スピンオフ編~福岡県柳川市・筑後の水の都に残る詩聖ゆかりの家『北原白秋生家』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

福岡県柳川市の『北原白秋生家』です。

 

最寄駅は

西鉄天神大牟田線『柳川』。

 

駅から

徒歩30~40分。

 

駅前からバスもありますが

1時間に1本あるかないかです。

 

バスの場合には

『御花前』バス停で下車し

徒歩5分程度です。

 

20世紀の日本近代文学に

偉大な足跡を残した詩聖・北原白秋は

1985(明治18)年に

柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家

北原家の長男として生まれました。

 

1904(明治37)年に

早稲田大学に入学して上京するまでの

19年間をこの家で暮らしました。

 

北原家は代々海産物問屋でしたが

白秋の父の代になると酒造業を営むようになり

柳川地方でも有数の商家となります。

 

屋内に入ると直ぐ左手に『店』があり

店先には酒樽が並んでいます。

 

酒造業といっても

枡で量り売りする酒販業も兼ねていたようです。

 

『店』の隣には茶の間があり

本来的には家族の食事の場ですが

白秋の父・長太郎は

出入りの人たちを見渡せるこの部屋に

大きな火鉢を置き一日中座っていたそうです。

 

茶の間の奥には勘定部屋があり

長太郎が帳簿をつけたり

売上を計算していました。

 

勘定部屋に繋がり

家の一番奥まったところにあるのが

『父の部屋』です。

 

銭箪笥を保管し

三方を土塀で囲んだこの部屋は

いわば金庫室で

白秋はおろか他の家族も

なかなか入れなかったそうです。

 

こちらは仏間

障子で仕切られた小部屋に仏壇が置かれ

その上に何やらガラスのケースがあります。

 

白秋のデスマスクでした。

 

1942(昭和17)年11月2日

白秋は入院先の病院の一室で

57歳の生涯を閉じました。

 

このデスマスクは

親友だった画家・恩地孝三郎の手により

取られたものです。

 

書院造りの座敷

目立った派手さはありませんが

要所要所に旧家らしい贅が見られます。

 

その一つが欄間の彫刻

作者は不明ですが

素晴らしい意匠です。

 

作業場だった土間には

白秋に関する資料などが展示されています。

 

酒蔵のジオラマなどが展示されている

この狭い板の間は

男衆たちの食事場でした。

 

その隣には番頭の食事場。

 

番頭は

現代の会社で言えば重役クラス

食事場も男衆たちのそれより

ずっと広かったのですね。

 

土間を抜けると小さな庭があり

その先に離れがあります。

 

この離れは

1989(平成元)年に復元されたもので

本来は北原家の隠居部屋でしたが

白秋は中学時代

弟妹の騒ぎを避けてここで勉強していました。

 

現在では白秋の書斎とされています。

 

書院造りの部屋は

柳川畳表で復元されています

・・・室内に入れないのが残念です。

 

書斎の脇に門のようなものが

何なのでしょう?


水路へつながる階段でした

この浅さですので船着き場ではなく

洗濯など行った処ではないでしょうか?

 

風情ありますね!

 

何だかんだ言いながらアンタ

白秋についてほとんど書いていないじゃない!

 

そうなんです

実は白秋に関心があったのではなく

建物そのものに興味があったのです。

 

北原白秋生家

福岡県柳川市沖端町55-1

0944-72-6773

9:00-17:00

年末年始休館

入館料:大人一人600円

 

次回は、本日15時に他人の迷惑を顧みず私の好きな曲をご紹介するMUSIC編。Albert Hammondの『The Free Electric Band』です。