スピンオフ編~京都府京都市下京区・京都の文化の一面を知ることができる『島原』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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全国各地のビーフカツを紹介している超変人の超マニアックなブログです。最近は国内、韓国、中国などのB級グルメについても書いています。

ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットをご紹介します。今日は、京都府京都市下京区の『島原』です。

 

 

最寄駅は

JR山陰本線

『丹波口』。

 

 

島原は

古くからある京都の花街

正式名は西新屋敷と言います。

 

1641(寛永18)年に

幕府の命により

六条付近にあった花街が

急遽この地に移転させられました。

 

この急な移転騒動が

九州の島原の乱の直後であったため

それになぞらえて

島原と言う通称で呼ばれるようになったそうです。

 

 

駅から南に5分程歩くと

左側に

花街の鎮守社であった『島原住吉神社』が。

 

 

この辺りには

西門がありましたが

1977(昭和52)年と1998(平成10)年に起きた

2回の交通事故により倒壊し

現在は石碑のみが立っています。

 

 

西門碑から少し東に行くと

新鮮組刀傷の角屋に至ります。

 

 

島原の花街は幕末までは

太夫や芸妓を抱える置屋と

置屋から太夫などを呼び

遊宴の場を提供する

揚屋、茶屋に分かれていました。

 

角屋は

島原移転の年に建立され揚屋で

国の重要文化財に指定されています。

 

 

 

現在は

『角屋もてなしの美術館』として

3月~7月と9月~12月に

一般公開されています。

 

公開日の詳細は

こちらをご覧ください。

 

 

襖絵の『金地桐に鳳凰図』は

幕末の絵師

岸連山によるものです。

 

 

渡り廊下と庭に

京の粋を感じます。

 

 

1階は撮影可能ですが

新鮮組刀傷のある2階は不可。

 

でも

1階にはこんな不思議なものがあります

西郷隆盛が行水した盥。

 

 

島原は

元禄期に最も栄えましたが

立地の悪さに加え

格式の高さも災いし

祇園や上七軒の花街に客が流れ

衰退の一途を辿りました。

 

1976(昭和51)年には

京都花街組合連合会を脱会し

現在ではこちらの輪違屋のみが

正式なお茶屋の鑑札を持ち

置屋とお茶屋の営業を行っています。

 

 

1688(元禄元)年の創業で

置屋として始まりましたが

1872(明治5)年に

お茶屋を兼業するようになりました。

 

 

玄関には

『観覧謝絶』の札が。

 

現在でも営業していますが

『一見さんお断り』ということです。

 

ただし

毎年夏に行われている

『京の夏の旅』キャンペーン期間中は

一般公開されています。

 

私が調べた限りでは

今年のスケジュールは

いまだ発表されていませんが

例年ですと

7月1日~9月30日までの3か月間です。

 

 

こちらが

正門にあたる

大門。

 

花街に通う客は

こちらの門から入ったのですが

JRの駅から来ると

一番最後になってしまいます。

 

 

私は

花街、遊郭の肯定派ではありませんが

島原は京都の文化の

一面を知ることができる場所であることは

間違いありません。

 

次回は、明日5月14日(火)に番外編。東京都渋谷区富ヶ谷の『ドリア&グラタンなつめ』をテーマにします。