スピンオフ編~東京都新宿区市谷・鶴岡八幡宮の分霊『市谷亀岡八幡宮』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都新宿区市谷の『市谷亀岡八幡宮』をテーマにします。

 

 

最寄駅は

JR総武線、東京メトロ南北線、都営地下鉄新宿線

『市ケ谷』。

 

ここで

人生において何の役にも立たない

どうでもいい情報を一つ。

 

JRと東京メトロの駅は『市ケ谷』

都営地下鉄の駅は『市ヶ谷』

住所表示では『市谷○○町』。

 

『ケ』が

大きいか小さいか

有るか無いかの違いです。

 

 

駅から徒歩2分

『外堀通り』に面した

500年以上の歴史を持つ神社です。

 

1479(文明11)年

太田道灌が江戸城西方の守護神として

鎌倉『鶴岡八幡宮』の分霊を勧請し

鶴岡に対して亀岡と称したのが

創祀とされています。

 

 

港区の『愛宕神社』ほどではありませんが

かなり急で長い階段です。

 

 

階段の中ほどに

『茶ノ木稲荷神社』という神社があります。

 

1200年ほど前に

弘法大師・空海が東国に下向した際に

創建したと伝えられる由緒ある神社です。

 

真言宗の開祖が

神社を創建・・・?

そう思われるかも知れませんが

『神仏習合』ではごく普通のことだったようです。

 

 

『摂社』と表示されています

・・・本社に縁故の深い神を祀った神社を意味します。

 

実は

亀岡八幡宮は創建当初

『市谷御門』(現在のJR市ケ谷駅辺り)の中にありましたが

1636(寛永13)年頃

江戸城の外堀ができたのを機に

茶ノ木神社があった現在の地に

移転してきました。

 

鶴岡八幡宮の分霊であること

三代将軍・徳川家光などの信仰を受けたことから

亀岡八幡宮を格上の本社とし

本来あった茶ノ木稲荷神社が

格下の摂社になりました。

 

 

さらに階段を上ると

緑色がかった一風変わった鳥居が

聳え立っています。

 

鳥居といえば

石でできたものが一般的ですが

こちらの物は銅製

1804(文化元)年に建立されたもので

高さ4.6m、台座55㎝です。

 

 

掲げられている額は

姫路藩主・酒井忠道の筆によるもので

『八』の字は

八幡神の使いとされる

一対の鳩が向かい合う姿で

描かれています。

 

 

柱には

造立者、鋳物師の建造銘と

寄進者442名の名前が

刻まれています。

 

 

鳥居の脇には

海上守護神の『金毘羅宮』が。

 

市谷は江戸時代

四谷まで続く水路の揚げ場であったことから

往来する船の安全を祈願したものです。

 

 

金毘羅宮前から振り返ると

急な階段を望むことができます。

 

 

こちらが本社の

亀岡八幡宮。

 

 

境内に入ると直ぐ右手に

手水舎があります。

 

 

実はこの手水舎

ちょっと不思議な秘密が

隠されています。

 

台座に何やら

彫られています。

 

 

ズームアップすると

漢字の『不』のようなものが見えます。

 

明治初期に新政府が設置した

『几号(きごう)水準点』の一つだったそうです。

 

超文系の私には

到底説明できるものではありませんが、

簡単に言うと

高低測量を行うための基準となる測量点.

 

イギリス式測量法で使われていた記号de

『不』の字に似ていますが

漢字ではありません。

・・・なんのこっちゃさっぱり分かりませんが・・・

 

几号水準点ありきで

手水舎は無かったとのこと。

 

現在の手水舎は

1951(昭和26)年に設置されたそうです。

 

 

神仏習合が行われていた

江戸時代までは

神社を管理する『別当寺』という

仏教寺院が置かれていることがありました。

 

亀岡八幡宮の別当寺は

古義真言宗の『東圓寺』でしたが

明治新政府の神仏分離により廃寺となり

境内にあった仏堂は取り壊され

鐘楼は撤去されてしまいました。

 

1945(昭和20)年の米軍による空爆で

社殿等は灰燼に帰し

現在の社殿は

1962(昭和37)年に再建されたものです。

 

 

社殿の脇には

『八紘一宇』の石碑が。

 

~天の下では民族などに関係なく

全ての人は平等である~

 

第二次世界大戦中に

日本の中国などへの侵略を

正当化するスローガンとして

政府や軍が用いたものです。

 

そう言えばこの神社の裏手は

戦前は陸軍省や参謀本部

戦後は防衛庁

そして現在では陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で

軍国主義と関係深い場所です。

 

 

石碑の先には

軍国主義とは無関係な

素敵な小径が続きます。

 

 

突き当りを右に折れ

少し進むと

道標のようなものが

隠れています。

 

 

よく見ると

『陸軍用地』と彫られています。

 

 

行く手を阻むように

大木が3本

由緒ある木なのでしょうか?

 

 

突き当りを

再び右に折れると

小さな階段が。

 

 

坂の下を左に曲がると

『左内坂』に出て

プチトリップが終了します。

 

 

最後に

ちょっとだけためになる情報を。

 

1970年代初頭

東京都内で住居表示の実施に伴い

多くの町名が簡略化されたり

『町』の字が削除されたりしました。

 

例えば

私の生まれ故郷の中央区の『新富町』は

『新富』という風情のない名前になってしまいました。

 

このような行政の動きに対し

猛然と反対した地域が4か所あります。

 

中央区日本橋、千代田区神田、足立区千住

そして新宿区の市谷です。

 

これらの地域には今も

『日本橋浜町』、『神田鍛冶町』

『千住旭町』、『市谷八幡町』など

地域の名称と『町』を残した町名が

多く残っています。

 

住民の町に対する愛着と粋が

行政に打ち勝った結果ですね

・・・情けなや我が故郷。

 

市谷亀岡八幡宮

東京都新宿区市谷八幡町15

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、中国黒龍江省ハルビン市です。