スピンオフ編~東京都中央区築地・かつて築地にあった日本初の西洋式ホテルを知る『築地よりみち館』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都中央区築地の

『築地よりみち館』です。

 

最寄駅は

東京メトロ日比谷線の『築地』。

 

駅から徒歩1分

晴海通りと新大橋通りの交差点角に

隈研吾氏が設計した築地KYビルがあります。

 

『築地よりみち館』は

このビルの2階にあります。

 

エスカレータを上ると

左手奥に開放的な展示スペースが見えます。

 

こちらが『築地よりみち館』

誰でも無料で見学することができます。

 

大きなスペースではありませんが

明治期の絵師たちが描いた築地界隈の錦絵を

最新のデジタル技術で複製したものにより

築地の知らざれる歴史と文化が紹介されています。

 

中でも興味深いのは

『築地ホテル館』を描いた錦絵

今回はそこにスポットを当てます。

 

こちらは

二代歌川国輝が1969(明治2)年に描いた

『東京築地ホテル館繁栄の図』です。

 

絵の左上部には

アルファベットで書かれた

『PLAN of HOTEL YEDO, T'SKE,GE』の表記。

 

YEDOは江戸

T'SKE,GEは築地で

イギリス人が日本人の発音を基に

アルファベット表記したものを

歌川国輝が書いたのではと思われます。

 

『築地ホテル館』とはなんぞや・・・

皆さんそう思われているのでは?

 

1862(文久2)年の『ロンドン覚書』により

西暦の1868年1月1日

日本の元号で慶応3年12月7日に

江戸は外国人に開市されることになっていました。

 

しかし

江戸には外国人用の宿泊施設がなかったため

イギリス公使ハリー・パークスは

幕府に対しホテルの建設を要請しました。

 

これに対し幕府は

築地船板町の軍艦操練所跡地に

『築地ホテル館』を建設することとし

横浜の外国人居留地内に

土木建築事務所を開いていたアメリカ人

リチャード・プリジェンスに設計を依頼します。

 

建設された場所は

現在の勝鬨橋西詰の南側

旧築地市場の立体駐車場があった辺りです。

 

こちらは

三代歌川広重が明治初期に描いた

『東京築地ホテル館』。

 

幕府の小栗忠順はホテルの開設について

『民間でこれを行なうものがあれば

土地は幕府が無償で提供し

利益は経営者のものとしてよい。

資金は民間から資本を募り

利益を出資金に応じて分配す』としました。

 

これに応じたのが

清水組(現在の清水建設)の二代目清水喜助で

工事だけでなく経営も引き受けることになりました。

 

『築地ホテル館』は

1868年9月(慶応4年8月)に完成しましたが

その前月に維新により江戸が東京に改名され

開業は予定より1年遅れ

西暦で1869年1月1日

元号で明治元年11月19日になりました。

 

こちらは

二代歌川国輝が1969年に描いた

『東京築地ホテル館』と

キャプションが付いていますが

絵の中には

『東京築地ホテル館繁栄馬車往来之図』

そう書かれています。

 

『築地ホテル館』の周囲には

外国人居留区が作られましたが

あまり発展せず

ホテルの経営も厳しくなります。

 

清水喜助はホテル経営から退き

1872年2月(明治5年1月)に

ホテルの建物は海軍の手に渡りましたが

その2か月後に銀座大火で類焼し

4年足らずの年月で幕を降ろしました。

 

こちらは

叟斎了古が描いた

『東京築地ホテル館繁栄馬車往来之図』

キャプションにはそう記されていますが

絵の中では『東京築地ホテル館』と書かれています。

 

多分

前掲の絵と取り違えているのだと思います。

 

しかし

こちらの絵には

馬車往来之図に相応しい

通りを行き交う

様々な乗り物や人々が

描かれています。

 

こちらは人力車

その前には傘を差した

中国人らしき人物が描かれています。

 

乗合馬車

馭者は口ひげを生やした中国人のようです。

 

駕籠

担いでいるのは日本人

客は中国人。

 

三輪車ですが

どのように動かすのかが分かりません。

 

うろ覚えですが

徳川慶喜が使っていた

フランス製の三輪車が

このようなものだったような・・・。

 

こちらは

二代歌川国輝が1868年に描いた

『東京築地保互留館海岸庭前之図』。

 

『築地ホテル館』から居留地辺りを描いた

興味あるものです。

 

小さくて分りずらいので

興味ある部分を拡大してみます。

 

こちらは絵の右端

『築地ホテル館』が描かれています。

 

絵の中央右下には

英国とオランダの国旗がたなびき

両国の公館のようです。

 

『築地ホテル館』の左側には

湾に突き出た部分に

『波戸場改所(原文まま)』

現代の税関に相当する建物のようです。

 

『波戸場改所』の左隣には

大きな日の丸が掲揚されており

『御役所』と書かれています。

 

その隣には

星条旗を始め

各国の国旗がはためいていますので

イギリスとオランダ以外の公館だと思います。

 

この絵の下のほうには

英語の数詞の発音が

平仮名で書かれています。

 

一 わん、二 とう、三 つりー

現在の仮名表記より

原音に近いものです。

 

百まで記されています。

 

日本で初めての西洋式ホテル

『築地ホテル館』は

アメリカ人の設計ですが

要所要所に和風の要素を取り入れ

後に人気を博す擬洋風建築の

基礎を作った建物だと思います。

 

『築地よりみち館』には

この他に『本願寺』や古地図など

興味深い展示がありますが

長くなりますのでここまでにしておきます。

 

築地よりみち館

東京都中央区築地4-7-5 築地KYビル2階

03-3541-6521

8:00-22:00

1月1日~4日休み

入場無料

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都中央区築地です。