スピンオフ編~東京都台東区橋場・地蔵尊と共存するやくざの石碑『お化け地蔵』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は、東京都台東区橋場の『お化け地蔵』をテーマにします。

 

 

都の中心部にしては珍しく

徒歩30分内に鉄道の駅がありません。

 

JR常磐線などの『南千住』駅からも

東京メトロ銀座線などの『浅草』駅からも

徒歩30分以上掛かります。

 

東武浅草駅前から

台東区のコミュニティバス

『北めぐりん』に乗車し

『橋場一丁目』停留場で下車します。

 

 

バス停から徒歩1分

住宅街に異様な光景が

現れます。

 

 

正式な名称は不詳ですが

地元では『お化け地蔵』の名で

親しまれています。

 

 

外国人の来訪もあるのでしょうか(?)

英語の案内板もあります

・・・ちょっと怪しげな英語ですが。

 

 

お地蔵様が2体祀られています

後ろが通称『お化け地蔵』

台座も含めた高さは

3m以上あります。

 

『お化け地蔵』の名の由来には

頭の上の笠が向きを変えるから

3m以上の並外れた大きさだから

などなど諸説あります。

 

 

もともとは

1201(建仁元)年に浅草に創建された

『総泉寺』の境内に安置されていましたが

関東大震災により同寺が被災し

1929(昭和4)年に板橋区に移転した際に

地蔵尊は元の総泉寺境内である

当地に残されました。

 

地蔵尊の脇に立つ『供養塔』は

移転の際に

元総泉寺内の諸仏の供養のために

建立されたものです。

 

 

日本各地にある地蔵尊の中でも

とりわけ柔和なご尊顔だと思います。

 

1721(享保6)年に建立されましたが

関東大震災で被災し

二つに折れました。

 

その後

補修し頭部も取り替えられ

現在のお姿になっています。

 

 

お化け地蔵尊の前には

小さな・・・というよりも普通サイズの

地蔵尊も祀られています。

 

こちらは

ちょっと童顔で眠たそうなお顔です。

 

 

敷地入口に置かれた常夜灯は

1790(寛政2)年に

元の総泉寺の入口に建てられたもので

1907(明治40)年に刊行された

『東京名所図会』には

常夜灯の東畔に大地蔵が安置されていると

記述されています。

 

総泉寺移転の際には

お化け地蔵尊とともに

この地に残されました。

 

 

常夜灯の台座には

『寛政二年』の文字が

はっきりと読み取れます。

 

 

お化け地蔵尊と供養塔の間に

不可思議なものがあります。

 

一見すると

ごく普通の石碑ですが・・・

 

 

『金町一家之碑』なる文字が

刻まれています。

 

私が知る限りでは

金町一家は浅草を根城にするやくざで

山谷騒動の際に

浅草警察と結託し

労働者に危害を加えた暴力団です。

 

この石碑は

1936(昭和11)年に建てられたものですが

現代であれば暴対法で認められなかったでしょうね。

 

 

台座には『金柳会』の文字が

この名前については記憶がありません

・・・念のため書き添えますが

私はやくざ者ではありません。

 

 

石碑の屋根にも

小さなお地蔵様が置かれています。

 

 

並外れた大きさの地蔵尊ですが

交通の便の悪さからでしょうか

メジャーな観光スポットには

なっていません。

 

でもあの大きさには

びっくりしますよ。

 

浅草観光の際に

お時間とご興味があれば

お訪ねください。

 

お化け地蔵

当区京都台東区橋場2-5-3

終日参拝可

 

次回は、本日15:00にオンストリート編。過去の旅などで脳裡に焼き付いている街角の光景をご紹介します。テーマは、ベトナム・ホーチミン市です。