スピンオフ編~東京都中野区中野坂上・珍しい石臼塚が印象的な寺院『宝仙寺』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都中野区中野坂上の

『宝仙寺』です。

 

最寄駅は

東京メトロ丸ノ内線/都営地下鉄大江戸線

『中野坂上』。

 

駅から徒歩3分

メインストリートから奥まった処に

山門らしきものが見えます。

 

こちらが『宝仙寺』の山門。

 

正式名称を

『明王山聖無勤院宝仙寺』と言い

真言宗豊山派の寺院です。

 

平安時代の寛治年間(1087~1093年)

源義家が現在の杉並区阿佐ヶ谷に開基し

室町時代中頃に現在地に遷移しました。

 

山門の建立時期は不明ですが

かなり古いものと思われます。

 

阿吽一対の仁王像が納められ

向かって右には

口を開いた阿形の仁王。

 

左側には

口を閉じた吽形の仁王。

 

山門をくぐると

左手に鐘楼があります

・・・2016(平成28)年の再建。

 

鐘楼の斜め前には

『中野町役場跡』と彫られた石碑があります。

 

1895(明治28)年に

境内に中野町役場が置かれ

1932(昭和7)年に中野区が発足すると

初代中野区役所となり

1936年に移転するまでこの地にありました。

 

石碑の裏側に

小山のような不思議なものがあります。

 

『石臼塚』と言うそうですが

一体何なのでしょう?

 

塚の前に立つ由来によれば

要約すると以下のようなことだそうです。

 

この付近を流れる神田川には

江戸時代から水車が設けられ

蕎麦粉を挽くことに使われていました

 

このため

蕎麦の一大消費地である江戸・東京向けの

玄蕎麦が全国から中野に集荷し

界隈は製粉の一大拠点となりました。

 

しかし

明治以降の産業革命の進展に伴い

製粉にも機械化が進み

石臼は使用されなくなりました。

 

不要となった石臼は

道端に放置されるようになります。

 

これを見た宝仙寺第五十世住職が

人々の食に寄与した石臼を

大切に供養すべきとして

境内にこの『石臼塚』を建立しました。

 

よく見ると

確かに石臼の一部のようです。

 

頂上にある臼は

蕎麦ではなく甘酒を擦ったものだそうです。

 

『石臼塚』の裏手には

立派な手水舎があります。

 

手水舎の建立年は不祥ですが

手水鉢には『天明三年』の銘があります。

 

西暦1783年になりますので

250年近く前の奉納になります。

 

一見ごく普通の手水鉢に見えますが・・・。

 

吐水口が鬼瓦

しかも鬼の舌から水が出ています。

 

手を清めるのは良しとしても

口を漱ぐのには少々抵抗がありますね。

 

『石臼塚』の隣には

神木の銀杏と『三重塔』があります。

 

『三重塔』は

1636(寛永13)年に建立され

上野の『寛永寺』の五重塔などとともに

『江戸六塔』の一つとされていましたが

1945(昭和20)年5月

アメリカ軍の空襲により焼失します。

 

現在の塔は

焼失した塔と同じ20mの高さで

1992(平成4)年に

奈良『法隆寺』の三重塔を模した

飛鳥様式で再建されたものです。

 

『御影堂(みえどう)』

こちらも『三重塔』と同時期に

再建されたもののようで

弘法大師像が安置されています。

 

こちらがその弘法大師像

後背を含め3mほどの高さがあります。

 

脱活乾漆という漆と麻布で作られており

このような技法でこのような大きさの仏像は

1000年以上作られていなかったそうです。

 

さて、いつものことですが

ようやく本堂に辿り着きました。

 

本堂も

1945年の空襲で焼失し

現在のものは

1948(昭和23)年以降に

順次復旧されたものです。

 

こんなことを言ったら罰が当たりますが

建造物としてはさほど魅力がありません。

 

本堂の脇には

石造物や石碑がいくつか立っています。

 

こちらは聖徳太子像

ご機嫌斜めなのでしょうか

しかめっ面をしています。

 

聖徳太子像の隣にあるのは

『八十八大師塔』。

 

四国八十八ヶ所に

それぞれ1体の弘法大師を当てたもので

塔の四面の各面に22体ずつ

計88体の弘法大師が刻まれ

頂上には虚空蔵菩薩が安置されています。

 

八十八大師塔には

独立した石に1体ずつ刻むものもあるそうで

こちらはその内の2基のようです。

 

向かって右側の塔には

第七十一番札所の

『讃岐国弥谷寺』の銘が刻まれています。

 

こちらが弘法大師のようですが

経年変化で見とれません。

 

『宝仙寺』にはこの他に

『無銘五輪塔』、『六地蔵』、『見返り地蔵』など

興味深いものがまだまだありますが

長くなりますので今日はここまでとします。

 

宝仙寺

東京都中野区中央2-33-3

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都品川区青物横丁です。