スピンオフ編~東京都北区田端・珍しいグリーンの鳥居がある『田端八幡神社』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都北区田端の

『田端八幡神社』です。

 

最寄駅は

JR山手線/京浜東北線

『田端』。

 

駅から徒歩5分

参道の入口には

鳥居ではなく1本の門柱が立っています。

 

門柱から一の鳥居に至る参道脇には

神輿庫が並んでいます。

 

参道脇の神輿庫は

私が知る限りでは珍しい光景です。

 

一の鳥居は明神鳥居

建立年は不明です。

 

二の鳥居も明神鳥居

1893(明治26)年の建立です。

 

二の鳥居をくぐると

社殿へ続く真っすぐな石段と

弧を描く緩やかな石段に分かれます。

 

信仰心の篤い方であれば

まず社殿で参拝するために

こちらの石段を上られると思います。

 

しかし

信仰心0、好奇心100の不埒者は

右側の石段を選びました。

 

私を脇の石段にいざなったものは

この不思議な鳥居です。

 

形状的には靖国鳥居なのですが

色がグリーンで金属製

しかも両の柱の下部はグレイ

~このような鳥居は初めて見ました。

 

緑色の鳥居の中には

富士塚が設けられ

摂社の『浅間神社』があります。

 

緑色の鳥居の正面は

『三峯神社』があります。

 

こちらが『三峯神社』

神猿もいないシンプルな社です。

 

そして正面には

朱塗りの明神鳥居

こちらにも摂社がありそうです。

 


たくさんの狐に護られていますので

稲荷社と思われますが社名は不明です。

 

社殿の上には

大きな石が置かれています。

 

元々の意匠とは思えませんが

誰が何のためにこのようなことをしたのか

興味津々です。

 

石段を上り切ると

右手に墓地があります。

 

神社に墓地があることは

稀に見受けられますが

こちらは反対側に隣接する

旧別当寺の『東覚寺』の墓地のようです。

 

いつものことですが

漸く社殿に辿り着きました。

 

1189(文治5)年

奥州征討を成した源頼朝が当地に立ち寄り

鎌倉の『鶴岡八幡宮』から勧請し創建しました。

 

社殿を護る対の狛犬は

1917(大正6)年の奉納。

 

右側は口を閉じた吽形のように見えますが

僅かに口を開いた阿形で

玉取りになっています。

 

左側は子取りの吽形

阿形に比べ経年劣化が進んでいます。

 

社殿は

1945(昭和20)年の空襲により焼失し

戦後に再建されますが

1990(平成2)年に

反皇室を掲げる極左集団により放火され

再び焼失してしまいます。

 

現在の社殿は

1993(平成5)年に再建されたものです。

 

不思議な形状の鈴緒

何か意味があるのでしょうか?

 

参拝を終え

本筋の石段を下りますと

なんか歩きにくい・・・。

 

石段の幅が

一段おきに半分になっています。

 

山城であれば

敵の進軍の障害になるのでしょうが

神社では不要なのでは?

・・・これも意味がよく分かりません。

 

 付録

 

こちらは旧別当寺の『東覚寺』

『田端八幡神社』に隣接しています。

 

山門の脇にある護摩堂に

何やら奇妙なものが見えます。

 

対の仁王像です。

 

仁王は

本来は境内を悪から守る金剛力士として

山門内の両側に立っていますが

こちらは阿吽ともに露仏になっています。

 

1641(寛永18)年

当時江戸で流行していた

疫病を鎮めるため建立されたとされています。

 

いつの頃からか

市井の人々が

悪魔を焼除する火の色である赤紙を

自分の患部と同じところに貼り

病気身代わりと心身安穏を願ったことから

『赤紙仁王尊』と呼ばれるようになりました。

 

左の吽像に比べ

右の阿像の方に赤紙が多いのは

よりご利益があるということでしょうか?

 

田端八幡神社

東京都北区田端2-7-2

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、栃木県宇都宮市です。