スピンオフ編~千葉県市川市行徳・消えゆく塩街道の街並みを偲ぶ『行徳街道』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は

千葉県市川市行徳の

『行徳街道』です。

 

最寄駅は

東京メトロ東西線『行徳』。

 

駅から駅前通りを5分ほど歩くと

押切のT字路に至ります。

 

ここが『行徳街道』の

ほぼ中間点になります。

 

1632(寛永9)年

行徳塩田で採れた塩を江戸に運ぶため

行徳川が整備されました。

 

その後

行徳と日本橋を結ぶ定期船が運行されると

成田詣に行く人々が行徳を訪れるようになり

現在の今井橋付近から行徳橋付近の間に

『行徳街道』が整備されました。

 

今回は

前述の押切T字路から北に歩いてみました。

 

市川市の案内図によると

この辺りに煉瓦塀の街並みがある筈なのですが

全く見当たりません

・・・取り壊されてしまったのでしょうか?

 

煉瓦塀はありませんが

右側に広場のような処があり

銅像が立っています。

 

衰退していたこの地のため

地下鉄東西線の誘致と行徳駅の開設に尽力した

田中幸之助氏の生誕地だそうです

・・・その方は存じ上げておりませんが。

 

広場には氏の胸像と

稲荷神社が祀られています。

 

そしてその間には

なにやら蛙のようなものが鎮座しています。

 

富貴と長寿を願う『ぽっくり蛙』

なんか『ぽっくり』という言葉が

長寿にそぐわないように感じます。

 

富を成し長寿を全うし

ぽっくりと逝く

家族は喜ぶかも・・・。

 

少し進むと

ようやく古めの家屋が現れました

理髪店のようですが現役ではなさそうです。

 

近くにあった石のごみ箱

平成生まれの方は見たことない代物でしょうね。

 

こちらも昭和の建物だと思いますが

隣の家屋のように

いずれは建て替えになるのでしょうか?

 

暫く進むと

右側に立派な日本家屋が見えます。

 

『後藤神輿店』の旧店舗。

 

行徳は江戸時代から

神輿づくりが地場産業として栄え

『後藤神輿店』はその元祖とも言われています。

 

既に廃業していますが

隣にある『後藤神仏具店』は

後身かもしれません。

 

築年は不明ですが

建物の要所要所に

素晴らしい細工がなされています。

 

特に2階の窓枠の彫刻は

素晴らしいものです。

 

まるで神社のような木鼻

神輿づくりの技が生かされています。

 

『電話二〇番』

局番も市外局番のありません。

 

亡くなった明治生まれの祖母の話では

1950年代半ばまでは

電話は自動ではなく

まず交換台を呼び出し

『〇〇地区の××番をお願いします』と伝えると

交換手が繋いでくれたそうです。

 

その頃の名残なのでしょうね。

 

『行徳街道』の東半分は全長1㎞ほどですが

その間に数か所のs字カーブやクランクがあります。

 

前掲のs字カーブの途中にある『藤井畳店』。

 

こちらも築年は不明ですが

現在でもご商売をされているようです。

 

『藤井畳店』の先には

古い家屋をリノベートした無料休憩所があり

うどんなどの軽い食事もできます。

 

無料休憩所の前にも

2階建ての立派な日本家屋があります。

 

前述の『後藤神輿店』とともに

行徳の神輿産業を支えてきた

『浅子神輿店』の旧店舗です。

 

現在は向いの休憩所と合わせて

『行徳ふれあい伝承館」として

1階部分が無料で公開されています。

 

『浅子神輿店』の創業は

室町時代末期と伝えられていますが

現在の建物は1929(昭和4)年の上棟です。

 

通りに面した部分は店舗で

重厚な屋根瓦の付いた切妻造り二階建て

それに続く奥の平屋は居住部分でした。

 

2009(平成21)年に市川市が取得し

翌年に国の有形文化財に登録されました。

 

当主は代々『浅子周慶』を襲名し

神仏具の製作を家業としていました。

 

仏師としての技術を生かし

神輿の製作を始めたのは明治に入ってからで

2007(平成19)年に廃業するまでに

約1000基の神輿を

全国に送り出したと言われています。

 

館内には神輿関係の展示のほかに

行徳市の歴史に関する資料も

数多く紹介されています。

 

無料休憩所の先にも

2階建ての古い家屋が残っています。

 

『笹屋うどん跡』

現在は営業していません。

 

詳しい創業時期は不明ですが

鎌倉時代の武将・源頼朝が立ち寄って

うどんを食べたと伝えられています。

 

この話が事実であれば

800年以上の歴史を持つことになります。

 

現在の建物は

1854(安政元)年の築で

江戸時代には船を待つ旅人がこの店で一休みし

土産に干しうどんを持ち帰るなど

たいそう繁盛していました。

 

『笹屋うどん跡』前の通りの先には

大きな石灯籠が見えます。

 

1812(文化9)年

成田山新勝寺の信者の有志が

江戸川の航路の安全祈願のために

建立した高さ4.3mの常夜灯です。

 

『行徳街道』に戻り

『笹屋うどん跡』の斜め前にあるのは

塩問屋を営んでいた『加藤邸』です。

 

明治時代後期の建築で

国の有形文化財に登録されていますが

現在でも加藤家の方がお住まいです。

 

破風には立派な鶴亀の彫刻があり

往時の繁栄を物語っています。

 

主屋の北側には煉瓦塀があります

・・・ようやく煉瓦塀が見つかりました。

 

主屋と同じく明治時代後期の築で

フランス積みの洋風の赤レンガ塀と

和風の母屋のコントラストが

趣きのある景観を生み出しています。


『加藤邸』のお隣にあるのは『澤木酒店』

1926(昭和元)年築だそうです。

 

THE昭和の商家の雰囲気を残す

素晴らしい趣きですが

自販機がちょっと邪魔ですね。

 

この日は休業日でしたが

現在でも酒店を営まれています。

 

こちらのお宅は

市の案内図には明記されていませんが

趣きのある建物です。

 

前掲の家の横を入ると

立派な石積みの蔵があります。

 

現在は蔵としては使われていないようですが

塩問屋の貯蔵庫だったのではないでしょうか。

 

ちかくにはもうひと棟

同じような蔵があります。

 

再び『行徳街道』に戻ると

大正ロマンが薫るレトロな建物が。

 

1916(大正5)年に建てられた

木造石張り2階建ての『平川医院』です。

 

洋風の屋根と和風の玄関が醸し出す

和洋折衷のファサードが

何とも言えない素晴らしさです。

 

今回は『平川医院』で散策を終わりました。

 

『行徳街道』沿いには

多くの神社仏閣がありますので

次回はそちらを中心に散策したいと思います。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都千代田区丸の内です。