スピンオフ編~東京都千代田区神田・ビルの谷間に昭和が残る町/第一話『神田多町』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都千代田区の『神田多町』です。

 

 

1971(昭和46)年に実施された

住居表示に伴う町名変更により

東京の多くの町から

『町』の字が消えました。

 

千代田区も住居表示の実施に際し

『神田』という冠称は使わないこと

そして『町』を外すことを決定しました・

 

しかし

我が町に愛着を持ち

権力による町名変更に反対した神田地区では

『神田〇〇町』の旧町名が残り

住居表示は未実施になっています。

 

今回はそんな『神田』を冠称した町を

ぶらぶらと歩いてみました。

 

第1回目は『神田多町』です

かんだ たちょう~と読みます。

 

スタートは

JR神田駅西口から。

 

駅西口前を南北に走る

通称『多町大通り』を北に向かいます。

 

 

100mほど進むと

通称『神田警察通り』との交差点に至ります。

 

ここから南北約200m、東西約100mの

神田多町二丁目が始まります。

 

神田多町には二丁目がありますが

一丁目はありません。

 

何故?

 

前述の町名変更に際し

区の方針に賛同した神田多町1丁目は

『内神田』の一部となり

旧町名は消失しました。

 

その時に何故神田多町二丁目を

単に『神田多町』にしなかったのかは謎です。

 

 

南北に走る多町大通りは

一見普通の都会の光景ですが

所々にTHE昭和な光景が残っています。

 

 

交差点を過ぎ

すぐ左側に現れる看板建築は

老舗豆腐屋の『越後屋』。

 

因みに看板建築とは

1923(大正12)年の関東大震災以降

鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない

中小規模の商店によって数多く建設された

洋風の外観を持つ店舗併用の都市型住宅です。

 

その多くは木造で

外壁に不燃材の銅板を貼ったものです。

 

 

こちらの越後屋でもお分かりのように

外壁の銅板に看板を取り付けたことから

一般的に看板建築と呼ばれています。

 

しかし

その名称は後の研究者が付けたもので

大正末期から昭和初期にかけては

『街路建築』と呼ばれていました。

 

 

建物は関東大震災後に建てらたものですが

豆腐屋自体は

20世紀初頭(明治時代後期)創業

110年以上の歴史があります。

 

名物は『バケツ豆腐』

木製のお櫃を使い

国産大豆から作った寄せ豆腐ですが

おぼろ豆腐とは違うとのこと。

 

 

この日は

プラスティックのケースに

移したものしかありませんでしたが

見せて頂けました

・・・この距離で大豆の香りが漂っていました。

 

 

越後屋から50mほど進むと

多町二丁目の交差点になります。

 

右角にも看板建築の家が・・・

詳細は不明です。

 

 

交差点の左角は空き地になっていますが

その隣にも看板建築の家があります。

 

 

交差点から1ブロック進むと

左側に出桁造りの立派な家屋が。

 

国の登録有形文化財

『松本家住宅主家』です。

 

出桁(だしげた)造りとは

軒が大きく前面に張り出した家屋で

江戸時代から大正時代までの

一般的な商家の建築様式の一つでした。

 

 

1931(昭和6)年竣工

切妻屋根の木造二階建て一部三階建て

建築面積は137㎡あります。

 

 

松本家は元青果問屋

屋号は『松本長次郎』

銅製の雨樋には

商標の『山長』が施されています。

 

 

玄関灯

不思議なデザインですが

粋を感じますね。

 

 

現在もお住まいで

2階には御簾が掛けられています

・・・高欄のデザインが素敵ですね。

 

 

建て増ししたのでしょうか

表半分と裏半分では

二階の窓の高さが

微妙に異なっています

・・・内部がどのようになっているか興味津々。

 

 

松本家の横の路地を入ると

右側に小さな神社があります。

 

『松尾神社』

明治初期の創建ですが

社殿は何回か移転しているようです。

 

現在地に移されたのは

1930(昭和5)年頃とされていますが

創建時や移転時の場所については

不明のようです。

 

 

鉄製の門扉で閉ざされ

社殿に近づくことはできませんが

立派な破風が見られます。

 

 

向拝虹梁の彫刻はねずみ(?)

初めて見ました。

 

 

再び多町大通りに戻り

30m程進むと右側に

二軒長屋の看板建築が。

 

1945(昭和20)年創業の『サカエヤ』

暖簾にミルクホールと書かれていますが

メニューはカレーとラーメン系だけ。

 

先代がやってらっしゃった頃は

アイスクリーム、あんみつ、かき氷などを出す

甘味喫茶でした。

 

二代目のご主人になってからは

カレーとラーメン類に特化しましたが

ご両親の代からの看板なので

外すつもりはないとのことです。

 

 

通常は午後4時までの営業ですが

コロナの影響でしょうか

当面の間は午後1時30分で閉店。

 

 

サカエヤの角で

神田多町二丁目は終わります。

 

ここから先(画像右側)は

『神田須田町一丁目』になります。

 

 

神田散策はまだまだ続きますが

長くなりますので後日改めてアップします。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国福建省厦門(アモイ)市です。