インタビュー<26>アメリカで5人の子育て~コロナと教育ママから腎臓病を経て~平安を求める旅へ

 

ブーケ2S.Nさん California 40代 看護師志望

 

ーこの瞑想を始めたきっかけについて教えてください

私は日本の岐阜県飛騨高山にあるお寺の子として生まれました。ここでは見たくないしんどい日本のしきたりや、伝統、縦社会を見せられて育ちました。寺のしきたり、死と生。伝統。田舎なので情が熱すぎるがゆえの噂話。数えきれないほどの文句ばかりで、自分のことは棚に上げて、逃げるか、相手を批判するかのどちらでした。

中学の時、アメリカのクリントン大統領に目を丸くし、トムクルーズのトップガンを見たとき、日本人以外の言語も見た目の風貌も違うと感じたその衝撃は、私の人生の根本を揺るがす出来事でした。そのころから日本から逃げてアメリカに住みたいと思う気持ちがありました。

男性と付き合っても、
男尊女卑等があり、同じ日本人で同じ言語も使ってるのに、通じ合えない悲しさ。言えない苦しさから日本の男性と付き合うことへのトラウマが重なるようになりました。地元高山の衛生看護科卒業後、神奈川で看護師になり、友達とクラブで遊び呆けるうちに英語を喋る男性と話す機会もあり、アメリカって近いかもという気持ちが湧いてきました。

中学、高校の英語の文法も英会話のえの字もありません。でも物足りない、アメリカには行きたい。英語は喋りたい。そして日本から逃げたい。そこで本屋さんで目についたのが、
アメリカで看護師になる。この目標だったら、銃社会のアメリカに留学させてもらえるだろうと思いました。

また、
エイリアンに興味があった私はおそらく日本語より英語のほうがエイリアンと話すことができるだろうという勝手な思い込みもあり家族会議の後、お金を貯めてまずは半年サンディエゴに留学しました。一度は帰国したものの、半年後、再度お金を貯めてカリフォルニア州に来ました。

英語もわからないのに看護師の勉強もしなければいけないのですが、そこからも逃げる事を考えた私は、日本レストランを経営しているオーナーの現在の夫、Fと出会い、結婚を前提として付き合い始めました。彼には
3人の男の子の連れ子がいました。私の家が寺なのでそれを聞いたら親は許してくれないだろうと思いましたが4年経っても子供を授かれませんでした。

また、
前の奥さん(J)とは切れていると聞いていましたが、蓋を開けてみるとJのいいなりになっていたり、暴言を吐く彼女の電話を切らずあたふたしている彼を見て怒り、その度に喧嘩をし、カウンセリングにも行きますが違う形で彼女は嫌がらせをしてくる。子供が授かれなかったらこの人との縁はないんだろうと思った矢先、5年目の学生ビザが切れる2ヶ月前に子供を授かりました。

子供もきっとスポーツもできて勉強も程々にできるはずだと思っていましたが、日本語と英語の二カ国後を話してほしいという私の高い願望や周りの友達の子供が上手に出来ているのと比べて焦る毎日でした。そして
突然のコロナ。気が塞ぎがちになり、色んなストレスや我慢してる自分がいて、コロナと同時期に子供達の日本語維持の為、海外在住の子どもたちに日本の教育を提供しているオンライン日本語補習校に入学しました。

現地校のレベル自体が遅いので、日本の教科書を使ってその学年のレベルについていけるか心配でした。そこで子どもたちの算数を担当してくださった先生がこの瞑想をされているT先生(えみさん)でした。

その時は、現在小6の息子が小3になる年で、クラス授業に入りたいと思ったのですが、まったく息子が勉強を理解していないことが分かり、どのように受講をしたら子どものためになるのかがわからなかった中、えみさんが的確な受講案を立ててくださるのに驚きました。のちに娘のほうもお世話になるのですが、私たちの家族や子どもたちの状況を1番に考えて絶妙なご提案をくださることに、また、授業中の子どもたちへの接し方を見ても、他の先生とは何か違うと感じていました。

その出会いから1年半が過ぎ、逃げていた自分の居場所のなさが体にきて、いろいろなことが回らなくなり、
腎臓の病気が発覚しました。又、逃げ場がない私が吐き出す場所が小4になった息子になってしまい、どんどん彼にきつくなっていくのも目に見えて来た時、このままではダメですブザーが自分の中で鳴り響き続けました。子供に当たる限界がきたら、色んな物を壊して発散している自分がいて、我に返った時これが自分の子供だったらと考えて自分がどうなってしまうのかわからない恐怖しかありませんでした。

2022年の1月ごろには、えみさんに「点滴が終わらず、授業に間に合いません。夫も対応できそうにないので振替をしていただけないでしょうか」というようなメールを度々するようになりました。そのようなしんどそうな私の状況とこれまでの授業中の様子を見かねたえみさんが、瞑想に誘ってくださいました。子どもたちが勉強を習っていたはずの先生から思いがけないお誘いを受け、私は戸惑いました。

けれども、八方塞がりの私にとって、無料で瞑想ができてストレスが消えるなら。何よりもう逃げたくない、さらに、えみさんの普段の様子を見ていて私もこのように淡々としていて穏やかで優しい人になってみたい!と思っていたので、二つ返事で始めました。

それから、オンラインで個人でお話をしていただき、また、複数の人たちで開催されているオンライン瞑想会にも誘っていただきました。M.Kちゃん、J.Yちゃん、とこちゃん、Y.Nちゃん・・・嬉しかったです。毎回勉強になりました。アメリカで心細い思いをしていたこともあり、日本の友だちが一気に増え、それだけでも心が救われたようでした。後々、リアルの瞑想会にもオンラインで参加するようになり、悟りのせんせーや、多くの瞑想仲間とご縁をもらいました。

初めての瞑想をした時は、感情を感じ尽くす、手放すのが凄く難しかったです。一つの感情の中に行っても感じ尽くすことができなくて、とにかく思っていました。特に怒りについては中々感じ尽くせなくて、(すごく深い、根を張ってる感じ)なので、体の中の散らばってるのを集めて、その怒りが体の中のどこまでいくか黒い中を降りていく感じで、なんなら体を突き破り、地面の中まで行って
地球の真ん中に行くんじゃなかろうかと思うくらい怒りがあったので、そんな自分にびっくりしました。手放すことについては、いい感情をプレゼント箱に入れて、さようならーまた来てねーという所で落ち着き、すぐにできていきました。

少し慣れてくると、
感じ尽くすそして手放すという二極の感情を心から失くす事ができて、執着や怒りそしてジレンマが何より戻ってこない事を実感しました。他の方法だと必ずどこかから戻ってきます。私が求めていた事はこれだったんだ!と心から実感しました。

ー愛を見いだすまでの苦労を教えてください

あらゆることから逃げ続けてきた私の悩みは次から次へと続きました。私には2022年当時、小3、小5の実子と年の離れた義理の子どもが3人いました。

✅義理の子供達とうまくいかない日々。
✅日本のやり方で子供達に厳しくしてしまう自分。
✅アメリカの文化や子供達の接し方の違い
✅義理の子どもから「お前はグリーンカード目的でFと結婚しただけだろ」と言われる
✅腎臓の病気=自分自身や子どもたちへの
攻撃
(注釈:ネフローゼ症候群:腎臓の基底核という尿を濾過するフィルターの役目の所に免疫系の抗原抗体がなぜか異物でもないのに攻撃し、付着する為、濾過できなくなってしまいタンパク質が体内に流れ出ていく事で、体のタンパク質が足りないからともっともっとと補おうとして、体の水分を体に溜めようとし、その結果浮腫(体が浮腫む)や体重増加、高コレステロールになります。)

それから過去のことを振り返り

✅日本のしきたりや、伝統、縦社会
✅寺のしきたり、死と生。伝統。田舎での噂話。
✅若い頃付き合った男性からのトラウマ
✅夫Fへの不満、夫の元奥さんのJとの数々のトラブル
✅実の子への執着、義理の子のガールフレンドについて(嫉妬)

そのような現状から一つ一つ問題を見ていき瞑想していきました。
日本の早朝4時5時から、毎週えみさんに1:1で瞑想に付き合っていただき進めていきました。

本当にエゴだらけの私にとって、さらっとえみさんが言われる真理に「えーーーー!!」と驚くばかりの時間でした。例えばこんなことです。

〇 親が一緒になって子どものサッカーの勝ち負けを喜んだり悲しんでいる
〇 べったりくっついて勉強を教えていること
〇 自分の産んだ子を一番に考えて大切にしたいと思う気持ち

→→→このようなことは愛ではない、むしろエゴですと言われました💦

さらにのちに悟りのせんせーと話すと、自分と考えが違いすぎて「えーーーー!!」を何十回と言わなければなりませんでした。そんななか、THE主婦コンビのM.Kちゃん、J.Yちゃんがいてくれて「わかる、わかるよ~!」と、私の言い分を理解してくれたことはとても心強かったです。

それから、2022年の7月にはコロナ規制も落ち着き、日本に渡航できるようになりました。その時には、ちょうどコロナのため出勤自粛を言われた病院勤務をされているK.Aさんと、私とえみさんと3人でオンライン瞑想をする毎日でした。

K.Aさんと、あの集中してオンラインした時間は私にとって今思えば凄く大切で重要な時間でした。それまでは、言われて誘われて何とか付き合ってもらってやっているだけの自分でした。今までの自分のエゴだらけの時間と瞑想という時間の狭間というか、このときの土台作り、序章というか、土慣らしができた時期でした。順番に瞑想項目をホワイトボードに書いてもらってはやり、書いてもらってはやる。

K.Aさんが話してくださったお悩み、お仕事でのこと、ご家族さんとのこと。お互いに分かち合えて、沢山の瞑想仲間はいるものの、言うなれば
私にとっての同志はK.Aさんです。一緒に愛を見出していきたい、かけがえのない存在になっていました。それからも早朝の時間にほんの少し顔を出してくださって。これがもしかしたら私の一方的な片想い(執着)なのかもしれませんが、K.Aさんの明るくて優しいところが大好きです。この場をお借りして言わせてもらいます。

その時は、1か月日本にいたので、1週間くらい瞑想のために泊まり込むように誘われたのですが、結局自分の優先順位がそこまでではなくて、対面で瞑想に伺ったのはたった1日。しかも3時間程度、とんぼ返りのようにして瞑想会に参加しました。滋賀県の草津で開催してくださって。その日は生後間もない2人の赤ちゃんとママさん、アメリカから2人の小学生を連れてきた私、同じ岐阜から障がいをお持ちのお子さんとお母さんも。大変だったと思います。京都から参加されたたくさんの方がサポートに回ってくださいました。みなさんの助け合う心に感動し、私もこのようになりたいと思いました。


ー特に大きな瞑想のテーマはありましたか?

小3、小5と実の子、年の離れた3人の義理の息子たち。そして、旦那(F)のもとの奥さん(J)。私の家庭環境は複雑でした。Jと夫のFは結婚という形もとれずに、また、Jには子どもの養育能力、自身の生活能力もなく、Fと別れたようです。それでも別れ切っていなかったことへの私の怒りは凄まじかったです。Jは生活保護の状態で、別れた後もFから保護費をもらうという形で何とか生きていました。Jからの恨みつらみを私はこれまでいろいろな形で受け、嫌な思いを繰り返してきました。

そして2022年11月、一番上の子が結婚をして子どもを授かりアメリカで「ベビーシャワー」と言われるお祝いをすることになりました。若い夫婦の友人が企画をしてくれて当初はJを呼ぶことになっていました。それをめぐって、私の瞑想項目は次から次へと出てきて日々取り組むことになりました。公衆の前でも夫の腕にかみついたり、子どもたちに唾を吐いたりするような気性の荒いJがベビーシャワーを台無しにするのではないかと不安になりました。もちろんJとの関係はそれまでに瞑想していたのですが、このような機会に
許しきれていなかった部分が再勃発したのです。

Jのお父さんは黒人で、子供が生まれてすぐ離婚して、お母さんの方がJが小さい時に自殺をして、養護施設に入っていたと聞いています。つらい人生を送っていたのだということを頭では理解しているのですが、気持ちの面で腑に落ちません。やがて、
いくつもの瞑想をすすめると、Jを赦し愛するという境地に至り、自殺をせずに生きていてくれることで子どもたちにとっては十分なのだと悟り、涙が出てきました。

また、そのことをはじめからわかっていたかのように長年にわたりJに保護費を送り続けた夫の普遍的な愛を理解できたのです。私が自分の中で浄化したためか、Jは息子とのやり取りの中でベビーシャワーに出席することについて身を引いていきました。

Jには申し訳なかったですが、違う形で彼女が祝ってくれると思いました。自分の事を自覚してキャンセルした事を考えると、彼女なりに学んでいるんだと思うと感慨深いです。これは、瞑想をやっててよかったとつくづく思う出来事でした。

瞑想に声をかけていただき9か月。毎回のように家族の話を聞いていただき、えみさんが私の背景も理解してくださった上で、導いてくださったことが何よりありがたかったです。カウンセラーでもなく、友達でもないえみさんがなぜここまでしてくださるのか。そこにはせんせーの存在、その教えから
人のために見返りなくするという愛から生きる誓いを立てたえみさんの在り方を学びました。それが私がこれから習うべき姿勢だということも分かりました。

カウンセリングでさえ私の気持ちをここまで理解してくださる方もいなかったですし、伝えようと思ったこともなかったのに、本当にありがたいというか言葉にならないくらい感謝の気持ちで一杯でした。早く愛を見出して、愛から生きられるようになりたいと思った出来事になりました。

それから、2023年の1月ごろ、
一時的な悟り体験がありました。愛を見出す以上に高揚感があり、誰もが経験できる体験ではないものだと、のちにせんせーからご説明をいただきました。

そのきっかけは金魚でした。あとベル(三毛猫の女の子)がその前の晩に、怖がりのベルだったはずなのに私がドアを開けた途端、出て行ってしまっていつもなら家に戻るはずなのに、女の性が目覚めて塀を乗り越えて自由と本能のまま出て行ってしまい、失意というかモヤモヤの中で金魚を見たら、なんのことはない、餌を求めて私にパクパク餌を求めていました。

彼らは私の失意も悲しみも知らない。ただ餌を求めているだけ、ただ水の中にいて餌を求めてくる。私も水の中にはいないけど、ただここにいると思ったら、なんだか霧がはれたかのように、
自分の見方が変わっただけでただここにいる私がわかって涙が止まりませんでした。

でもこれが愛なのかなんなのか、ぼやっとした感じで過ぎていきました。もしかしたら猫がいなくなって感情的になっているのかもしれないと。そして、子どものサッカーの帰り運転している途中に空を見上げたら、いつもと変わらない空なのに、いつもあった空の尊さがそこにただあって、運転しながら理由の分からない涙。



空や、いつもは、はげかかっている山にここ数週間続いた恵みの雨で緑がかってる山。そこにある木。アメリカに来た意味。えみさんに依存してオンラインの時だけやっていた自分、自然を見るというアドバイス、塩を入れてお風呂に入る事、出家する覚悟。色々な方のアドバイスが頭の中をめぐっていき、こうして悟りの体験ができたんだと思いました。

そして、私は愛を見出したという実感があり、せんせーに確認をお願いしたとたんに自信がなくなってしまい、「愛がありますか?」と聞かれ「ありま・・・・す」と、いつも大声で話している私が急に小声になってしまったのです。

そこで、愛を確信するためには、平和や調和を見出す必要があると分かりました。


ー愛を見いだした時のことを教えてください

>> 平和の課題としては
貧乏な自分でお金がなかったら
ホームレスだったら
子どもたちの学校で戦争があったら
自分の無知で人を殺しそうになったら
動物が切り落とされたら
夫に八つ当たりされたら
義理の子が料理した後片づけしてなくてイラっとしたら
自分が避妊手術をさせられたら
人に期待したのに裏切られたら
肉料理をして罪悪感を感じたら
人を信じてたのに裏切られたら
など、具体的なものをいくつもやりました


>> 調和の課題としては
自分が列をはみ出してしまったら
平和の概念が空っぽだったら
子供に八つ当たりしてる自分がいたら
勝ち負けに執着があったら、等

愛を見つけ平和そして調和があるにも関わらず、絶対的に足りてない感覚や自信を持って言えない自分がいました。愛を見出す事への焦りから、数ばかりこなすようで本当に自分に向き合い内観することが足りていませんでした。

瞑想の基本に立ち返り
① 気になる出来事や自分の課題
② その反対の理想
③ 立場を入れ替えて考えて
④ その時の理想

①はできるのですが、②~④がまさに機械的。じっくりと自分に問うことができていませんでした。(だから⑤と⑥も出てこない)

せんせーとお話する機会があり、「出来事から瞑想することをずっとしてきましたが、愛を見出すためにはどんな瞑想がよいでしょうか」と相談すると、
エゴシリーズの瞑想をするようにアドバイスをもらいました。その内容は大分前に読みましたがその時は、ふーん、それって誰にでもあるよね。でも私には当てはまらないと高をくくって、分かったようなつもりになっていました。

そしてもう一度読んだ時に、
自分に正直に謙虚に向き合い、少しでもあるか全くないかで読んだ時に、全てある事に気づき瞑想し始めましたが立ち止まります。なぜなら高い理想を掲げている自分と、現状の自分がかけ離れており、プライドや寺のしきたりや、色んな執着。何よりも、そんな情けない自分を受け入れられなかったからです。

また別の日のオンラインで、J.Yちゃんから①のような自分を愛し認め、許す事ができたらを瞑想項目の②´とし、それを手放して行きました。手放す時には誰かの手が私の背中をさすってくれていました。自分には愛される価値がないと自分から背中を向けている状態で、自分目線で瞑想の数だけこなしていたんだと分かりました。愛はこんなにも寛大で優しく私が何であろうとも愛してくれていることに、気付こうともしていませんでした。

そこで、えみさんより「愛を受け入れてください」と言われて、心にある愛、調和そして平和の光の中に恐る恐る入って行きました。その感覚をしばらく瞑想をしていると、それまで、頭の中であーでもない、こーでもないと騒いでいたものがシーーーーンと静まり返りました。その日のオンライン瞑想が終わり、その感覚が続いて、はっきりと愛を見出したと分かりました。

イメージでいくと、毎回瞑想する時に自分の中で胸の中にある愛の光に壁を作り、そこにお邪魔している感覚でやっていました。恐る恐るというのも自分であり自分ではなかったからです。
自分の嫌な所、ダメだなと思う所を認め愛し許す事を手放す事で融合する事ができ、何より自分と向き合うことから逃げてた事にようやく出会える事ができました。付け加えると、調和と平和がこんな自分でもいいんだと促している事にも気づく事ができました。自分が丸ごと自分の光の中へ入って電源のスイッチを押すように、やっと光と自分が調和というか統合できたというか、光の中へ入る事ができました。

今、生きている私にしかわからない、ここでしかできない喜怒哀楽、生老病死いう経験、色々な葛藤や孤独や悲しい気持ちを抱えながら生きてここに辿りつけた事で皆さんに出会えたと思うと、その遠回りしてきた自分とこの人生はなるべくしてなり、その気持ちになった自分に今となっては感謝し、何より愛から生きるというかけがえのない事を教えてくださった皆さん。

今後も「勉強になります!」と宣言していきます❗️せんせー、皆さん、ありがとうございます。



ーその後の変化、目標、現在の状況を教えてください

今は准看護師の学校に入るべく、高校卒業したらもらえるdiploma 取得の為にアダルトスクールに行っています。瞑想を始め、仕事しなくてもいいのではないか、瞑想を始めた今、お金がもっとほしいわけでもないのに、ボランティアでもいいのかもしれないのにとも考えました。

でも色んな事から逃げない選択をした今、今まで逃げ続けた事に対しての責任があると思っています。他の仕事ではなくそれを選んだ私。こだわってる理由が何なのか今はわかりませんが、中途半端な気持ちではなかったにしろ、中途半端な気持ちで看護師をやっていた、止まっている自分がいます。まだ経験し尽くしていない事があると魂に言われている気がしてなりません。

 

また、ある意味英語の勉強をしながらもう一回生き直している気持ちもあります。色んな形で愛を還元できるなら、看護師を通して愛を、今まで見過ごして来た愛を、無償の愛を紡いでいき、それと同時に働きながら瞑想していくことが、私の道です。

本当にたくさんの方の支えがなければ、海外に住みオンラインひとつで愛を見出すなどということは叶わなかったでしょう。それならば、次は私が誰かのために愛を見出すお手伝いをしていきたいと思います。伝えてあげたい友だちもいましたが以前はうまく誘えませんでした。同志のK.Aさんも愛を見出し一緒に歩みたい気持ちでいっぱいです。出会う人に苦しんでいれば声をかけ、ほかのどの方法でも救うことのできなかった苦しみをこの瞑想を通して救うことができたならと、自分から関わっていく人に愛を示していく。まずはそこからはじめていきます。


ー編集部より(とこ)

田舎生活での人間関係のわずらわしさ、お寺の厳しい伝統やしきたりにがんじがらめにされて、溜め込まれてきたやり場のない怒りに対して、逃げる事や病気をすることで何とか自分を保ってこられたのですね。旦那さんの連子さんを含めて5人のこどもを育てながら、オンライン瞑想会には毎回参加しまじめに取り組み、その闇に立ち向かう姿はとても勇敢です。そんな苦しみとは無縁と思えるほどからっと明るく、人なつっこく、気遣いがあって、場をなごませるS.Nさんは、みんなのアイドル的存在です。なるべくしてここに導かれたのでしょうね。相手と立場を入れ替えて瞑想し、「そうだよね、そういうこともあるよね」と相手も自分もまるごと受け入れられる「気づき」を得られるのもこの瞑想の醍醐味ですが、怒りしかなかった夫の元妻Jさんの生い立ちや状況に想いをはせて、赦し愛する境地に至ったS.Nさんのあたたかい愛が伝わってきます。人、事、すべてをあるがままに受け入れ、これからもお互い、人に愛を示していきましょうね。
 

 

右矢印愛を見出した人のインタビューシリーズはこちらラブレター



お問い合わせは

右矢印手紙アメブロメッセージから

 

または

右矢印手紙こちらからもどうぞご連絡下さいクローバー

 

フォローしてね