スピンオフ編~台湾高雄市・製糖工場跡がそのまま残る『台湾糖業博物館』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、台湾高雄市の『台湾糖業博物館』をテーマにします。

 

 

高雄市は

首都台北の南約300㎞

人口約278万人。

 

近代的なビルが林立する中に

日本占領時代の建物も

多く残存しています

・・・こちらは日本人が作った旧高雄駅。

 

 

今回ご紹介する

『台湾糖業博物館』の最寄駅は

MRT紅線(Red Line)『橋頭糖廠』

『高雄車站』から30分弱。

 

 

駅からMRTの線路沿いに徒歩5分

『糖』の字が大きく書かれた看板が目印の

入口に至ります。

 

サトウキビが主要な農産物であった台湾では

かつては製糖業が主力産業でした。

 

20世紀に入ると

日本が新式の製糖工場を各地に建設し

日本敗戦後は中華民国が引き継ぎました。

 

これが『台湾糖廠』で

通称『台糖』と呼ばれています。

 

高雄の工場は

1901年に日本が建設したものですが

製糖業が下火となった現在は使用されていません。

 

 

入場は無料

いかにも南国らしい

ヤシの木の並木道を進みます。

 

 

敷地は広大で

全てを回ると

一日では足らないくらいです。

 

今回は建物を中心に

ハイライトだけをご紹介します。

 

こちらは1940年建てられた『廠長宿舎』

日本占領時代も日本撤退後も

工場長の宿舎として使用されていました。

 

その後何回か改装、修復が行われていますが

外観はほぼ建設当時のままです。

 

残念ながら

中に入ることはできません。

 

 

建物の裏には

日本風の庭が広がっています

さすが工場長の宿舎ですね。

 

 

敷地内には

幹部社員専用の防空壕が。

 

製糖の過程で

軍用車両に使用できる燃料が

この工場で製造されていたことから

米軍による空襲の重点目標になっていたそうです。

 

 

こちらは『副廠長宿舎』

同じく1940年に建てられ

日本占領時代は

工場付属の診療所でした。

 

日本撤退後は

副工場長の宿舎として

使用されていました。

 

 

廠長宿舎と副廠長宿舎の先には

コロニアル様式の洋館があります。

 

『社宅事務所』とされていますが

社員の住居ではなく

事務所棟だったものです。

 

よく見ると

上部に穴がいくつもあります。

 

第二次世界大戦中

敵に攻められても防御できるよう

銃眼として開けられたものです。

 

現在は

『橋頭糖廠環境学習中心』となり

各種イベントに利用されています。

 

 

建物を取り囲む回廊は

日本が建設したにも関わらず

欧風のコリドーそのものです。

 

 

しかし

一部に日本式の引き戸があり

そのアンバランスさが

なんとも言えません。

 

 

社宅事務所の近くには

『聖観音像』が。

 

1902年に

当時社長だった鈴木藤三郎が建立したもので

日本人社員を『抗日』から守ると同時に

台湾人社員の会社への忠誠心を高めることが目的でした。

 

 

こちらのコロニアル風の瀟洒な建物は

1901年に建築された『社員倶楽部』。

 

利用できたのは

日本人の幹部社員のみだったのでしょうね。

 

 

現在は『製糖文物館』として

工場で使用されていた器具などが展示されています。

 

ひと際目立つところに置かれている胸像

誰なのでしょう。

 

 

旧5000円札の肖像にもなっていた

『新渡戸稲造』です。

 

1901年に技師として

台湾総統府に派遣された新渡戸は

砂糖局長などを歴任し

台湾の製糖業の近代化と発展に尽力しました。

 

 

旧社員倶楽部の前の広場には

『五分車』が並べられています。

 

かつて工場まで

サトウキビを運んでいた鉄道で

レールの幅が762㎜で

国際標準軌(1435㎜)の半分しかなかったので

『五分車』と呼ばれていました。

 

 

広場には

『防空洞~戦時指揮中心』が。

 

日本人が作った防空壕を

戦後も中国本土との戦争を想定して

使用していた時期があったようです。

 

 

この防空壕は

中に入ることができます。

 

 

細長い通路が

100mほど続きます。

 

 

突き当りの急なはしごを昇ると

五分車の反対側に出ます。

 

 

工場跡も

そのまま残されており

自由に内部に入ることができます。

 

 

出来上がった砂糖を運搬した

ベルトコンベイヤーも残されています。

 

 

工場内には往時の設備が残り

廃墟マニアには垂涎の光景。

 

日本ではこういう施設を

安全面への配慮という建前で

取り壊したり手を加えたりしますが

台湾ではそのままの状態で

残されているものが多くあります

・・・歴史を伝えるうえで大事なことですね。

 

 

本日ご紹介したのは

博物館のほんの一部に過ぎません。

 

次回は

レンタサイクルで一日掛け

見られなかった所を

じっくりと回るつもりです

 

台湾糖業博物館

 

中華民国高雄市橋頭区糖廠路24號

886-7-611-3691

9:00-16:30

年中無休

入場無料

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国黒龍江省ハルビン市です