放浪編~遠い遠い昔の話ですが私の旅の原点です『初めての海外の旅』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回は放浪編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、初めての海外の旅についてお話しします。

 

 

私が初めて海外を旅したのは

1967(昭和42)年のこと。

 

11月から翌年1月まで

3か月ほど

東南アジアを中心に回りました。

 

まだ海外を旅することが

非常に珍しかった時代で

出国までもいろいろ大変でした。

 

持ち出せる外貨は500米ドルまで

1ドル360円の時代ですので18万円。

 

その他に日本円で2万円まで

持ち出すことができました。

 

東京の下町で生まれ育ったもので

隣近所は親類のようなもの。

 

いまでは考えられないことですが

未成年者が海外に行くということで

餞別だけで10万円以上集まりました。

 

 

パスポートは現在のような数次旅券ではなく

1回限りのものでした。

 

発行の日から帰国するまで有効で

10年以上海外に滞在したとしても

再申請は不要でした。

 

ただし発行の日から6か月以内に

出国しないと失効してしまいます。

 

また

渡航先という欄があり

申請の時に申告した国以外には

渡航することはできませんでした。

 

 

現在でも

黄熱病汚染地域に滞在したり

通過した場合には

『黄熱病予防接種証明書』

通称イエローカードを提示しないと

入国できない国がありますが

当時は汚染地域滞在、通過の有無に関係なく

イエローカードが必要でした。

 

 

未成年者の貧乏旅行ですので

旅行社で事前にホテルを予約するなど

高嶺の花です。

 

といって

インターネットはもとより

ガイドブックすらほとんどない時代でしたので

現地に到着してからホテルを探すことになります。

 

一抹の不安はありましたが

生来の楽天家ゆえ

行けば何とかなるのノリで

日本を後にしました。

 

航空会社は

キャセイ航空を選び

まずは台北へ。

 

 当時は二国間航空協定がなく

どの航空会社も

第三国の都市を経由することができました。

 

こちらは当時の台北駅

現在とは全く様相が違います。

 

まだ蒋介石が存命のころで

駅には『光復大陸』~大陸を取り戻す

そう大きく書かれていました。

 

閑話休題

 

さて台北駅についたものの

現在のように観光案内所などはありませんので

図々しくも駅の事務所に行き

安宿を紹介してくれるようお願いしました。

 

当時から

台湾の方は優しく親切で

嫌な顔一つせずに

駅の裏にある安宿を教えてくれました。

 

 

台北には2泊し

街歩きを楽しみました。

 

こちらは孔子廟

現在とほとんど変わらない姿です。

 

 

台北からは

同じキャセイ航空で香港へ。

 

スターフェリーの埠頭

現在の香港市民や観光客は

九龍と香港島間を地下鉄で往来しますが

トンネルも地下鉄もなかった当時は

スターフェリーが唯一の公共交通手段でした。

 

 

香港観光のハイライトといえば

ショッピングと夜景。

 

夜景のビュースポット

ビクトリアピークへはケーブルカーで登ります。

 

急勾配を楽しみながら15分ほどで

ビクトリアピーク駅に到着。

 

 

この頃の中環(セントラル)には

超高層ビルがまだ無く

斜面に立ち並ぶ高層ビルのネオンが

ビクトリアハーバーに映し出され

現在とは違った幻想的な夜景を

楽しむことができました。

 

 

香港仔(アバディーン)

香港島の裏側に位置し

『ジャンボ・フローティング・レストラン』などで

有名な観光地です。

 

正面にみえるのが

ジャンボ・フローティング・レストランで

手前の小舟はサンパンと呼ばれ

レストランを訪れる客の

水上タクシーのような役割を果たしていました。

 

 

香港には1週間滞在し

何とか中国の広州まで行こうと

連日中国旅行社に通いました。

 

しかし

日中間に国交がない時代

得体のしれない未成年者に

入国の許可が下りる筈はありません。

 

しかたなく

国境近くの『上水』駅まで鉄道で行き

小高い丘にある落馬洲の展望台へ。

 

展望台の先に見えるのは深圳

現在の大都市を思い浮かべることはできません。

 

 

香港からカンボジアのプノンペンへ飛び

ローカルバスに乗り換え

シェムレアプへ。

 

シェムレアプには1週間滞在し

レンタサイクルで

アンコールワット、アンコールトムなど

遺跡群を回りました。

 

こちらは

アンコールワットの正面

まだ入場無料でした。

 

 

アンコールトム遺跡の中央にある

バイヨンの四面塔。

 

バイヨンは

ヒンドゥー教と仏教の混交寺院で

現地の方はバヨンと発音していました。

 

 

アンコール遺跡は19世紀中頃

フランス人学者によって発見されましたが

いまだ発掘調査中でした。

 

 

シェムレアプから再び

ローカルバスでプノンペンへ戻り

空路バンコクへ。

 

バンコクには1週間滞在する予定でしたが

ひょんなことから知り合った

高校生の下宿(寺の宿坊)で

1か月間お世話になってしまいました。

 

こちらは

バンコク市内を流れる

チャオプラヤ川。

 

正面の遠くに

ワット・アルンが見えます。

 

 

そのワット・アルンがこちらです

現在でもバンコク観光の

ハイライトの一つですね。

 

 

市内の運河のいたるところに

水上マーケットがありました。

 

観光客用ではなく

市民の日常生活を担う

大切な商業施設でした。

 

 

バンコク近郊のアユタヤにある

ワット・ロカヤ・スタラームの涅槃仏。

 

15世紀半ばに建立された寺院ですが

18世紀半ばにビルマ軍により

涅槃仏などを除く寺院のほとんどの部分が

破壊されてしまいました。

 

28mある巨大な涅槃仏で

ある意味バンコクのワット・ポーにある

黄金の涅槃仏より迫力があります。

 

 

バンコクからは

国際列車でマレーシアのジョージタウンへ

・・・もちろん三等車です。

 

ジョージタウンからフェリーで

対岸のペナン島へ行き

4日滞在した後に

列車でクアラルンプールへ。

 

クアラルンプール駅は

イスラム色の強いデザインで印象的でした

・・・この部分は現在でもほぼ同じ形で残っています。

 

 

クアラルンプールからは

ローカルバスでマラッカを経由し

シンガポールへ。

 

ラッフルズプレイス

今や超高層ビルに囲まれた

近代的な金融街になっていますが

当時はコロニアル風の低層ビルが並ぶ

素敵な広場でした。

 

 

シンガポール川

現在ではレストランやバーが立ち並ぶ

クラークキーなどのナイトスポットですが

当時はこのような光景でした。

 

 

少々記憶があやふやになっていますが

ジャンクの向こうに見える

タウンハウスの連なる場所が

クラークキーだと思います。

 

 

貧乏旅行では

地元の方に愛される

ローカルフードに徹します

・・・今でも貧乏なので変わりませんが。

 

美味しい焼きそばや炒飯が

日本円で20円程度。

 

 

シンガポールからは

貧乏旅行者ご用達の

フランス郵船三等船室に乗り

14日間掛けて

バンコク、マニラ、香港、神戸と寄港し

横浜で下船しました。

 

この旅を原点とし

台湾1か月、中近東3か月、北米2か月

スペイン・ポルトガル1か月などなど旅を続け

現在に至っています。

 

2019年秋に予定していた

中国5週間の旅を

個人的な都合でキャンセルしたため

2020年春の台湾5週間の旅は

行く気満々でいました。

 

しかし

憎きコロナのせいで

キャンセルを余儀なくされ

日本幽閉は2年におよびます。

 

今年の秋には

何とか中国へと考えていましたが

無理のようで発狂寸前です。

 

これ以上書いていると

ご迷惑を掛けそうな気がしますので

今日はここまでにしておきます。

 

長時間お付き合いいただき

ありがとうございました。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都内某所です。