スピンオフ編~千葉県松戸市・徳川家の栄枯盛衰を物語る『戸定邸』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、千葉県松戸市の『戸定邸』をテーマにします。戸定と書いて『とじょう』と読みます。

 

 

最寄駅は

JR常磐線、新京成線

『松戸』。

 

 

駅東口から徒歩10分

『松戸市戸定歴史館』の看板が立つ

緩やかな坂道を上ります。

 

 

坂に突き当りにある階段の先の

茅葺の門が

『戸定邸』、『戸定歴史館』

『戸定が丘歴史公園』への入口です。

 

 

門をくぐると

右側に戸定邸の入口があります。

 

江戸幕府最後の将軍

『徳川慶喜』の弟の

『昭武』の屋敷だった建物です。

 

 

1884(明治17)年に

2年間の建築期間を経て

座敷開きが行われ

その後の増築を経て

現在の形になりました。

 

木造平屋一部二階建

部屋数は23あります。

 

 

中庭に面した廊下を進むと

左手に内蔵が現れます。

 

 

内蔵には

葵紋付長持と蟹牡丹唐草文鉢が。

 

長持は

徳川慶喜公の孫にあたる『喜久子妃』が

昭和天皇の弟の

高松宮宜仁親王に嫁ぐ際の

婚礼調度の一つだったもので

喜久子妃の甥で

慶喜家第四代当主であった

徳川慶朝氏から寄贈されたものだそうです。

 

文鉢は

中座敷の前の中庭に

置かれていたもので

昭武氏が

金魚の飼育や水蓮のを育てるのに

使っていたようです。

 

 

廊下の突き当りには

表座敷棟が。

 

基本的には

江戸時代の大名屋敷の

系譜上にありますが

大政奉還により

徳川家が権力の座を離れたため

装飾は最小限に留められ

非常に質素な感じを受けます。

 

反面

最上級の杉板が

ふんだんに使われるなど

贅を尽くした部分も

多く見られます。

 

 

表座敷棟からは

書院造庭園を通し

関東平野を一望

晴れた日には

遠く富士山を望むことができます。

 

 

表座敷棟の一室の床の間には

一体の甲冑が展示されています。

 

Last Shogun慶喜公の甲冑

・・・と言っても本物は

静岡県の『久能山東照宮博物館』に所蔵され

こちらにあるのは

ボール紙、ペンキ、ニスなどを使用し

本物を模して手作りしたものです

・・・でもよくできています。

 

 

江戸時代の大名屋敷では

来客と家族の部屋は

別の棟にありましたが

戸定邸の表座敷棟には

『御居間(ごいま)』と呼ばれる

昭武氏の居室がありました。

 

昭武氏はこの部屋から眺める富士山に

特別のこだわりがあり

自らの居室にしたようです。

 

 

表座敷棟と中座敷棟をつなぐ

廊下にある小部屋。

 

1921(大正10)年以降の増築部分で

昭武氏の孫夫婦が新婚時代に

朝の洗面所として使っていた部屋。

 

床に膝をつき

かがんで洗面を行ったそうです。

 

 

中座敷は

表座敷と奥座敷に

南北を挟まれ

東側には台所があるため

開口部は西側だけで

日当たりはよくありません。

 

昭武氏は

子供を6人授かりましたが

子供が増えるにつれ部屋が必要となり

空いたスペースに無理に増築したのが

中座敷棟と考えられています。

 

 

奥座敷棟は

『八重の間』とも呼ばれています。

 

昭武氏の後妻となった

八重さんがここで暮らしていました。

 

 

奥座敷棟からは

湯殿棟へ続く渡り廊下が。

 

 

家族や来客が使った浴室。

 

浴槽は昭和初期のもので

昭武氏存命時のものではありません。

 

 

渡り廊下を戻ると

右手に離座敷棟が見えます。

 

 

戸定邸落成から2年後

1886(明治19)年に

昭武氏の生母の秋庭(しゅうてい)さんのために

増築された建物です。

 

 

床の間のある部屋は

八重の間と似た造りになっています。

 

 

西側の崖地は

樹林になっていますが

建築当初は樹木が伐採され

江戸川や富士山を

望むことができたそうです。

 

 

戸定邸の主要な部分は

これで終わりになりますが

見逃せないのが

表座敷棟の前に広がる

書院造庭園です。

 

 

普段は庭に下りることはできませんが

毎月10日、20日、30日は

『戸定の日』として

自由に庭を散策することができます。

※雨天の場合には翌日

 

 

書院造庭園とは

安土桃山時代に

支配階層となった上層武士が

好んで住んだ書院造と呼ばれる

邸宅に作られた庭のことです。

 

武士の権威を印象付ける目的から

大柄で色鮮やかな庭石を用いるなど

派手な印象が特徴です。

 

しかし

戸定邸の書院造庭園は

建物同様に派手な演出を避け

シンプルな印象になっています

・・・とても素晴らしいです。

 

 

奥に配された数本の大木は

質素な中にも剛健さをもたらし

武士の権威ではなく

威厳を表しているように見えます。

 

 

庭を愛でた後は

表座敷棟に戻り

最後の部屋に向かいます。

 

その途中にトイレがありますので

是非お立ち寄りください

・・・尿意がなくとも。

 

 

トイレに至る狭い廊下には

なぜか古めかしい金庫があります。

 

 

金庫の隣にトイレが・・・

ただしこちらは

現役ではありませんので留意のほど。

 

来館者用のトイレは

この先にあります。

 

 

受付の前の廊下の突き当りには

使者の間棟があります。

 

皇室や華族など大切な方の使者や

身分の高い来客のお供の人々は

ここで用件を伝えたり

主人の用が終わるのを待っていました。

 

 

この棟には

特徴的なものが

いくつかあります。

 

その一つが

欄間の模様で

福を招くとされている

蝙蝠が舞っています

・・・蝙蝠ってイメージ良くありませんが

招福の動物だったのですね。

 

 

二つ目は柱。

 

来客用の部屋の柱には

割れやすい木の中心部は

使いませんが

ここでの柱は中心部を使っていて

不規則に割れるのを避けるため

外側に面した部分を

意図的に割っています。

 

 

三つ目は押入れの床板。

 

見事な欅の一枚板で

押入れに使われることは異例です。

 

 

駄目押しにもう一つ。

 

障子の組子の一部に

弧のような細工があります。

 

正確な理由は不明ですが

風で音が立つことを

防ぐためではないかと

考えられています。

 

 

最後の最後に中庭に戻り

建物の鬼瓦を見ると

中心に葵の御紋が。

 

 

何となく

徳川家の栄枯盛衰を

感じることができる施設です。

 

長い時間お付き合い頂き

有難うございました。

 

戸定邸

千葉県松戸市松戸714-1

047-362-2050

9:30-17:00

月曜日休み

入館料250円

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、千葉県松戸市です