スピンオフ編~東京都大田区南馬込・町のランドマークとして今も親しまれる『時計台のある家』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都大田区南馬込の『時計台のある家』です。

 

 

最寄駅は

都営地下鉄浅草線の終点

『西馬込』。

 

 

駅から徒歩10分

閑静な住宅街に

突如不思議な光景が現れます。

 

和風家屋の屋根に

洋風の時計台。

 

 

実はこの時計台

元々はこの家の前にある

『馬込小学校』にあったものなのです。

 

 

馬込小学校は

1878(明治11)年の開校。

 

140年以上の歴史がありますが

時計台が設置されたのは

大改築が行われた1925(大正14)年。

 

校舎の屋根に取り付けられ

以来37年間にわたり

児童や近隣の住民に愛され続けてきました。

 

 

その時計台が

なぜ民家の屋根にあるのでしょう?

 

1962(昭和37)年

再び馬込小学校の大改築が実施され

老朽化した時計台は

取り壊されることになりました。

 

長年親しまれてきた

時計台が失われることを惜しんだ

小学校の前に住む河原さんが

区に引き取りを申し出で

自宅の屋根に取り付けました。

 

時計台本体の高さは4m

避雷針の長さが2.5m。

 

河原家の移設されてからも

町のランドマークとして

親しまれています。

 

余談になりますが

河原家住宅のほとんどが

旧校舎を再利用した建てられたもので

2000(平成12)年に

国の登録有形文化財に登録されています。

 

 

100年近い歴史を持つ時計は

現在では時を刻む役割を終え

5時過ぎで止まっています。

 

 

望遠レンズで撮影した画像を

自宅で整理していると

おかしなことを見つけました。

 

『KOSEISH●』

最後の一文字が短針に隠れ

判読できませんが

『A』で間違いないと思います。

 

ということは

KOSEISHA

・・・SEIKOSHAじゃないの!

 

気になって調べましたところ

1890(明治23)年頃に創業した

『光星舎』という時計メーカーが

1960年代まで柱時計などを製造していた

という情報までたどりつきました。

 

ところが

『東京時計小売組合史』という

業界団体のクロニクルによると

光星舎の創業は1950(昭和25)年で

時計台設置年との整合が取れません。

 

いずれにせよ

『精工舎』製の時計ではないことは

確かなようです。

 

 

中途半端な結末の記事で

まことに申し訳なく思います。

 

お詫びのしるしと言っては何ですが

付録を付けます。

 

河原家の並びに

素晴らしい建物があります。

 

 

 

平屋部分の屋根がすでに朽ち落ち

廃屋であることは間違いありません。

 

 

2階建て部分の屋根に取り付けられて

立派な鬼瓦は

それなりの由緒ある家だったことを

物語っています。

 

 

しかし

何故このように放置されているのでしょう?

 

結局付録もあやふやの内容になってしまい

お詫びのしようがありません。

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、東京都荒川区南千住です。