スピンオフ編~東京都荒川区南千住・柔和な眼差しの巨大観音像『円通寺』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都荒川区南千住の『円通寺』をテーマにします。

 

 

最寄駅は

JR常磐線、東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレス

『南千住』。

 

 

駅から5分程歩き

『日光街道(国道4号線)』と

『千住間道』の交差点に至ると

ちょっと不思議な光景が目に入ります。

 

七重の塔のようにも

パゴダのようにも見えます。

 

余談ですが

左手に小さく見えているのは

東京スカイツリーです。

 

 

日光街道沿いに

三ノ輪方面に進むと右側に

パゴダを中心とする

エキゾティックな建物が現れます。

 

 

『補陀山円通寺』

791(延暦10)年に

坂上田村麻呂が開祖したと伝えられる

曹洞宗の寺です。

 

 

本堂の上に聳える

パゴダに納められているのは

金色に輝く巨大な観音菩薩。

 

 

柔和なご尊顔の

観音菩薩像の創建年などは存じ上げませんが

この寺がかつて『百観音』と通称されていたことに

由来するものと推察されます。

 

 

境内には

かつて上野の寛永寺の総門であった

『黒門』が置かれています。

 

寛永寺は

徳川将軍家の祈祷所、菩提寺で

歴代将軍15人のうち

6人が眠る寺ですが

何故その黒門が

南千住にあるのでしょう?

 

 

1868(慶応4)年5月

大政奉還に反対する幕府軍の彰義隊は

寛永寺に集結し

明治新政府軍と激戦を繰り広げました。

 

午前7時頃に始まった戦いは

夕刻5時まで続き

彰義隊はほぼ全滅

寛永寺の建物は

黒門などの一部を除き

消失してしまいました。

 

戦いの激しさは

黒門に残る

新政府軍が浴びせた

おびただしい数の弾痕からも

容易に想像できます。

 

 

 

上野の山に

累々と横たわる隊士の遺体を見た

円通寺の仏磨和尚は

新政府の許可を得て

寛永寺の御用商人だった三河屋幸三郎とともに

遺骸を火葬し円通寺に合葬しました。


 

これが縁で

1907(明治40)年に

寛永寺に残されていた黒門が

円通寺に移され

彰義隊隊士の墓地の前に置かれました。

 

 

墓地内には

旧幕府軍時代には主戦論者でありながら

維新後は新政府要人となった

大鳥圭介や榎本武揚の

追弔碑もあります。

 

無念のうちに戦士した

彰義隊の若き隊員たちは

この事実を

草葉の陰でどのように感じているのでしょう。

 

 

彰義隊隊士の墓の近くに祀られている

小さな子供を抱いた地蔵尊。

 

こちらは彰義隊とは関係ありません

『吉展地蔵尊』。

 

1963(昭和38)年

台東区で4歳児の村越吉展ちゃんが誘拐され

2年3か月後に円通寺境内で

白骨化した遺体で発見されました。

 

遺骸は

村越家の菩提寺である

南千住駅近くの回向院に埋葬され

吉展地蔵尊が建立されましたが

発見場所である円通寺にも

幼児を抱えた地蔵尊が別途建立されました。

 

 

悲しい歴史を物語る

墓地や地蔵尊を

柔和な眼差しで見守る観世音

とても感慨深い寺です。

 

新型コロナウイルス騒動が

収束した暁には

是非ご参拝ください。

 

円通寺

東京都荒川区南千住1-59-11

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、台湾台北市です。