スピンオフ編~東京都台東区上野・博物館の裏に潜む素晴らしい光景『東京国立博物館庭園』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都台東区上野の『東京国立博物館庭園』です。

 

 

最寄駅は

JR各線、東京メトロ銀座線/日比谷線の『上野』

または京成電鉄『京成上野』。

 

 

JR駅公園口から徒歩10分

『東京国立博物館』に入館します。

 

東京国立博物館は

誰もが知っている

日本最大級の博物館ですが

本館裏にある庭園は

あまり知られていません。

 

本館を始めとする

5つの展示館の展示規模が

あまりにも膨大なため1日がかりとなり

多くの入館者が庭を見る余裕がないからかもしれません。

 

 

庭園へは

本館と東洋館の間を進みます。

 

 

この素っ気ない入口の先に

素晴らしい日本庭園があります。

 

 

まず目に入るのは

銅製の五重塔。

 

1688(元禄元)年に

第五代将軍徳川綱吉が

法隆寺に奉納したもので

高さは5.7mあります。

 

最上部の相輪には龍が絡みつく

素晴らしいもので

望遠レンズで撮影しましたが

技量不足で見事失敗でした。

 

 

五重塔の斜め前には

『第二回内国博覧会の碑』があります。

 

明治政府は勧業政策の一環として博覧会を開催

その第一回から第三回の会場が上野公園でした。

 

1881(明治14)年に開催された第二回の会場は

ジョサイア・コンドルが設計した博物館旧本館でした。

 

 

『第二回内国博覧会の碑』の先には

園内に5棟ある茶室の一つ『春風蘆』が。

 

 

江戸時代の政商河村瑞賢が

摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所ですが

数奇な運命を辿っています。

 

工事完了後は大阪に移設され

その後、生糸輸出で財を成した

明治から昭和の実業家

原三渓によって横浜の三渓園に移されました。

 

そして1937(昭和12)年には

日本の電力業界で活躍した実業家

松永安左エ門に買い取られ

埼玉県所沢の柳瀬荘内に移築されました

 

1948(昭和23)年に

柳瀬荘が東京国立博物館に寄贈され

1959(昭和34)年に『春風蘆』が現在地に移されました。

 

木造平屋建て、入母屋造、茅葺き

座敷は5畳と3畳からなり

茶会や句会などに有料で貸し出されています。

 

 

『春風蘆』の近くには

初代博物局長(館長)

町田久成を顕彰する石碑が建っています。

 

町田は1865(慶応元)年に渡英し

大英博物館などを訪れ日本での博物館創設を志し

、帰国後初代博物局長として日本の博物館の基礎を築きました。

 

 

『春風蘆』からさらに進むと

『転合庵』があります。

 

江戸時代初期の大名茶人で

作庭家としても著名な小堀遠州が

桂宮から茶入『於大名(おだいみょう)』を賜った際に

その披露のために京都伏見の六地蔵に建てた茶室です。

 

その後

京都大原の寂光院など

数か所へ移築が繰り返され

最終的には1963(昭和38)年に

三共株式会社(現在の第一三共)の創業者

塩原又策の妻の千代から

東京国立博物館に寄贈され

現在地に移されました。

 

この日は茶会が開かれていたため

内部の見学はできませんでした。

 

 

『転合庵』に隣接するのは『六窓庵』。

 

慶安年間(1648~1652年)に

奈良の興福寺慈眼院に建てられたもので

1875(明治8)年に東京国立博物館 が購入

解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが

幸い材は流失をまぬがれて

1877(明治10)年に移築されました。

 

第二次大戦中に再び解体され疎開しま したが

1947(昭和22)年に現在の位置に再建されました。

 

 

付設された水屋、寄付、腰掛などは

1881(明治14)年に

古筆鑑定家の古筆了仲によって

設計、増築されたものです。

 

 

寄付に設けられた小さな空間

にじり口のようです。

 

このようなにじり口は

初めて見ました。

 

 

にじり口を入ると

こんな具合に腰掛が設けられています。

 

 

寄付と茶室の間にある手水鉢は

四方仏水盤といわれる形式のもので

925(延長3)年に関白の藤原忠平が建立した

法性寺(山城国)の石塔のひとつでした。

 

その後、銀閣寺を経て所有者が幾人か変わり

1885(明治18)年に博物館の所有になりました。

 

 

『六窓庵』から進むと

『応挙館』があります。

 

尾張国の天台宗寺院『明眼院』の書院として

1742(寛保2)年に建てられました。

 

後に

三井物産の設立に関わり

日本経済新聞の前身である『中外物価新報』を創刊した

茶人としても名高い益田孝の東京品川の邸内に移築され

1933(昭和8)年には博物館に寄贈され

現在地に移されました。

 

 

室内には円山応挙の墨画がありましたが

保存上の理由から現在は収蔵庫に保管され

2007(平成19)年に

最新のデジタル画像処理技術と印刷技術を駆使した

複製の障壁画が設置され

応挙揮毫当時の絵画空間が

応挙館に再現されました。
 

この日は貸し切りのため

残念ながら絵画空間を見ることができませんでした。

 

 

『応挙館』の隣には

『九条館』があります。

 

京都御所内の九条邸にあったものを

東京赤坂の九条邸に移した建築で、

当主の居室として使われていました。

 

1934(昭和9)年に九条家から寄贈され

現在の位置に移築されました。

 

 

木造平屋建て、瓦葺き、寄棟造

間口15m、奥行き10m

2室で廻り廊下が巡らされています。

 

 

床張付、襖などには狩野派による楼閣山水図が描かれ

欄間にはカリンの一枚板に藤花菱が透かし彫りされています。

 

 

『九条館』の前に置かれた陶製の灯籠は

明治時代の京焼の陶芸家

四代清水六兵衛の作品で

明治41(1908)年の銘があります。

 

1938(昭和13)年に

四代の次男で陶芸家の五代清水六兵衛から

博物館に寄贈されました。

 

 

博物館本館と茶室群の間には

小さな池があります。

 

 

池には何羽もの鴨が生息し

水浴びを楽しんでいました

・・・訪れたのは11月初旬。

 

 

池の畔に茂る樹木が

池のその姿を映し

美しいシンメトリーを織りなしています。

 

 

茶室が貸し出されていたため

室内を見ることできませんでしたが

外観だけでも見応えのあるものでした。

 

博物館と抱き合わせで見ることは

時間的に無理がありますが

庭園を散策するだけでも価値はあると思います。

 

東京国立博物館

東京都台東区上野公園13-9

03-3822-1111

9:30-17:00

月曜日休館

入館料 1000円

※事前予約が推奨されています。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、神奈川県厚木市本厚木です。