飲まないとやってられないぜ。


前の記事のつづきです。


・何が起きたか
なぜ、彼がそれをしたか
探っても分析しても意味はない。

わたしにはどうにもできないから。
誰かを理解することって
その人と関わりを持たないかぎり
勝手な想像に過ぎない。
分析しても意味はない。



・わたしはどうするべきだったか
も、いらない。
過去は変えられないから。

その思考に入ると反省や自分責めに
辿り着くのでメリットはない。

罪悪感や自分を責めるのは
何もいいことがないので
随分前にやめました。

 

・対策を考えても、次を考えるのも
意味がない。
未来もコントロールできない。

(もう傷付きたくないから、次を
気をつけようとする人がいるけど
必要だからトラブルは起きるのよ。
先回りして用心するってのは
過去の恐れのエネルギーが
残っているからだから
そこは感情エネルギーの解放が
されたら、恐れは抜けるね。)



どちらが正しいかの次元で
戦うことも意味がない。
それはただのパワーゲーム。

相手は相手の正しさ。
わたしはわたしの正しさがあって
どちらかに統一しなくてもいいので
自分の正しさを証明する必要も無い。

違ってていいのだ。




それがスピ的にどんな意味があるか
気にする人がいるんだけど


彼の怒りを受けたことで
わたしの犠牲によって地球から
争いのエネルギーが解放された
シンボルとか

こういうの楽しいけどね

わたしの龍がスサノオ系
彼の龍がアマテラス系で
わたしに岩戸開きをされると
困る存在たちが彼を使って
立ち向かってきたとか

彼の持っていたぶどうの妖精が
フェアリー地蔵に恐れを感じ
彼に憑依してエネルギーアタックを
してきたとか。


間違ったフワフワスピな人は
悲しいのを感じないための
意味付けや、
プライドが痛くならないための
意味付けが多いのよね。

最初から「自分を守るため」の
こじつけだから
真実からいつまで経っても
学べないままで

現実がいつも怖い苦しいものに
なってしまってますます現実逃避で
フワフワ世界から出られなくなる。

そこね、
何で自分を守らなくちゃいけないんだ?
そこにね、思い込みが隠れているよね。




間違っちゃいけない。
(責められるから)
悲しいことはいけない。
(ポジティブじゃないから。 
ネガティブだと幸せじゃなくなるから)
世界は怖いところ。
(人は信用できない。
だから人に勝たないと危険)
わたしは責められる存在。
(自分には価値がないから)
というやつ。
(どれも思い込みよね)


世界を信用していたら
くつろいで緩んでいて
間違っても許されることを
知っているよね。
(これが本当に愛の状態。
またはスピリチュアルな状態)


全てが自分で
愛で繋がっているならば
敵はいないはずなの。






意味があるのはその出来事が
わたしにとってどんな意味があるのか。

わたしがどう解釈したのかが大事だ。

そこから見えるあくまで「わたしの」
物の捉え方や潜在意識にある前提が
わたしを幸せにするものか
不幸にするものかを知り

わたしの幸せのための決断をする。





わたしはこの出来事を
こんな風に捉えて超えた。




まず、わたしは腹が立った。

これはわたしの体感であり真実だ。
正しい、正しくないではなく不快だった。

わたしは腹が立っている。
彼の態度がわたしからみて失礼に
感じられたからだ。

彼の立場とかスピ的にどうとか関係なく
その感情と共にいた。
わたしはああいう扱われ方は嫌いだ。

それは愛の立場から見たらどうとか
取り敢えず脇に置いておいて
わたし自身のために
その感情を持つことを許す。
 
家に帰り、キッチンでひとしきり
「うおー!!!ムカつくわー!」
「なんだあれは!」「ありえないわ」と
怒ってムカムカすることをしっかりと
やった。

自分をジャッジしない。責めない。
まず、愛は自分に向ける。




・怒りが過ぎ去った後に悲しみと
恐れが出てきた。
(そりゃ怖いわ。怒りのエネルギーは
ハートに突き刺さったから)

気がすむまでその悲しみと恐れと共にいる。



自分を励まし、落ち着かせる。
よく、相手にぶつけなかった。
冷静な判断が出来たよね、と。

(正しくなくても励ます。
その時はそれがベストだったよ。
仕方なかったよ。頑張ったね。)




ダメージをうけたままで
無理やりポジティブを装い
でも、感謝だよねと言い聞かせたり
感情に蓋をしたり、気をそらしても
そのエネルギーが残っていたら
どうしたって冷静にフラットに物事を
振り返るなんてことは出来ないのだ。

「全て問題はない。
地球は愛の星だから、起こることは愛」
とはよく言いますが
感情にダメージを受けている時に
それを言いきかせても
自分自身が1番それは嘘だと思っている。

「じゃあ、なぜ、自分は傷ついているのか?」
って。

そこを自分自身で洗脳している人も
居ます。自分の意識が認めていないと
何処に出るか?
身体に出たり、周りとの人間関係で
「本当は傷ついている」と理解させるような
現実が起こります。



夫が帰宅してご飯を食べ
お風呂に入りその間
すっかり忘れてしまうほど
感情的に引きずる物が無くなって

まるで他人事のように
冷静に見れるようになって

さて、この出来事はどうして起きたのか
考察してみました。


つづく