スピンオフ編~東京都墨田区・関東大震災の惨劇とその後の復興を伝える『東京都立横網公園』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットをご紹介します。今日は、東京都墨田区の『東京都立横網町公園』です。

 

 

最寄駅は

都営地下鉄大江戸線

『両国』。

 

 

A1出口から

清澄通りを北に向かい

徒歩2分で南門に至ります。

 

JR総武線『両国』駅からは

徒歩10分程度。

 

 

本題に入る前に

横網町公園について

簡単にお話しします。

 

1922(大正11)年に

東京市(当時)が陸軍被服廠跡地を買収し

翌1923(大正12)年7月に

公園として整備を始めました。

 

開始直後の

同年9月1日正午前に

関東大震災が起こりました。

 

 

造成中の公園は

絶好の避難場所として

周辺の住民が多く集まりました。

 

しかし同日夕刻

地震により発生した

火災による熱風が公園に来襲

避難民が持ち出した家財などに引火し

約3万8000人の方々が犠牲になりました。

 

公園は

大震災の7年後

1930(昭和5)年の

震災記念日である9月1日に

犠牲者の慰霊とともに

大震災の惨劇と

そこからの復興を後世に伝えるための

象徴として開園しました。

 

南門を入ると

左手に鐘楼があります。

 

 

『幽冥鐘』と呼ばれるこの梵鐘は

大震災で亡くなった犠牲者を追悼するため

中国の仏教徒から寄贈されたものです。

 

杭州市の招賢寺と

上海市の玉仏寺で

それぞれ念仏法要が営まれ

1924(大正13)年11月1日に

造営中の公園に運ばれました。

 

 

鐘楼の先には

慰霊堂があります。

 

 

1930(昭和5)年に完成し

当初は大震災の犠牲者を祀った

『震災慰霊堂』でしたが

その後

東京大空襲による犠牲者も合祀され

1951(昭和26)年

『東京都慰霊堂』に改称されました。

 

 

慰霊堂の裏手には

犠牲者の遺骨を納骨する

三重塔があります。

 

 

慰霊堂の横には

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の碑が。

 

震災直後

朝鮮系の住民が

震災の混乱に乗じて

略奪や襲撃を繰り返している

そんなデマゴーグが流れ

日本人による朝鮮系住民の

殺戮が発生しました。

 

この碑は

震災そのもので亡くなられた

朝鮮系住民と

デマゴーグがもとで殺害された

朝鮮系住民の方々を

追悼するものです。

 

 

こちらは

『東京空襲犠牲者を追悼し

平和を祈念する碑』

2001(平成13)年の建立です。

 

 

正門脇にある洋館は

東京都復興記念館。

 

公園の開園から1年後

1931(昭和6)年に

大震災の惨禍と復興の偉業を

記念するために建てられました。

 

 

館内には

大震災に関する資料のほか

東京大空襲に関する資料も

併せて展示されています。

 

 

興味深いのは

竹久夢二画伯によるスケッチ。

 

渋谷宇田川町に住んでいた夢二は

大震災の被害の大きさに

茫然自失になりながらも

逞しく立ち直って行く

庶民の姿に感銘し

東京の町を歩き回り

スケッチを描きました。

 

これらのスケッチは

『東京災難画信』として

新聞掲載されましたが

夢二の美人画のイメージからは

大きくかけ離れたものです。

 

 

大規模な展示ではありませんが

それだけに

関東大地震の悲惨さが

伝わってくる施設です。

 

東京都立横網公園

東京都墨田区横網2-35-25

03-3622-1208

 

次回は、明日1月11日(金)に番外編。中国ハルビン市の土鍋料理専門店『砂鍋坛肉館 西九道街店』をテーマにします。