スピンオフ編~東京都港区神谷町・高層ビルの谷間に潜む名刹『天徳寺』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都港区神谷町の

『天徳寺』です。

 

最寄駅は

東京メトロ日比谷線

『神谷町』。

 

駅から徒歩3分

高層ビルの谷間に潜む

浄土真宗の寺院です。

 

正式名称を『光明山和合院天徳寺』と言い

1533(天文2)年に

三蓮社縁誉称念上人により

紅葉山に創建されましたが

隣接する江戸城の拡張に伴い

霞が関に移り

その後1611(慶長16)年に

現在地に移転しました。


境内に入ると

ここが本当に都心部なのと

目と耳を疑ってしまう静けさです。

 

左側の塀に沿って

墓石や供養塔が並んでいます。

 

こちらは

河井荃蘆(左)と高芙蓉(右)の墓石です。

 

二人については全く知識がなかったので

ネットで調べてみました。

 

河井荃蘆(1871-1945)は

印章を作成する篆刻家で

中国に渡り金石学を学び

金石学に基づく篆刻を日本に啓発し

その発展に尽くしたとのことです。

 

なんだかよく分かりませんが

その筋では偉大な方のようです。

 

面白いのは

本来の姓は『川井』でしたが

戸籍の記載ミスから

『河井』になってしまったとのことです。

 

高芙蓉(1722-1784)は

中国人か韓国人のような名前ですが

歴とした日本人で

本名は大嶋というそうです。

 

儒学者、画家、篆刻家で

日本における印章制度を確立し

印聖と讃えられているそうです。

 

供養塔のようなものが

3基ありますが

詳細は不明です。

 

六角形の本堂

造営年は分かりませんが

さほど古いものではないと思います。

 

1615(元和元)年に徳川家康より50石

1623(元和9)年に

二代将軍秀忠より100石の

朱印を賜った御朱印寺といい

それに因んでいるのでしょうか

屋根瓦に徳川家の紋章である

三つ葉葵が施されています。

 

分らないことだらけですが

さりげなく置かれた石や石造物

そして枯山水の庭が

とても印象的なのです。

 

私個人的な感想しか付けられませんが

お付き合いください。

 

本堂に向かって左手の枯山水の庭

変った形の燈籠と奇石群が

そこはかとない趣きを醸し出しています。

 

本堂と寺務所の間の庭

左手のものと異なり

樹木が多く配置されています。

 

一見無雑作に並べられた

形の異なる飛び石ですが

躍動感を感じます。

 

木に埋もれた燈籠

それを囲む丸みを帯びた石の群れから

押し寄せる波を感じ取れます。

 

雑多な形の数々の石

奥にある円柱は燈籠の竿でしょうか?

 

やはり

破棄された燈籠の竿の部分です。

 

その周りの石は

燈籠の一部だったのでしょうか?

 

不要になった石を放置している

そんな風にも捉えられなくもありませんが

庭の一要素として見ると

素晴らしい配慮にも思えます。

 

これは何でしょう?

 

六角形で

動物が彫られていることから

燈籠の基礎か中台ではないかと推察します。

 

中台にしては大きすぎますので

多分基礎ですね。

 

これは燈籠の最下部に当る基壇でしょうか?

 

前述の基礎が

この上にあったと仮定すると

なんとなく納得しますが

かなり巨大な燈籠になりますね。

 

不思議な意匠の燈籠

竿から上の部分しかありませんので

ひょっとしたら

上記の基壇と基礎との組み合わせかも。

 

最後に奇石をいくつかご紹介します。

 

中途半端な説明になってしまい

申し訳ございませんでしたが

機会がございましたら

是非ご参詣してください。

 

天徳寺

東京都港区虎ノ門3-13-6

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都新宿区四谷二丁目です。