インタビュー<24>昭和の風潮とコロナの呪縛から解放され愛を胸に、明るい世界へ導く光さす存在へ

 

ブーケ2M.Kさん 京都府 50代 主婦

​​ ーこの瞑想を始めたきっかけを教えてください
この瞑想は整体師のMさんから教えていただきました。整体をしてもらいながら悩みを聞いてもらっていて。本当に主婦のたわいもない、旦那への不満とか、子育ての悩み事とか。大きな悩みごとや出来事なんてひとつもありませんでした。

大きな病気もないですし、言っても心を許せる夫と結婚もできて、家もあって、可愛い子供もいて何不自由することなんてなかったんです。やさしい整体師のMさんとも知り合えて、仲良くしていただいて。何も困ったことはないんですけど、何となくもやもやしている、私ってこれでいいのかなぁ、自分のやりたいことって何だったんだろうという、虚しい気持ちはいつもありました。

私がぐちぐち言っていたときに、Mさんがそれってなんでそう思うの?なんで?なんで?とどんどんと質問をしてくださって、そうしていったときに初めて感情にも理由やその奥があるんだと気づいて涙が出ました。瞑想というほどではなくても、気持ちを聞いてもらえるだけで、自分のことを振り返る機会があるなんて本当にありがたかったです。

思えば弟が障がいを持って生まれました。お姉ちゃんなんだからしっかりしなくちゃ、お母さんに甘えられず、お母さんに手をかけさせちゃ悪いって、「ちゃんとしな、ちゃんとしな」というのが当たり前になってしまっていました。その癖が抜けきれずに、わが子や周りの人にも、ちゃんとしてほしい気持ちがあって、でもそれを言えずに我慢していたんです。

母に対しては、自分がいい子でいなくちゃ、頑張っていないと見てもらえない、評価してもらえないという気持ちが大きくありました。自分のことは自分でできる子で、でもなんか気持ちよく、ゆったりできる場面がなく、私のことなんて少しも聞いてもらえませんでした。

うちは祖父母と同居で家はお店をしていて、お母さんは家で仕事していたので、お母さんがすごく大変な思いをしていたことも見ていたし分かるから、私がわがままなんて言えるわけないと思っていました。お父さんの妹さんたちが仕事を手伝いに来るという母にとっては最悪パターンですよね。

お母さんとお父さん側の親族と気が合わなくて。お母さんが疎外感を感じていたのも分かるし、私はそれを見て余計にしんどくなりました。父も昭和の男で、家のことは女がするべきだとか、男尊女卑の考えとかが価値観の中に刷り込まれていました。

幸い結婚した旦那は、全く真逆な人で、「俺は俺ですから構わんといて。あんたはあんたでしはったらよろしい。」というような楽と言えば楽ですが、それが私には少し寂しい感じもして私って何のためにいるのかなぁなんて、そんな悩みもありました。ご飯も作るけど、別に作らなくても文句言わないし、それで最初はそんな別に求められてもいないのに、ちゃんとせな、ちゃんとせなの想いばっかりありました。

それで、一生懸命しているのに、気に入らない料理だったからって、適当に自分の好きなものを冷蔵庫から探して食べているような人でした。昨日もそうでした。文句は言われないので楽といえば楽です。それでも相手は求めていないことを私が一生懸命しているものですから、承認欲求がたまるたまる、たまる一方。そんな形でパートもしながらですが主婦も15年近く続けていました。そんな家庭での何気ない愚痴から、瞑想をすすめられるままにここまでやってきました。

そういう生きづらさが楽になるならと思って。最初に2018年12月にMさんと一緒にせんせーと会いましたが、まだまだ、瞑想とか悟りというのはぴんと来なくて、Mさんから次にコーチングをすすめていただいて、勉強し始めました。コーチングでは、その自分がもやもやしてるのはこういうことなんだみたいなという、理論での考え方を教えてもらったという感じでした。理論が分かったからと言って問題が解決するわけではなかったです。

その時に、中学校でPTAの役員をしていました。そのPTA会長は大変な人で、自分の思う通りにならんかったら相手を攻撃するような人でした。その矢面に立たされとてもしんどい思いをしていました。それをコーチングで教えてもらったやり方で、紐解いていったことでちょっと楽になりました。

瞑想に通じるところはありましたし、自分と向き合う練習にもなりました。私はそもそも自己分析自体がちょっと苦手だったので、コーチングを学んだのはそれはそれでよかったです。その講座が終了しやり切った自信も持てましたが、それ以上お金を使うわけにもいかず。

そんなころ、2019年の9月から瞑想のほうへシフトしていくようになります。コーチングをするにもお金がかかるし、そして次にMさんが京都で瞑想を広報しているえみちゃんを紹介してくれました。そのときは、Mさんのおうちで整体をしてもらって、えみちゃんが瞑想を教えに来てくれて3人でランチ♡私も好きなお菓子を買って行ったりして楽しく瞑想を再開していきました。

ー愛を見いだすまでの苦労を教えてください

その時は、上の子が受験生で・・・数学が苦手で苦手で。定期試験の点数が20点💦もちろん、自分が子どもに対して課していた「ちゃんとしなさい」「学生たるものこうあるべき」という観念が引き起こした現実ではあったのですが、とにかく、数学教師だったえみちゃんに数学を教えてほしいという気持ちで「娘に数学を教えてください!」と頼み込みました。えみちゃんは、高校なんて定時制でも通信制でもなんでもあると言われましたが私はやっぱりわが子には普通のJKになってほしくて。(これも瞑想項目でした)

 

それでオンラインで数学を習いながらその横で、私は娘に口出ししたくなるのをぐっとこらえる瞑想を始めていきました。そこから、親から子への期待、その期待に応えてほしいという思いをはじめとして、小さなころに母に対して自分がずっと我慢していて、我慢とも思わずそうするのが当たり前になってしまっていた気持ちをひも解いていくことになりました。私はこんなふうにして、自分が母からしてもらえなかったことを、娘にしよう、しようとして、でも自分のエゴゆえに歪んだ気持ちで出てきてしまっていたんだな。これでは愛からの子育てなんてできるわけがない、と気づくに至りました。

話は変わりますが、私の家が2回火事になったことがあります。私の兄が赤ちゃんの時に1回目。炬燵の火の不始末でした。昔なので練炭炬燵で、そこから火事になりました。2回目は、うちの長女が2歳の時です。そのときは漏電からでした。そんなこんなで火事にまつわる瞑想をしたときにふと、戦国時代の自分の過去生が出て来ました。その当時の価値観が、努力、努力、努力で・・・。そんなところからも子どもへの期待に繋がっていたんだと気づいたときには唖然としました。

そんな形で、子どもの受験が終わるころ、徐々にまたせんせーともご一緒していていただくようになり、えみちゃん宅をお借りして瞑想会を続けていきました。その頃の私と言えばもう・・・コロナが怖くて怖くて。書き上げた瞑想項目を読んだだけで、笑われてしまいました・・・泣「コロナは恋人か」って。(それくらいコロナのことばかり考えていた私です。)

コロナで大切なことができなかったら
コロナを人にうつしたら
コロナになって家族のお世話ができなかったら
コロナで世の中が落ち着かなかったら
コロナで人を怖いと思わないといけないと
コロナのニュースでしんどくなったら
コロナで気分転換できなかったら
コロナで人に会えなかったら
コロナで電車に乗れなかったら
コロナで会社に行けなかったら
コロナでご飯を別々に食べないといけないと
コロナで娘が受検できなかったら
手洗いうがいをしないでコロナになったら
コロナになって嫌われたら
コロナがなくなって制限がなくなったら
コロナになったら
コロナで大切な人がなくなったら
コロナで、コロナで、コロナで・・・・
こんな感じでコロナコロナと。

中でも
「コロナになって人から嫌われたら」から瞑想をすすめていくと、仲間外れのワードから、狩猟時代に感染症にかかり、親子で村八分になってしまったことが思い出されてきて・・・それはもう、涙、涙。いつもそんな私を温かく見守っていただきました。

瞑想会では、はじめはY.Nちゃんと。それからどんどんと人が増えていきました。オンラインではCaliforniaのS.Nちゃんも。リアルでは平日の部と土日の部があって、私はどちらのメンバーからも学ぶことがたくさんありました。この2極の瞑想だけではなくてスピリチュアルに詳しいY.Mさんからは、話してくれはる言葉がやさしくて身近に感じられました。

せんせーに教わっていると、緊張してしまって、
「言われている通りにせなあかん」→「出来てない私」→「自己嫌悪」→「瞑想したくない」となってしまうところもありました。

そんなとき、Y.Mさんはふわっと、必要な情報をくれて「みんな選択の問題なんですよ〜✨」と、私のなかの「せなあかん」という四角い価値観を丸く丸くしていただきました。それで超越まで行けるかというとそうではないかもしれませんが、せんせーの教えを灯台の光に例えるならば、その光の当たるところまでボートに乗せて頂いたような感じです。

Mさんにしてもえみちゃんにしても、Y.Mさんにしても、そうして助けてもらったことで、また次は、私から励みをもらった、参考になったと言ってくれる仲間もできて、本当にみなさんに恵まれたと思います。完全な悟りとか解脱とかって、そんなこと言われても、一介の主婦にはチンプンカンプンです。目が泳ぐどころか顔が泳いでしまいました。でも、みんな同じしんどい思いとか、やりきれない気持ちとか、自信が持てなかったりして苦しんでいます。

それなら私で助けになれるものならなっていきたいです。それは、悟りや愛でなくてもよかった。看護なり、カウンセリングなり、ちょっとした相談相手になることだったり、それでももちろんよかったのです。でも、自分自身が世間で迷子になった状態では助けたつもりになって、助けられなかったり、実際自分のエゴ、見返りが欲しい気持ちもあるから、関わってあげても自分がしんどくなるのが現状でした。

あれは、私が瞑想を再開してちょうど1年ほどたったころのことです。すぐご近所のママ友のN.Dさんと久しぶりに子どもの運動会を見に行ったときに話をしました。「久しぶり~!!元気??」なんて軽々しく声をかけたところ、N.Dさんから「旦那が死んでん・・・」とのこと。私は真っ青になり、「あー!なんて、軽々しく声をかけてしまったんやろ。なんて声をかけてあげたらいいんやろう」と、心がどよんとしてしまいました。

せんせーは死後のことにも詳しいと聞いていたので、その事だけでも伝えてあげよう。そしてもし瞑想を続けていかれたなら、元気になってくれはるんじゃないかと悩みながらも声をかけてみました。どんな風に言えば、何を言えばと悩みましたが、N.Dさんはこの瞑想にすぐに興味を持ち、職場のK.Aさんも誘って一緒に瞑想をするようにもなりました。

N.Dさんはもともとパワフルでついていけないくらいのアクティブさ。K.Aさんはお悩みが深刻で私は聞くだけでクラクラとしんどくなりました。私はすっかり困ってしまい、体調を崩しその冬は2回も熱を出しました。人を導くってこういうことなのか。自分がしっかりしていないとまずまず出来ることじゃないなと痛感したのです。

ー愛を見いだした時のことを教えてください

そして2022年の8月、お風呂でふと分かったんです!その時の事をせんせーに報告しました。

いつまでたっても瞑想してもコロナが怖い!これだけいつまでも怖いのは何か私に教えてくれているはず!2極を経験する為楽しむ為にここにいるのだから恐る事も幸せなのだ、あっ、恐れなくていいんだ!怖がらなくてもいいんだ!と心の中から出てきました。そして、私は愛なのだから!と

なんだかよく分からない感覚で涙が出てきました。その後もいろいろ前向きな感情が心から出て来ました。次の日も朝から気分が良く、素晴らしい日でした。でもまたコロナに恐怖を感じたり心配していました。それは怖がらなくてもいいと念じ、すぐに小さくなりました。忘れっぽい私が、一昨日の夜から今日まで揺るぎなく心から出てくる言葉は“私は愛”です!



ですが、せんせーからの返事は
▷ まだ愛を見出しかけている所です。恐怖があると愛はすぐに消えます。

 

と言われました。

 

そういえば、1年以上前に平和を見出していて、その時に調和は??との話になっていました。
もしゴスペルの中に音程が狂っていたり、周りとあわない人がいたら
→私は教科書、音符通りに歌って初めてゴスペル(社会)が成り立つと思ってました。
→合わない人が努力して合わせるものだと思っていました
→せんせーは周りのみんながその人に合わせればいいとおっしゃって腑に落ちませんでした。
→言われている事すら理解出来なーい!!
ってなりました。

えみちゃんから
赤ちゃんを育てるのに育児書通りには行かない
→3時間おきにおっぱいと言われても、それまでに欲しがったら?3時間たつまで待つ?
→マニュアルは守るものでなくて標準的なサンプルでしかない
ということを話してもらって、それならわかるかも〜、と思いました。

そんなことを思い出しながらも2022年9月、ここを何とか超越しないと自分がしんどい、という状況になりました。調和の課題に取り組むため、初めてせんせーの家で個別瞑想をお願いしました。

調和から外れてしまったら 罰を与えられたら
嫌われたら グループにいても安心できなかったら
理解できない人がいたら 山登りをしていて自分がペースを乱したら
周りの人が常に見はっていたら 
などなど

本来は、自分のペースや他人のペースなんてものはないし、乱されるものなど何もないのに、自分が固執していたのだとただ気づきました。そして自分というものがなくなり、透明人間になった感じをキープするようにとせんせーから教わりました。

そして調和を見出し、晴れてせんせーに愛を見出したと言ってもらいました。私は愛より調和の方が遠い存在でした。調和を見出していない間も私が愛!という思いは消えず、愛について考える事は、愛から生きるとは?でした。長い時間が過ぎ、のんびりやってきて、ようやく一歩踏み出せた!って感じですが、1つの目標に達した事がとても嬉しいと感じました。

2極の瞑想さえしていれば愛を見出せる!と思っていましたが、私の場合は、決してそれだけではなかったです。みなさんの愛を感じ、違う角度から自分を見ることや許すことが出来た時に自分の愛と調和を感じ、理解していきました。


ーその後の変化、目標、現在の状況を教えてください

それから私にはどんな役割が果たしていけるのかと、相談した時にえみちゃんが

「M.Kさんは、共感力があって人のことを思いやるやさしさがあるのでこれまでにも京都めいそうの会で大きな役割を果たしてこられました。悟りに向っていかれることでよりたくさんの人を助ける人です。悟りは苦しみをほどくための叡智で、根源的な助けになります。世の中にはいろいろな方法で一時的な助けはいくらでもありますが、せっかくこの瞑想法に出会ったのだから、それをお借りしてM.Kさんの目に止まる人に届けてください。皆さんがそれを願っています。」

と話してくれました。

せんせーもそうして叡智を与えてきてくださったのですが、私にそれができるかというとそんなことはナイナイ、まだ無理です〜。でも、せんせーみたいには話せなくてもいいから、自分がエゴをなくして話を聞いてあげるだけでもしていきたいです。

そう考えていると、ただ単に自分がなくて誰の話にでも共感してしまう自分と、自分を超越してひとに寄り添っていける自分とでは、違いがあるんだと気づきました。そうしたら早く私も、自分を超えて、それから人に寄り添ってあげて向かう先も示せるようになりたいなぁって、思えるようになってきました。

もし私がいま過去の自分に出会ったら、「もっと、もっと自分を許してあげたらいいよって言ってあげたい。めっちゃ頑張ってるやん。頑張ってるよ!!」っていうふうに認めてあげたいです。とりあえず常にもやもやもやもや落ち着かなかったし。自信もなかったし、でも全部自分が作っているんだよって。そんな私を否定するんじゃなくて、上手に言ってあげたいです。自分のしてほしいことを、これから出会う人にもしていけばいいのですね^^

これからは京都メンバーのとこちゃんが私の瞑想項目をテレパシーで送ったらやっといてくれるって言わはるので、とこちゃんと一心同体で頑張ります(笑)それくらい軽くなっていこう、自分を罰することに価値観をおいていた地の時代に這いつくばることをやめ、表面的ではなく深層部分から明るく軽くなっていきたいと思います♡

ー編集部より(とこ)

大きな悩みや病気もなく平和なはずなのに、なにか釈然としないものを心に抱えてきたM.Kさん。掘り下げてみると、弟さんやご両親といった身近なところからしこりがあったんですね。自分は恵まれているのにそんなこと言っちゃいけない、思っちゃいけない、自分は我慢しなきゃ、と感情に蓋をしてこられたのですね。愛とは真逆の社会的観念や、罪悪感を植え付けられて育ってきた時代。この瞑想を通して、自分の感情に、心に、素直に向き合うことの大切さを痛感します。瞑想会でご一緒させていただいて、共感力、そして竹を割ったようなからっとした明るさとサポート力。M.Kさんはなくてはならない心強い存在になっています。人の助けになりたいというはっきりした意志を持っていらっしゃるのも、M.Kさんの愛の大きさゆえではないでしょうか。何でも「楽しむ」才能をお持ちのM.Kさん。これからも一緒に闇に光を当てて軽〜くしていきましょう。いつでもテレパシー瞑想代行お待ちしてま〜す♡
 

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