独り言配信、みたいな構想が浮かんでさ。

配信していたらそれは独り言では無くなるよな、なんて思いまして。

そこに配信しているという事実があればそれは独り言では無く不特定多数へ向けられてしまう言であり、文系による感情論は一部に理解されなくともそれはそれとして一コンテンツとして成り下がるのか。

そもそもそんなコンテンツが流行るものか。

不特定多数へ向けられていようがいまいが独り言には変わりないか。

言葉っていくつかの力を有しているが故に、捉え方によってジレンマなんて呼ばれているよな。


ところで、自由意志なんて存在しない、という動画を拝見しまして。

曰く、人間が行動する時には「意思→脳波→行動」では無く「脳波→意思→行動」らしい。

これ、へーって思いますよねー。

人間の行動に理由なんて存在せず、行動してしまった結果としてその理由を後付けしているに過ぎないという。

なんとなくしっくり来た。

何かを始める時は大抵、何も考えていない。

行動するにはバカにならないと難しい、なんて言うじゃない。

それと兎に角、言い訳が上手すぎるよな。


だから、考え過ぎたって仕方が無い。

それは否定のしようが無い。

でも考えてしまうのなら、無理に否定しなくてもいいだろう。

ネガティブに考えるのは保険にしかならないから程々に、暇潰し程度に思考を愉しめばよろしいかと。

私の思考はそのつもり。

人生だとかコミュニケーションだとか哲学だとか、好きな事について自分なりに考えてみたらいい。

あと精神疾患だとか、車の運転だとかね。

あんま言っても人生とか言う一括りに出来てしまうけれど。

今一度、認めておこうか。

人に害を成さず、万人に愛を持った接し方を思考し行動する。

その為に己をひたむきに愛する。

己の在り方なんぞ己にしか分からん。

己にだって分かるもんでも無いのかも知らん。

幸せだって勘違いさ。

だって脳波が先なら良さげに感じたのを「幸せだ」と発しているに過ぎないのでは無いか?

この実験を言葉でやってみて欲しいものだよね。

現代ならもうやっているのかも知れないね。

今は調べる気力が無い、のならばその時では無い迄。

ちょい短めでも今日はこんな処でな。