スピンオフ編~東京都北区十条・負の遺産巡りで改めて感じました『東京第一陸軍造兵廠遺構』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都北区十条の『東京陸軍第一造兵廠遺構』です。

 

 

最寄駅は

JR京浜東北線、東京メトロ南北線の『王子』

都電荒川線(東京さくらトラム)の『王子駅前』

またはJR埼京線の『十条』。

 

今回は王子駅を起点とし

王子駅に戻るルートを取りました。

 

 

『東京第一陸軍造兵廠』は

1905(明治8)年に

小石川にあった『東京砲兵工廠』から

鉄砲製造所が分離し

現在の北区立中央公園と

陸上自衛隊十条駐屯地辺りに

移転したことに始まります。

 

 

その後の何回かの組織改編を経て

1940(昭和15)年に東京第一陸軍造兵廠となりましたが

第2次世界大戦の終戦により

1945(昭和20)年に廃止となりました。

 

最盛期には

22棟の煉瓦造りの建物がありましたが

順次解体され

建物として完全に残っているものは殆どありません。

 

それでは遺構巡りツアーを始めます。

 

JR王子駅前から

『北本通り』を400mほど北上した五差路で

都道455号線を左折します。

 

300mほど進むと

JRの跨線橋『南大橋』の西詰高架下に

小さな公園があります。

 

 

『ちんちん山児童公園』

なんの変哲もないミニ公園ですが

ここに遺構の一つがあります。

 

 

遺構#01 『造兵廠電気鉄道モニュメント』

 

かつてこの場所には

造兵廠で製造された軍需物資を運ぶ

軍用電気鉄道が通っていました。

 

その鉄道のトンネルのアーチの一部が

モニュメントとして残されています。

 

ちなみに公園名の『ちんちん』は

軍用電気鉄道がちんちんと音を鳴らしながら

通っていたことに由来しています。

 

 

南大橋下のトンネルを200mほど進むと

突き当りに北区立中央公園があり

それに隣接して陸上自衛隊十条駐屯地があります。

 

駐屯地内へは立入禁止ですが

一か所だけ一般に開放されているところがあります。

 

 

遺構#02 『旧変圧所モニュメント』

 

1918(大正7)年に

変圧所として建てられた建物の一部を

モニュメントとして保存したもので

駐屯地への出入口ではありません。

 

 

旧変圧所モニュメントから

駐屯地に沿って100mほど南に進むと

煉瓦造りの素敵な建物が現れます。

 

 

遺構#03 『北区立中央図書館』

 

1919(大正8)年に建てられた

東京砲兵工廠銃包製造所の

弾丸鉛身場・薬莢工場。

 

 

現在は

中央図書館の一部として活用されています。

 

 

図書館メインの建物との接続部にも

往時の赤煉瓦壁の一部が残されています。

 

 

建物内部は

一部がフリースペースとして開放され

飲料や軽食の販売コーナーも設置されています。

 

奥にある図書館との境目に見える

ジグザグ構造のラチス柱は

建設当初からのものです。

 

 

天井には

建設当初からのトラスが

保存・活用されています。

 

 

側面はこんな感じでとても素敵です

・・・左側の鉄柵の中が駐屯地です。

 

 

中央図書館東側のバス通りを

200mほど南下し

紅葉橋交差点を右折すると

右側に白亜の建物が見えます。

 

 

遺構#04 『北区中央公園文化センター』

 

遺構の中で唯一完全な形で残っているもので

1930(昭和5)年に

前身の『陸軍造兵廠火工廠』本部として建設され

東京第一陸軍造兵廠になってからも

本部として使用されていました。

 

 

建設当時は茶系のスクラッチタイルだったそうですが

第二次世界大戦後に米軍が接収し

王子キャンプとして使用していた時に

白く塗ってしまったとのことです。

 

 

設計者は明確にされていませんが

東大安田講堂や公衆衛生院などを手掛けた

内田祥三の影響を感じます。

 

 

区民の学習・文化活動の場として利用されていますが

活動の邪魔にならない範囲で

内部を見学することもできます。

 

 

中央公園を出て

自衛隊駐屯地の西側を200mほど北に進むと

『北区立十条富士見中学校』があります。

 

 

遺構#05 『十条富士見中学校煉瓦塀』

 

校舎内外の塀には

東京第一陸軍造兵廠で使われていた

赤煉瓦の一部が使用されています。

 

 

再び中央公園に戻り

滝野川四丁目の変則交差点を

石神井川方面に進みます。

 

50mほど進むと

右側に不思議な建造物が現れます。

 

 

遺構#06 『東京第一陸軍造兵廠滝野川分工場詰所』

 

憲兵詰所とも衛兵詰所とも伝えられていますが

事実かどうかは明確にされていません。

 

 

憲兵詰所(?)の前のバス通りを進み

石神井川に架かる橋を渡って

一つ目の信号を右に曲がると

左側に神社があります。

 

 

遺構#07 『四本木稲荷神社』

 

この神社は『四本木(よもとぎ)稲荷神社』と言い

十条の東京第一陸軍造兵廠の鎮守として

現在の中央公園の稲荷公園辺りに鎮座していた

四本木稲荷神社を勧請

造兵廠滝野川分工場の鎮守としたものです。

 

第二次世界大戦後の米軍の接収に伴い

十条の社殿がこの地に移設され

滝野川分工場の社殿は境内社となりました。

 

 

境内には1917(大正6)年に

滝野川分工場の断裂した圧磨機圧輪を

転用して建立した『忠魂碑』が残っています。

 

 

軍需工場の遺構という

負の遺産を巡り

二度と同じ間違いを繰り返してはならないと

改めて痛感しました。

 

そして

防衛費を倍増させると叫ぶ

キチガイ女が宰相にならなくて

本当に良かったと思っています。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国福建省厦門(アモイ)市です