スピンオフ編~東京都板橋区志村坂上・隠れキリシタンの燈籠がある真言宗の仏教寺院『延命寺』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。

 

今日は、東京都板橋区志村坂上の『延命寺』です。

 

最寄駅は

都営地下鉄三田線

『志村坂上』。

 

駅から徒歩5分

真言宗豊山派の寺院です。

 

立派な門柱が建っていますが

その先は閉鎖されています

・・・関係者以外立入禁止なのでしょうか?

 

門柱を過ぎて右手を見ると

山門らしきものが見えます。

 

門が開かれ

一般の参拝も許されているようです。

 

境内に入ると左手に

六地蔵が並んでいます。

 

1524(大永4)年

北条氏綱に江戸城を追われた上杉朝興は

河越城へと遁走しますが

その際にこの地にあった志村城でも

戦いが行われたと伝えられています。

 

志村城主篠田五郎の家臣であった見次権兵衛は

北条勢との闘いで息子権太郎の討ち死を目の当たりし

戦い終了後に息子を弔うために自宅を供して寺院とし

自らが開基となったのが

『延命寺』の始まりとされています。

 

山号は見次家に因み

『見次山』とされています。

 

立派な本堂ですが

1903(明治36)に火災に遭い

鐘楼と山門を残し全て焼失し

現在の堂宇はその後に再建されたものです。

 

江戸時代には

徳川歴代将軍が鷹狩のために

江戸近郊のこの地を度々訪れおり

『延命寺』は御膳処に充てられていました。

 

『御膳所』は台所の丁寧語で

将軍が鷹狩などの際に

休憩、食事をする場所としても使われていました。

 

本堂前の常香炉に置かれた鐘には

『天明八年』(1788年)の銘が刻まれています。

 

こちらは明治時代の火災でも

焼失を免れた鐘楼。

 

常香炉前に置かれた鐘と

現在使われている鐘との関係は不明です。

 

この寺で興味深いのは

鐘楼の裏側に置かれた石造物の数々。

 

小さな石仏や地蔵尊、板碑が

所狭しと並べられています。

 

中でも貴重なのは

『建長四年』(1252年)の銘が刻まれた

板橋区内最古の板碑です。

 

碑の表面に刻まれているのは

胎蔵界大日如来の種字である『अ』(ア)です。

 

種字は『しゅじ』と読み

密教において仏尊を象徴する一音節の呪文で

一例としては薬師如来が『भै』(バイ)

弥勒菩薩が『यु』(ユ)などが挙げられます。

 

今一つ興味深いのはこちらの燈籠で

隠れキリシタンの礼拝用と言われています。

 

竿の部分に刻まれているのは

聖母マリアと伝えられていますが

真義のほどは定かではありません。

 

こちらの記号のようなものは

ヘブライ文字を利用した

暗号ではないかと言われていますが

解明はされていません。

 

この一角には

まだまだ興味深いものが多くありますが

長くなりますのでこの辺にしておきます。

 

延命寺

東京都板橋区志村1-21-12

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国黒龍江省ハルビン市です。