ネットを見漁ればADHDともASDともLDとも思えてくる。
それらも度合いの話だろうて、私はなんでもやってみれば申し分無くこなせてしまう。
これまでに何度突出している人を羨ましく思った事か。
それらだって一朝一夕に成り立つものではなく、見えない所で多くの時間をかけているものが大半であろう。
裏を返せば、私はなんでもできると思い込んではなんにもしない人間に成り下がっているのだろう。
だからといって卑屈になったり、不平や不満を嘆いたところで生きてはいけない。
社会不適合者として生を全うする他ない。
なんて吐露したかった訳では無い。

障害者と関われる自分で無いのなら距離を置くべき、なんていろんな言い換えがされているとは思うがこれが適切だと思われる。
これは差別では無い、蔑んではいない。
私の根底にはずっと、心に引っかかっているものを外していきたい、があるのかもしれないな。
厳密には違うけれど、私はいち障害者としてあなたが関われるのならお願いしたいと思う。
そこに私なりの好き嫌いだってあるが、わざわざそのフィルターを拵えている。
ありのままで生きられるほど強くない、というのも少し違う気はする。
歩きながら考えていれば右往左往して、時に立ち止まって考えるからこうなっている。

障害者に問題を押し付ける様な表現は心底気に食わない。
貴様の自己管理能力の欠如だと認めればいいだろう。
責任なんてのは誰にだって押し付けられる。
だからこそ、強い言葉にも多々、違和感を覚える。真っ当な前提を以て、一人でも納得いかないのなら万人で見直す世界を望んでいる。

改行を見れば、私が前述の通りだとお分かりいただけるであろう。これを以てして生きているんだ、利用したいなんて希望的観測。
初めはちょいと長いけれど、今までのおさらいだね。それぞれで何かを取り上げ、ちょっと広げてみては自分に落とし込む。
そこに感情があり、論理があり、私らしさがある。
これを繰り返して少しずつ潜っている。その場その場で5cmずつ深くしていく。誰しも急に1m潜れる勇気は無い、誤差のようで学びは大差。誰かや自分の無意識によって潜ってしまうのも、気が付ければ大事には至らん。
己を知らずして無理をするなよ。
ちょっとくらい牛歩で構わねぇだろう。
ところでアメブロの文字数制限っていつなんだ?