スピンオフ編~東京都港区新橋・日本の鉄道発祥の地に見る『新橋鉄道遺構』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

東京都港区の

『新橋鉄道遺構』です。

 

日本初の鉄道は

1872(明治5)年10月14日に

新橋と横浜の間で開業しました。

 

1914(大正3)年に東京駅が開業するまでは

新橋駅が東京のターミナルであったことから

駅周辺には鉄道遺構がいくつかあります。

 

JR日比谷口を出ると

大きな広場があります。

 

通称『SL広場』

蒸気機関車が置かれ

毎日12時、15時、18時に

汽笛が鳴ります。

 

『C11ー292』

 

C11型機関車は1932(昭和7)年に

JRの前身である鉄道省が設計した蒸気機関車で

1947(昭和22)年までの16年間に

381両が製造されました。

 

『C11ー292』は

1945(昭和20)年に製造され

兵庫県の姫路機関区に所属し

1972(昭和47)年まで

播但線や姫新線を運行していました。

 

廃車となった後

新橋駅開業100年を記念して

同年にこの広場に移設され

静態保存されています。

 

この画像は移設時に撮影されたもので

広場に掲示されています。

 

駅の反対側

汐留口と銀座口の間にも

鉄道に関連したものが置かれています。

 

車輪のようなものと石碑です。

 

車輪は

D51型蒸気機関車の動輪で

1976(昭和51)年に

総武・横須賀線乗り入れ記念として

札幌鉄道管理局から譲り受け

鉄道発祥の地である新橋駅に設置されました。

 

D51型機関車は

1936(昭和11)年に誕生し

10年間で1115両が製造されました。

 

こちらは『鉄道唱歌の碑』

 

『汽笛一声新橋を・・・』で始まる鉄道唱歌は

明治時代に作られた歌で

歌詞が344番まであるそうです。

 

この石碑は

作詞した大和田健樹の生誕100年を記念して

1957(昭和32)年10月4日の

鉄道開通85周年記念日に

縁ある新橋駅に建立されたものです。

 

JR新橋駅を後にして

汐留のオフィス街に向かうと

超高層ビルの谷間に

不思議な空間が現れます。

 

『旧新橋停車場』

 

日本最初の鉄道ターミナルだった

新橋停車場の駅舎の外観を当時と同じ場所に

できるだけ忠実に再現したものです。

 

こちらが初代の新橋停車場

アメリカ人のR.P.ブリジェンスの設計による

木骨石張りの構造で

1871(明治4)年5月に着工し

同年12月に完成しました。

 

1914(大正3)年12月に東京駅が開業し

新たな旅客ターミナルになったことにより

旅客営業が廃止され

貨物駅として再使用されることになり

駅名も『汐留』に改称されました。

 

旧新橋駅の旅客営業廃止とともに

現在の新橋駅の位置にあった電車線の『烏森』駅が

赤レンガの駅舎として建て直され

『新橋』駅に改称されました。

 

旧駅舎は関東大震災により焼失し

残存していたプラットフォームなども

1934(昭和9)年から始まった

汐留駅改良工事のため解体されました。

 

1986(昭和61)年

汐留駅はその使命を終えて廃止され

跡地の再開発に先立つ

埋蔵文化財の発掘調査が

1991(平成3)年に始まりました。

 

調査の結果

旧駅舎やプラットフォームなどの礎石が発掘され

1996(平成8)年に

旧駅舎とプラットフォームの一部の遺構が

史跡『旧新橋停車場跡』として国の指定を受けました。

 

遺構は良好な状態で発掘されたため

現地に埋め戻し

2003(平成15)年に

その直上に復元駅舎が建設されました。

 

『旧新橋停車場』には

礎石の見学窓が常設されるとともに

鉄道に関する企画展が随時開催されています。

 

入館は無料ですが

館内の撮影は全面的に禁止されています。

 

屋外のプラットフォームの脇にあるのは

『0哩(マイル)標識』。

 

鉄道建設に先立ち

1870(明治3)年4月

測量の起点となる第一杭が

この地に打ち込まれました。

 

1936(昭和11)年に

日本の鉄道発祥の地として

この標識と約3mのレールが復元されました。

 

こちらが『0哩標識』とともに復元された

創業当時のレールの様子です。

 

レールの断面が上下対照のI型で

『双頭レール』と呼ばれていたそうです。

 

1873年にイギリスのダーリントンで作られ

官設鉄道で使われた後

新潟県柏崎市の製油所で使用されていたもので

新橋停車場に敷かれていたものではありません。

 

次は新橋の隣

中央区銀座八丁目に移ります。

 

浜離宮への道すがら

銀座郵便局の脇に場違いなものがあります。

 

何処から見ても

鉄道の踏切信号機ですが

線路は見当たりません。

 

『銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機』

 

1935(昭和10)年

築地に中央卸売市場が開業すると

汐留駅と市場の間に荷物運搬用の

鉄道が敷かれました。

 

貨物線は1987(昭和62)年に廃線になり

この踏切信号も撤去される予定でしたが

地元の町会の方々などの尽力により

歴史の証として永久保存されることになりました。

 

鉄道が脱線することは

絶対に許されないことですが

私は時として・・・否、しばしば脱線します。

 

鉄道踏切から少し歩くと

ちょっとレトロな建物があり

その先の突き当りには白亜の建物が見えます。

 

学校でしょうか?

でも銀座八丁目に学校がある訳ないですよね。

 

『中央区立銀座中学校』

やはり学校でした。

 

何を隠そう実は私の母校です

廃校になってしまった小学校は銀座一丁目

中学校は銀座八丁目という

恵まれない環境の中で育ったため

こんな大人になってしまいました。

 

鉄道遺構をテーマにした記事ですので

これ以上の脱線は好ましくありませんので

今日はこの辺で終着にしておきます。

 

旧新橋停車場

東京都港区東新橋1-5-3

03-3572-1872

10:00-17:00

月曜日と年末年始は休館

※月曜日が祝祭日の場合は開館し翌火曜日が休館

入場無料

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都板橋区前野町です。