離婚してから複雑な思いで見た、私が設計し住んだ家。 | 名古屋の癒しの道場 スミレ書道教室 書家里映のブログ

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スミレ書道教室
里映 書道歴46年 日本習字漢字部仮名部ペン部にて、教授免許取得 中日展などにて受賞多数 JHTメディカルアロマ 司書学芸員資格取得

名古屋市にて癒しの書道教室
お手本は70周年日本習字
メディア掲載多数 各々の希望に合わせた少人数指導

名古屋市東部

癒しのマインドフルネス書道 スミレ書道教室 里映です。


大学の秘書から退き、

2005年から2010年位までの間、結婚して、長野にいました。

結婚して籍入れたのですが、

とても寒いところでした。


唯一、軽井沢は近かったのですが、歩くところはアウトレットくらいで、

冬は凍結路面になり、歩くところがなくて、

佐久平のイオンまで歩きに行っていました。


入院することになり、

仕方なく籍を抜き、名古屋に帰ってきてしまって、もう14年近く。


家から少し外れるとこんな風景が広がっています。

多分、皆さんお出かけでいかれて、見る風景だと思います。


先日、Google Mapsのストリートビューの見方を、小学生に教えてもらい

ました。


それも、ほとんど見たことなかったのですが、私自身の住民票を手にしたきっかけで、

今どうなっているのかが気になり、見てしまいました。










このような道ですから、

犬の散歩をしたときには、たくさん枯葉がついてきたり、

ドロドロになったりしました。


ちょっと行くと、かなり大きなドッグランがあり、楽しそうに走っていました。


軽井沢のお店では、犬連れの家族がお店に来ていて、とても楽しそうにしていました。

犬のグッズもたくさん買いましたが、地域で自分の居所がなくて、とにかく寂しくて

地域に馴染むことができず、街灯もないところなので、真っ暗なのが怖くて、

引きこもり、夜5時から外に出た事はほとんどありませんでした。


真冬のイルミネーションを見に行く時位でした。


教えてくれた方法でgoogleマップ、探せました。

複雑な思いで写真を見ました。


特に前の旦那さんがどうとか、何かお互いに問題があったとか、

そのような理由ではなかったので、

もしかしたら何か他の方法もあったのかもしれないと思いました。


離婚をする際には、様々な方が様々な意見を述べてくれました。


素直に聞くことができませんでしたが、


人の言うことを聞かずに、

何も学んでいないのではなく、


素直に聞くことができないでいると、

どうなるかを学んでいました。


この経験をしてから、先輩方の意見は貴重な意見として素直に取り入れるようにしました。


それで、地元に戻り、頼らずに、あてにせずに生きていく方法を選んだわけですが、

やりがいや生きがいがありますが、重い責任がのしかかったり、様々な対応に追われたり、、

困難な状況を男性社会の中で乗り切っていかなければならなかったりで、

社会経験を積めたものの、女性としての喜びや生き方は捨ててしまったと思います。


どちらかをとればどちらかを失ってしまうものなのかな、、


女性が社会進出するのが大変な日本です。

欧米ではごく当たり前の女性管理職や女性議員も日本では本当に少ないですよね。


あちこちで馬鹿にされたり、打ち負かされたり、泣かされたりしながら、

それでも立ち上がり生きていかなければならない事は2019年位までに知りましたが、


それから先もコロナのパンデミックが持っていました。コロナのパンデミックは、

上場企業など製造業は全く関係なかったようですが、女性は、大変な思いをしましたよね。


サービス業には大きな痛手でした。


女性がほとんどのクラスでは、お注射による健康被害が大きく、

来れなくなった生徒さんや、雇用されている会社で解雇となり、来れなくなった生徒さんや、コロナ自体が怖くて来れなくなった生徒さんや、そればかりでなく、私や一部の生徒さんの敏感の体質などもあり皆様にお願いすることも多く、さらには場所が閉まったり、定員決められてしまったり、余儀なく赤字経営を、、塾も閉鎖となりました。



もともと書道は、ボランティアと言う形でさせていただいていますが、お稽古以外の収入も減りましたので、大きな打撃を受けました。一方で、ロゴ作成や、筆文字アートのお尋ねは多く、そちらのお客様にも支えられました。


それで、なんとか生きてます。


ですが、当日誰もいなくて、資源が豊かだけれど、シーンとしてて、

寂しかったとはいえ、守られて恵まれていた時の写真を見ると、複雑です。


どこのハウジングセンターに行っても、自分が建てたいなと思えるような

おうちに巡り合わなくて、結局工務店と直接やりとりをして建てました。


後でわかったことですが、私自身、前世でイスタンブールや地中海ギリシャなど

で暮らしていたらしく、洋風建築にしか魅力を感じられませんでした。


中間マージンを挟まなかったので、大きなおうちの割に安かったんですけど、

私がお金を出したのではなくて、お相手の方が出してくれたんです。

それも、現金で一度に。

ありがたかったです、、


毎日のように打ち合わせするのが楽しくて、

雑誌を買って持っていったり、工務店の方に相談して設計してもらったりしました。

鏡、洗面台等は全部、雑誌などから取り寄せしましてつけてもらいました。



当時、私が買ってきてつけたポストがマップに写ってました。


ドアは取り寄せでつけました。


壁面の色も決めました。屋根の色も私が決めました。


玄関を上がってからのデザインも全て工務店さんとのやりとりをして、

設計しました。おうちに飾る飾りなどは本当は要らないと思いますが、

飾りもつけました。


内装は床材にこだわりました。

また、階段も職人さんが掘った階段で、

ドアノブはヨーロッパから取り寄せました。

家具も好きなのを入れました。


ウッドデッキも作りました。季節の良いときには、そこで澄んだ空気の中で、

ご近所の方と、お茶を飲んだり

ワンコと遊んだりしていました。お庭も広くてテニスコートみたいです。

夏は草抜きが大変でした。


おうちができた時は、本当に嬉しくて、前の旦那さんと手を取り合って喜んだんですよね。

その時の事はとても鮮明に覚えています。


おうちができたことが嬉しかった、達成感があった、

それだけの事だったのかな。一瞬でそんな喜びがなくなっていきました。

当たり前というものは本当に怖いものですね。


習い事もさせてもらえて、パンも師範の資格を取得。

書道ももちろん続けていたし、当時は、近代詩文章を中心に東京の先生に学んでいました。

好きなようにさせてもらえ、

好きなものも買う事は反対されなかったし、

喧嘩もほとんどした事はなかったのですが、、


生まれてきてから、34歳までの環境があまりにも賑やかなところすぎました。


マイナス16度の厳しい環境の中で、良い季節は夏の2ヶ月ほど。

寒さ厳しい山の中での環境が違いすぎる暮らしは、

心も体も柔軟に対応して生きていくことができませんでした。



最後には食べ物が飲み込めなくなり、痩せてしまい、

重症筋無力症の疑いで入院してた頃は、

170センチで44キロ位になりました。


手にしているものに気づかなくて、


ありがたく思えなかった日々。


体を壊してしまったけれど、

もしも当たり前に気づくことができたら、

病気になってなかったかもしれません。


手にしているものに、着目をして、

感謝して今を一生懸命生きることの大切さを知りました。


贅沢をしなくても、欲しいものが手に入らなくても、

豊かな気持ちになれる事はあったんじゃないか、、



と思った、Googleの便利な機能。


名古屋に戻ってきて、勇気を出して書道教室を開き、


小さい生徒さん達は高校生になり、


時代は進化しました、、




当たり前に慣れてしまわないように、

今手にしてる大切なものを失わないようにしないといけないですね。


6月10日、大垣共立銀行茶屋坂支店 50周年おめでとうございます。

















私が起業したてで辛いと言った時、前の旦那さんはみんなに頼っちゃえばいいと言っていました。

でも頼むことや、頼ることがどんどん苦手になってしまっていた。それから誰かをあてにすることもなくなり、自分でできる事は自分ですることに。


今では、自分のできないところをサポートしてくれるスタッフや生徒さんたちに恵まれ、少しずつ頼む練習をしています。



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里映 プロフィール

スミレ書道教室(10周年) /書家里映/Rie/書道歴46年/名古屋/Japanese Calligrapher /癒しの書道/日本習字漢字部ペン部仮名部教授免許取得/中日展会派各書道展にて受賞多数/JHT aroma資格/CM揮毫メディア出演/大学にて留学生を指導 生徒募集中!