ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットをご紹介します。今日は、アイルランド・ダブリン市の『リフィ川に架かる橋』をテーマにします。
ダブリンはアイルランドの首都
人口約134万人
同国最大の都市です。
市の中心を西から東に流れるのが
リフィ川。
市の中心部での川幅40m足らずの
小さな川ですが
新旧の素敵な橋が架かり
両岸には
ダブリンの下町が広がります。
今回はギネスビールの工場横から
リフィ川の右岸を歩き
橋や川沿いの風景をレビューします。
ギネスビール工場近くに架かるのは
ロリー・オモア(Rory O'More) 橋。
1863年に架橋された
青い鉄製のアーチ橋です。
橋の100mほど上流左岸には
『国立装飾美術・歴史博物館』があります。
博物館の建物は
もともとは兵舎として建てられたものです。
ロリー・オモア橋の下流には
ジェイムズ・ジョイス (James Joyce) 橋が。
アイルランドの著名な詩人・小説家
ジェイムズ・ジョイスの名を冠したこの橋は
2003年に架橋されました。
左岸を走る通りは
エリス・キー(Ellis Quay)
アパート群が連なっています。
ジェイムズ・ジョイス橋の下流には
メロウズ(Mellows) 橋が。
1764年に架橋された
三連アーチの石橋です。
左岸を走る通りはこの橋を境に
アラン・キー(Arran Quay) と名前を変えます。
川岸に聳えるのは
『セント・ポール教会』。
1837年に建立した
カトリック教会です。
メロウズ橋の下流には
ファーザー・マシュー(Father Mathew) 橋が。
リフィ川で最も古い橋で
1014年に架橋されましたが
その後何回か架け替えられ
現在の橋は1816年に再建されたものです。
美しいフォルムを持つ
三連アーチの石橋で
『ダブリン橋』とも呼ばれています。
この橋を境に左岸の通りは
インズ・キー(Inns Quay) と名前を変えます。
左岸に建つ『フォー・コーツ (Four Courts)』は
1802年に完成した
当時のアイルランドの最高法廷。
高等法院などの4つの法廷があったことから
Four Courtsと名付けられました。
現在の建物は
1937年に再建されたものですが
私が訪れた時には
一部改修が行われていました。
ファーザー・マシュー橋の右岸には
有名なパブ
『ザ・ブレイズン・ヘッド(The Brazen Head)』 があり
アイリッシュ・トラッドのライブを
楽しむことができます。
ファーザー・マシュー橋の下流には
オドノヴァン・ロッサ(O'Donovan Rossa)橋が。
1682年に架橋されましたが
1802年の嵐で流され
1816年に再建されました。
再建時は
リッチモンド(Richmond) 橋という名前でしたが
1923年に現在の名前に改名されました。
左岸の通りはこの橋の少し下流から
オーモンド・キー・アッパー(Ormond Quay Upper)になります。
ちなみにオドノヴァン・ロッサは
18~19世紀にかけて
アイルランドの独立に傾注した
友愛団体『フェニアン(Fenian)』のリーダーで
詩人でもありました。
オドノヴァン・ロッサ橋の右岸の
小高い丘には
13世紀から700年以上に渡る
イギリスのアイルランド支配の象徴であった
『ダブリン城』があります。
オドノヴァン・ロッサ橋の下流には
グラッタン(Grattan) 橋が。
1676年に架橋され
当初はエセックス(Essex) 橋という名前でした。
1753年と1872年に
架け替えが行われ
二度目の架け替え時に
現在の名前に改名されました。
三連の半円アーチを
二つの扇型が挟む
変わったフォルムの石橋で
欄干は鉄製です。
この橋を境に左岸の通りは
オーモンド・キー・ロウワー(Ormond Quay Lower)となります。
右岸の裏には
ダブリン随一の繁華街
『テンプルバー』が広がっています。
グラッタン橋の下流には
ミレニアム(Millennium) 橋が。
1999年12月
ミレニアムを記念して架橋された
歩行者と自転車専用の橋です。
右岸に
『フィッツモンド・オブ・テンプル・バー』という
白亜のホテルがあります。
こちらのホテルのカフェの
アイリッシュ・フル・ブレックファストが
とても美味しいんです。
しかも
ブレックファストと言いながら
一日中頂けます
・・・アイルランドではよくあることですが。
ミレニアム橋の下流には
ヘイプニー(Ha'Penny) 橋が。
1816年に架橋された
美しいフォルムの白い橋です。
ヘイプニー(Ha'Penny)とは
1/2ペニー硬貨の通称です
・・・同硬貨は1984年に廃止され、
流通停止になっています。
架橋から100年ほどは
通行料が歩行者に科せられ
その額が1/2ペニーだったことから
ヘイプニー橋と呼ばれていますが
川の名前を冠した
リフィ(Liffey) 橋が正式名称です。
この橋を境に左岸の通りは
バチェラーズ・ウォーク(Bachelors Walk) となります。
日本の太鼓橋のような形状で
歩行者専用橋です。
ヘイプニー橋の下流には
オコンネル(O'Connell) 橋が。
1794年に架橋された
三連アーチの石橋で
現在のものは
1882年に再建されたものです。
この橋を境に左岸の通りは
エデン・キー(Eden Quay) と名前を変えます。
ダブリンのメインストリートである
オコンネル・ストリートが橋上を通り
左岸にはダニエル・オコンネルの銅像が。
オコンネルは
19世紀前半に
イギリスによるカトリック教徒差別を撤廃する
大衆運動を指導した人物です。
オコンネル橋の下流には
ロージー・ハケット(Rosie Hackett) 橋が。
2014年に架橋された
リフィ川最新の橋です。
ロージー・ハケットは
1916年のイースター蜂起にも参加した
アイルランドの女性労働運動の
先駆者です。
ロージー・ハケット橋は
市内を走る路面電車LUASの
グリーン・ラインを延伸し
レッド・ラインと連絡させるために
建設された橋です。
私が訪れた時には
橋の上は工事中でしたが
現在ではグリーン・ラインが運行されています。
ロージー・ハケット橋の下流には
ブット(Butt)橋とループライン(Loopline) 橋が。
ブット橋は
1932年に架橋された
コンクリートの橋で
この辺りまで来ると
リフィ川は60m以上の川幅になります。
ループライン橋は
1891年に架橋された
鉄道専用の橋です。
この橋を境に左岸の通りは
カスタム・ハウス・キー(Custom House Quay) と名前を変えます。
ループ橋の先の左岸にある
白亜の荘厳な建物は
『カスタム・ハウス(税関)』です。
1791年に竣工しましたが
1800年にアイルランドが大英帝国に合併されると
税関はロンドンに移され
建物は老朽化の道を辿りました。
1921年
独立戦争の勝利を祝う群衆により
英国帝国主義の象徴であった
税関の建物は放火され
5日間燃え続きました。
修復には
5年間の年月と30万ポンドを
要しました。
1986年から再び修復工事が行われ
1991年には現在の姿になりました。
税関を過ぎると
リフィ川は数本の橋の下を流れ
1.5㎞ほどでダブリン湾に注ぎます。
ヨーロッパの他の国に比べ
アイルランドは
日本人にさほど人気がありませんが
とてもいい国です。
ロンドンやパリから1時間程のフライトですので
是非お立ち寄りください。
次回は、明日7月26日(金)に番外編。中国吉林市の食堂『徐記小椀菜』をテーマにします。