所謂「いじられキャラ」でさ。
いじられるのは構わなかった。
私がいじられていて救われる人も居たかも知れん。
なんか、いじめられてるんならかっこいいけどいじられてるレベルだと急にシャバくなるな。
おもろい。
いじめられてる人はもっと自分を誇っていいよ。
その小さなコミュニティにおいて、自分がいじめられる事によって誰かがいじめられる可能性を潰している。
それ即ち、人助けをしているのだから。
そりゃ辛いだろうけれど、そこまで堕ちているのならやりたい放題でしょう。
あくまで常識の範疇が良いとは思うけれどね。
若いうちの時間って本当にしんどい、周りが助けてくれないのなら耐えるしかない様に見える。
耐えられないのなら死ぬしかない様に見える。
それを理解するべきは大人なのに、大人とは名ばかりで、わがままで手身近な快楽に溺れて力を振りかざして。
さておき、世界なんてそんな小さな努力の積み重ねの上に成り立っている。
バタフライエフェクトってあるやん。
希望的観測で生きて、いつかは実現する真っ当さを以て。
本当に些細な力でも、やるしか無い。
シャバい奴らには理解出来ないんだから、理解出来たのならひとつ、優れているのだろうよ。
あ、そんでね。
「あいつにいじられるのはいいけど、お前はなんなん」みたいなのもやっぱりあるやん。
社会に出てからそういう類と相対する事、少なからずあるとは思うのだけれど。
学校というコミュニティにおいては、相性が悪かろうと数年は時を共にしなければならない。
そこに居て、居ない様なものだけれど、たまに交わる事もあってさ、そんな事を思ってさ。
ただ、数年したらそれは無くなるかもしれない。
ただ、また続くかもしれない可能性、そんなタイミングにおいて「お前、まだそんな事やってんの。大人になれよ。」が有用だよね。
ガキのうちなんか「面白い」としか思ってない、しか自覚していないんだろうから。
子供の大人に対する憧れって結構、利用価値がある様に思える。さておき。
だろうから、そんなツラをしていたとて戯れてやる必要なんて無い。
そんなんよりも面白い戯れはいくらでもある。
そんなに「面白い」に敏感なら怒りには敏感では無いかもしれないからな、無視しとけばつまんなって飽きるだろう。
非行に走る輩はなかなかに救えない気がするよ。
もう、これは、ポアするしかないなぁ。
笑ってる間に寝首を搔いてやりたい。
寝首を搔くのは親の役目、なんて強い事言わないけれども。
親なら子供を真っ当に成長させる責任があるだろうに、無理して間違えてなんとかなるって?
現代少子化云々って賢い人が増えただけだろう。
それに社会が徐々についてくるでしょ。
昭和の価値観に「助け合い」みたいな、商店街みたいな空気感が色濃くある様に感じているけれど、それが成り立たない平成になって。
自立が求められている様にも感じられる。
「助け合い」と言うより「利用し合い」の価値観を抱く人々も居るよね。
それがコミュニティなら許される。
もはや理想まである、なんて思える。
現代においてどう生きるべきか、多様性の世の中において「人それぞれ」という自由を悪用する人々が力を持っては成らないと、だけは確かに思える。
絶対的にプラスに、より良い方へ向かう苦しみからは逃げてはいけない。
そんなに頑張らなくたっていい、できる人間ができる範疇で、だよね。
ちゃんと私は現代らしく在れていると思いたい。
こんな処にしておこうか。