わたしね、子ども時代これがずっと
辛かったの。
「ちぐはぐ」な感じ。



大人になって今ならわかるんだけど
脳と身体があまりうまくリンク
してなかった。

子どもってみんなそうなのかな?



五感を脳が処理できなかったみたい。
暑い寒いが解らない。
汗をかいてるけど暑いって思ってない。



満腹が解らないから
回転寿司などで食べすぎて気持ち悪くなる。



匂いが解らない。
ニンニクの匂いとか臭いって思わないから
子ども会でにんにくをすりおろすのに
使ったおろし金を洗わずスポーツバッグに
いれたまま放置とか。



味が解らない。
だからほとんど物が食べられないし
おいしいと思えなかった。



顔が認識できない。
親の顔、友人の顔など。
いつも親が入れ替わっても見抜けない
怖さがありました。
誰かが人の顔のことを
美人とか似ているとか言うのが
まったく解らなかった。



力かげんが解らない。
壊してしまい
乱暴だと怒られてしまう。



五感の情報を一回、言葉に変換して
左脳にインプットしないと
理解できないのです。

「ああ、いかりや長介は
下唇が出てゴリラみたいなんだな」と
彼の顔を認識する。


「ああ、わたし怒ってるな」と
言葉にして感情を認識する。


大人になって自分の感情を言葉に
認識できるようになるまで
ずっと「ちぐはぐ」で生きてきました。



これって、最近知ったのですが
一種の障がいらしいのですね。

目に見たもの感じたものを
ずっと脳内で言葉にしているのです。



ずっと脳内でブログ書いてる感じです。

だから、いつも自分の感じていることを
自分で認識できていたり
目で見えない感情やエネルギーを
人よりも言葉にしやすいのだと
思うのですが、



子どもの頃はつらかったです。
自分でも理解できないし
人にも理解されなかった。



身体って、この3次元を生きるための
大事な乗り物じゃないですか?

これの操作方法が理解できずに
戸惑ってしまったのと
それゆえに親や友人たちとの
共通認識ができなかったゆえの

誤解やそこからのトラウマに
苦しむ前半生でした。




「分断」

そんな五感と脳がリンクしていないわたしは
もちろん、人の顔色とか人の感じていること

快も不快も理解できず、
だからこそ、自分の思考だけが暴走する
トラブルメーカーでした。



自分のやりたいと思ったことを
人の迷惑を考えずにやってしまうのです。



親も先生も友達にも疎まれ
わたしの不注意を直そうと
怒られたりすることが増えました。



無神経で図太く思われていて
五感に関してはほぼマヒしているのですが
感受性がとても強かったので
実は精神的なダメージはありました。



そしてなぜか、身体と感情は
しっかりすぎるほど素直に繋がっていたので
チック症やアトピー、
父が亡くなったら腰がヘルニアになるなど
身体が反応をしまくりました。


その精神的、肉体的なダメージを
脳内の働きをほぼ一社独占状態の
マインドがなんとかしようと
頑張りました。



誰かが怒った出来事をちゃんと記憶して
もうやらないように
誰かがいいと言ってた出来事を記憶して
それをやるようにしよう・・・と

たくさんインプットしました。



で、結果的に空気の読めない人になりました。

現実にフィットしていない
現実からは学んでいない
脳内の情報の
「いい悪い」「・・・すべき」が
暴走しました。



とうとう、自分の感情さえ
素直に感じることができなくなり

伯母が亡くなった時も
「ここは泣くべきなのか?」と

悲しいから、さみしいからではなく
おかしいと思われないために
泣こうとしていました。



自分自身の感覚との分離感
そして社会や人との分離感
孤独感は体中に充満していました。


自分はロボット?機械?
自分の感情さえ解らない。




15歳で7歳上の前の夫に出会い、
やっと自分を受け入れ愛してくれる
親の代わりのような人が出来て

初めて地球上で居場所を見つけたよう
でした。

この人はどんな感情を出しても
どんな態度をとっても
許してくれるような人でした。



19で結婚し、21で出産し
さらに24で二人目を出産し
子どもを育てながら
不安の中で少しずつ少しずつ
人間性を取り戻していったのです。



今思うと
小学校高学年で合唱団に入り
晩ごはんを作らされるようになって
耳と舌が機能し始めたのですが

結婚したことで自由に活かせるように
なりました。



毎日、子守唄を歌ったり
料理を作ったりしているうち
他の機能も繋がり始めたようでした。



それでも分離感、孤独感
社会に受け入れられてない不安は
拭い去ることができず

そこからいわゆる、スピリチュアルな世界
心や目に見えない世界に
入り込んでいきました。



優しい人達がたくさんいました。
仲間がたくさんできました。
わたしを受け入れてくれました。

体育会系の部活動のように
それは必死にストイックに
のめりこんでいきました。



狭い社会の中で
少しずつ自信を取り戻しました。
(ついでに傲慢さや勘違いも
たくさん手にしました(笑))



ヒーラーとして活動を始め
チャネリングやクリスタルヒーリング
そのほか神殿ワークで神官をしたり

繊細でクリアでパワフルな
エネルギーの世界に
開かれていきました。



今ならわかります。

目の前の人や社会と繋がれなかったから
小さな社会で愛のある高い波動のものと
先につながって練習をしていたのでしょう。



そして必死で五感を超えて
サイキックな感覚を鍛えていました。

わたしの身体は労わられることが無く
ぼろぼろになっていきました。



そんな頃、離婚を言われます。

ヒーラー活動をするのに都合がいい
くらいに受け止めていました。

セッションルームを構えていたので
そちらへ引っ越し1人になりました。



名誉な役職につき
後輩やクライアントに教える立場も得て
そして1人になって

初めて自分との会話が始まりました。
初めて自立しました。



居心地の良かった繭から出て
一人で電球を変えたり
チケットを取ったり

前夫にとても守られ、
甘やかされていたので
37になって離婚するまで
自分のことさえできなかったんです。



おなかがすいたら食べる。
眠くなったら眠る。
自分のペースで生きること
自分の楽しみをかなえること。
自分の身体の声を聴いて
それに従うということが

初めてできるようになりました。


ただ感じる。
ただ生きる。

それがどんなに大切で
どんなに幸せなことなのか
理解できた時に
仕事、友達、恋愛、誇り

そんなものを一度に失うことが起きました。



全てを失いました。
誤解でした。

過去に蒔いた毒が返ってきたという
ところでしょうか?

お前の言い訳は聞くつもりはないよ、
とそう言われた氣がした。

これが自分の道だと思っていた。

そこを統括している人達が
わたしを信用していなかったことを
知った。




この10年はなんだったのか?
砂を噛むような悔しさを味わっていた。


そして、さらに失恋をした。

これも誤解だった。
わたしのメールは一部だけを受け取り、

尋問のような糾弾メールが
1日に28通届いた。


友達を失った。
親友と言える人達が居たのに、
学びの友達を全て切った人、
田舎に帰った人、
彼が出来て疎遠になった人、
そして恋愛で未練たらしく苦しむわたしに
愛想を尽かした人、
1度に離れて行った。


わたしのエネルギーが落ちたから
仕事が来なくなった。
お金が回らなくなった。
遊ぶことで氣を紛らわすことも
出来なくなった。

子ども達は成長してバイトや
自分の世界に忙しく
もうお母さんの役目も卒業だった。

何もかも失った。
信用もやる氣も意欲も存在価値さえ
無くなったように思えた。
何も無くなった。




わたしは泣くしか出来なかった。

ここから逃げることは出来ないと
分かっていた。
2ヶ月くらい、ただ毎晩泣いて過ごしていた。


そして、それでもわたしには
まだこころとからだがあるんだ、と思った。

何もかも無くなっても心が望むなら
そこへ行けばいい。
自分が信じる、愛するその氣持ちは
尊いのだ。
身体が感じるなら楽しめばいい。

生きよう、と思った。
命を楽しもうと思った。




アセンションとか、高い波動とか
調和とか愛とか素晴らしいものを
ずっとそんなものを目指していた。
そういう場へ居たいと思っていた。

洗練することを目指して
上を上を目指してきたけれど
それは現実と自分の否定だったのだと思った。




それからしばらくして、わたしは
今の夫と出会い、
現実を生きるという方向へ
シフトチェンジした。

生活というもの。
自分の感情を表現すること。
五感を楽しむこと。

美味しいものを食べて
氣持ちのよい空間に住み
いい香りを楽しむ。
笑ったり怒ったり泣いたり。

この身体を通して体験するものが
今、目の前にあるものが全て
ギフトになった。




数年前に美味しいと初めて思った
ビールを焼き鳥と一緒に楽しむ。
それだけで胸が震えるほど幸せなのだ。

たくさんの制限があった。
繋がっていなかった。

それを繋ぎ直し、再体験する時、
それがどんなに美しかったのか、
素晴らしかったのかを意識して
受け取れることは幸福なのだ。




制限があったからこそのこの自由。
開放感。

頑張った見返りではなく
受け取ろうと決めたら
いつでも幸せはそこにあったのだ。



振り返ると、痛かった苦しかった
経験の全てが、
今の幸せの準備だったのだ。

全部が完璧だったのだと理解できるのだ。

壮大な物語は
スタート地点に戻ってきたのに
もう感謝しかない。

ありがとう。
わたしは今、幸せです。