たばこに付き纏って避けようの無い健康被害や周囲への配慮、精神的な被害。
本日はその中から「ニコチン」について。
中枢神経にはニコチン性アセチルコリン受容体なるものが存在するらしく、ニコチンと結合すると報酬系の神経回路に作用して快楽となるらしい。
おらァ馬鹿だからわかんねぇけどよォ…ニコチンと結合して気持ち良くなる物を持ってるって事はニコチンってもはや人間に必要なんじゃねぇか?
冗談はさておき。
「ニコチン依存症」なんてバカにする莫迦が居るから喫煙者は気になるよな。
人間の構造上、強い快楽によって快楽を感じにくくなる故にニコチンの依存性が高いって言われているだけであって。
ニコチンが無いと生きていけない訳では無いが、単にニコチンの作用だけの話で依存している訳では無いと思うな。
暇でやることが無いからとりあえずたばこを吸う、大抵の人間は大した志も無く喫煙をする時間を否定できないから吸っているように思える。
日本人なら同調圧力に弱いし、それで吸い始めた手前辞めるという決断力も持ち合わせていない。
無意識に決断はできるが、意識的に決断する事ができない故に吸っているのが大半だろう。
情報に餓えている者ならば、禁煙なんて容易いだろう。
彼らは理解できないものを受け入れられないから恒常性によって喫煙を選択しているのだよ。
本気で禁煙させたいのであれば本人に要らないと思わせなければならないし、ハリボテの愛なんて笑止千万。
相手を理解してたばこを理解して伝え方を理解しなければ、それは愛では無い。
愛し合える人間になるべきだと私は思うのだが、事日本においては世の中はあまりにも愛が無さ過ぎる。
愛せる、愛される自分を自分のペースで目指す。
そう成れたと慢心せずに目指し続ける。
現代に必要なのは愛だろう。
エーリッヒフロムの「愛するということ」を読んでわかった気になるな。
それを体現してこその愛だ。
上手くいかなくて当然で、できた気になるな。
悩み続けろ。
これは戒め。