スピンオフ編~韓国プサン市・日韓の歴史の重みを感じる『子城台(ジャソンデ)』 | Love Beef Cutlet? Eternal Traveler~生涯旅人

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ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットをご紹介します。今日は、韓国プサン市の『子城台(ジャソンデ)』です。

 

 

最寄駅は

地下鉄1号線

『ポミ(凡一)』。

 

 

2番出口から地上に出て

ポミ(凡一)路を

100m程直進すると

右手に釜山鎮市場があります。

 

 

このサゴリ(十字路)を境に

市場側はジンシジャン(鎮市場)路

反対側はジャソンデコンウォン(子城台公園)路。

 

左折して

ジャソンデコンウォン路に入り

100mほど行くと

右側に子城台公園の入口が。

 

 

そもそも子城台とは何でしょう?

 

一般的には

倭城(ウェソン)と呼ばれる

城跡の一つです。

 

倭城とは

豊臣秀吉が

朝鮮半島を侵略しようとして引き起こした

『壬辰倭乱(文禄・慶長の役)』(1592~1598)の際に

日本軍が構築した城で

プサンとその近隣には

倭城の跡が30あると言われています。

 

子城台は

李氏朝鮮の関門であった釜山鎮城を

日本軍が陥落させた後

毛利輝元が

釜山鎮城の支城として築いたものです。

 

『釜山鎮支城』が正式名称ですが

釜山鎮城を『母城』

支城を『子城』と呼ぶようになったと

言われています。

 

城自体は現存しませんが

所々に

日本式築城の要である

石垣が残っています。

 

 

 

壬辰倭乱は

1598年

豊臣秀吉の死をもって

日本軍が撤退し終結しました。

 

李氏朝鮮軍は

子城を改築し

釜山鎭僉使営(軍事的な鎮営)として

使用していましたが

日本の植民地時代に

市街地整備計画により

城は撤去されました。

 

1974年

韓国政府による

遺跡整備事業により

釜山鎭僉使営の頃の

建物のいくつかが復元されました。

 

こちらは『鎮南台』

将帥が城の内外を監視、指揮した

将台です。

 

 

『永嘉台』

日本に派遣された

朝鮮通信使たちの

航海の安全と無事を祈願する

海神祭を行った場所です。

 

元々は

釜山鎮市場の裏手辺りにありましたが

京釜鉄道の施設などにより

1910年頃に消失しました。

 

遺跡整備事業により

こちらに復元されました。

 

 

永嘉台の横には

朝鮮通信使博物館があります。

 

 

館内には

通信使に関連する資料や

通信使の船の模型などが展示されています。

 

 

『金壘関』

子城の西門になります。

 

 

西門の両脇に

釜山鎮支城の重要性を示す

一対の石柱があります。

 

右側の石柱には

『南徼咽喉』と刻まれています

~ここは国の喉元に当たる国境~

 

 

左側の石柱には

『西門鎖論』と刻まれています

~西門は国の錠のようなものである~

 

 

対の石柱に刻まれた八文字は

壬辰倭乱後の

日本への警戒心が強かった時代の考え方を

反映したものです。

 

ガイドブックに取り上げられることもなく

見逃されがちな歴史史蹟ですが

日韓関係の複雑な背景を有しているだけに

歴史の重みを

深く感じることができる場所です。

 

子城台公園(ジャソンデコンウォン)

韓国釜山市(プサンシ)東区(トング)子城路(ジャソンロ)99

부산시 동구 자성로99

 

付 録

 

プサンの人気ベイカリー

『シパン(食パン)ッサブ』

 

 

各種食パンが

2900ウォン(約290円)

 

 

大人気の

抹茶と小豆の食パンです

 

 

次回は、明日1月8日(火)に番外編。韓国プサン市のミルミョン専門店『プジャッチ』をテーマにします。