インタビュー<23>うつ病、流産、夫のがん、母の死を越え訪れた赦し愛の光~そして保育料も半額に✨

ブーケ2J.Yさん 滋賀県 40代 工場スタッフ

ーこの瞑想を始めたきっかけを教えてください

夫から毎月生活費をきちんともらいたいということで悩んでいました。第1子の出産を期に専業主婦になったのですが、毎月必要な生活費を夫からもらって生活していました。その当時、専業主婦になって3年目、2015年ごろです。夫がなかなか生活費をおろしてきてくれないことにモヤモヤしていました。

自分で収入を得ようと販売ビジネスを始めようとしましたが、THE主婦マインドだった私では、その道を邁進することもできませんでした。そのときに大学時代の友人のえみちゃんに声をかけて、これから何がしたいかと尋ね、人のためになることがしたい、ボランティアでもいいし、誰かの助けになることをしたいとふたりで話していたのを思い出します。

そのころ、えみちゃんが新しい友達ができたと言って、算命学の鑑定をしてくれるMさんを紹介してくれました。後にMさんから瞑想のせんせーを紹介していただくことになりました。Mさんに誘われて、一度せんせーとお会いして瞑想を経験したものの、その当時は仕事と子育てに追われ、定期的にせんせーのところに通うこともなく、困ったことがあれば自己流に瞑想をする…という感じで3年が過ぎました。でも『愛を見いだしたいなぁ…』という憧れだけはありました(笑)

2019年に第2子を妊娠し、仕事をやめることになり少し時間がとれるようになりました。

その当時は、4才の長女が『妹か弟がほしいなぁ…』と話していたことや、長女の出産後に2度流産していたこともあり、性別にこだわりはなくただただ無事にうまれてくることだけを願っていました。

そんな中、お腹にいる赤ちゃんの性別のことで、義理の家族と思いがすれ違うことがあり、自分がどのように思われているのかと怖くなり、不信感を抱くようになりました。結婚前に「いずれは同じ敷地に住んでほしい」とお義父さんから言われていましたが、あまりに自分の価値観と離れすぎていることに愕然として、「こんなに価値観の違う人たちと一緒に住めない」という思いが強くなりました。当時は「お義父さんたちと同じ価値観を持てるようにならないとうまくやっていけない」と思い込んでいたのですね。

すると、既に瞑想を進めて愛を見出していた、えみちゃんとMさんが2人で家まで来てくれて、自己流でやっていても思考が堂々巡りするだけだから、一緒にやったほうがいいと言ってくれました。

 

その後、せんせーも出張して来て下さり、
▶「世間の考えに右往左往して生きるか 愛に価値をおいて生きるか」
と聞かれましたが、今になってようやく、愛に価値を置くことの意味が分かり始めました。

それでもとにかく、義理の家族への恐怖心・苦手意識を抱えたままではどうにも前に進むことはできないので、その気持ちを克服するために本格的に瞑想をはじめました。

本当に、愛や悟りとはほど遠いところからのスタートだったと思います。とはいうものの、もともとは保育園や幼稚園で勤めていて、キリスト教保育、モンテッソーリ教育、アドラー心理学にも興味のあった私は、どこか崇高な神の存在に従順な心を持っていましたし、愛からの子育てや保育を理想に掲げていました。

ー愛を見いだすまでの苦労を教えてください

そして瞑想を再開しながら、無事に第2子を出産したものの、その後すぐに夫ががんになりました。産後というと自分と赤ちゃんだけでも精いっぱい、そのうえ、4歳の子もいるのに、夫ががん・・・💦これはいったいどういった状況でしょう!?

以前の私ならパニックになり、どうしようもなかったことと思いますが、その時は、この瞑想を知っていてやり方についても理解が進んでいたので、えみちゃんにラインで相談しながら瞑想に取り組んでいきました。そんな中、幸いだったのは夫がかなり超越している人で、自分が病気だからとうろたえることの全くない人でした。

私ばかりがいっぱいいっぱいになりましたが、本当にありがたいことに、見守られて瞑想をさせてもらっているような状況でした。そして、夫は胃の摘出手術をしたものの、再発することはなく、順調に快方に向かいました。

私の瞑想も板につき、このまま瞑想を進めて愛を見出したいと思う気持ちが出てきました。そのころには、平和を見出せていたものの、続けて、調和、愛と瞑想のほうへ進むことをせず、これまでのキャリアを生かした仕事を始めたいと思うようになったのです。具体的には性教育を通して家族や命の大切さを伝えていくことです。瞑想を第1に置きながらと、頭では思っていましたが実際にはそうもいきませんでした。

それと同じころに母が病気で倒れました。以前から病気がちだった母の看病と、1歳、5歳の子を抱え、瞑想時間も捻出できないなか、しんどい時期を過ごしました。私は家族愛に価値を置きすぎていたのです。そして家族を大切にしよう、愛を伝えようと、まずは、身近な家族への看病を通して愛を大きくする機会を与えてもらっていたのだな、と今となれば振り返ることができます。

それでも義理の家族との関係にばかり意識が向いていた私は、いつまでもそちらの問題に気をとられていて、義理の家族に対して一向に関係がよくならないことで現実が変わっていない!!瞑想をしても意味があるのかしら・・・?と焦り始めてしまいました。私は、ついつい、自分のできていないところにばかり目を向けて落ち込む性格でした。

今にして思えば、出来ていたこと、出来るようになったこと、自分と向き合えるようになったこともありました。子育てをしながらしんどい中で夫を支えてきたこと、子どものころは色々と不満を持っていた実の両親への気持ちを感謝に変えてこられたことなど、私が頑張ったことも成長できたこともたくさんあったのに、私は自分で自分のことを出来ていない、出来ていないと思うばかりでした。

それから、車で県外にも行くことのなかった私が、勇気を出して高速道路に乗り、1歳の子を連れて京都へ行き、せんせーや京都の皆さんと一緒に瞑想する会に参加しました。そこで出会ったM.Kさんはごく普通の主婦の方で、私と同じような悩みを持っていらっしゃって一緒にお話ができることで励みをもらいました。

半年ほどして、私が第3子を妊娠し京都に行くのがつらくなり始めると、カリフォルニアからS.Nさんが熱心にオンラインで参加されるようになり、私がまっすぐに進んでこなかった愛の道へ邁進されている姿を見て、情けなくも恥ずかしくもあり、オンラインで私も頑張ろうとの思いが湧いてきました。

私があまりに日常的な瞑想ばかりしていると、愛の視点を上げるために『無償の愛』についての文献などを読むことをえみちゃんからすすめられました。そのときは無償の愛といわれても自分とはほど遠く感じていました。アミやバシャールの本も読んではいましたがまだ私には絵空事のようであったり、ピンとこないことも多かったので、マザーテレサがより身近に感じられました。

その中でも、マザーテレサと交流のあった片柳弘史さんという神父さまの書かれた本を読み、無償の愛について知識として理解しました。(参考:https://amzn.asia/d/1N7aiEB )
そして、本を読んで気になったことについて、マザーテレサがされていたことを自分にもできるのかという視点で項目をたてて瞑想しました。なかなか自分に対しても周りの人に対しても『許す』ということが難しかったのですが、少しずつ愛を感じるようになっていきました。

ー愛を見出したときのことを教えてください

そして、2022年11月に2極の瞑想をするメンバーが全国から集う「Love Earth ファミリーの集い」が京都の市民活動センターで行われ、それに参加しました。せんせーや皆様のお話をお聞きする中で、自分がこれまで『日常生活の改善のために瞑想をしている』ことに気づきました。そして、この時『愛を見いだし、愛から生きるために瞑想をしていこう』と絵空事ではなくはじめて自分事として目指せるようになりました。

また義理の家族のことで悩みを持っているR.Mさんともお話して励みをもらうことができて『義理の父母、妹さんを許そう』と思うようになっていきました。今までは『義父母、妹さんから、怒られないようになりたい。トラブルなく過ごしたい』という気持ちから瞑想していたように思います。

また、同じころ主婦代表のM.Kさんが愛を見出したことを報告されました。当時の私は「夫に瞑想について怪しまれそうで伝えられない」という悩みがあり、M.Kさんも同感してくださっていました。私の中では、「家族に理解してもらえないと愛をみいだすことはできない」という勝手な思い込みがありましたが、「家族に話せなくても、愛を見いだせるんだ!」と思えたことで自分自身に「愛を見いだしても大丈夫なんだよ」と許せたように思います。

せんせーの奥さんのマリさんにも「できない自分も、『それでいいんだよ』と受け入れてあげてみたらどうですか?」というヒントを頂きました。

そして自分なりに瞑想の中に工夫して取り入れていきました。
(瞑想例)
①「怒ってしまう」の反対の理想は②「決して怒らず、いつもニコニコ笑顔でいる」とし、②の理想を手放すはずの瞑想なのに、②の現実にならないからと「また、怒ってしまった。だめだ~!!」と攻め続けてきました。そこで、②´ を考えて「怒ってしまった自分も許してあげたら」と瞑想をしていると涙がでて、その時、はじめて自分自身を許すことができたように思います。義理の両親や妹さんの考え方に対しても、「義理の両親や妹さんにとっては、それが大事な価値観なんだな・・・」と思うようになりました。

そこから、『自分が義父母、妹さんとして生きていたら』『自分と義父母、妹さんが1つだったら』などと瞑想し、自分の中に取り入れ、包みこむイメージがもてるようになりました。その中で、『全ての魂が、神にかえる(思い出す)お手伝いをする』というメッセージが浮かびました。

このメッセージがどこから来たかとふと記憶をたどってみると、第1子と第2子の間に2回の流産を経験したり、実母が寝たきり状態のまま2年間病院で過ごしたときに子どもたちから

「赤ちゃんは死んじゃってどこに行ったの?」
「人は死んだらどうなってしまうの?」

と、聞かれてふと答えていた言葉がこの言葉だったんです。
~みんな神様のもとからやってきて、いつかは神様のもとに帰っていくんだよ~



 

このことは私が生れながら知っていた真理だったんですね。そのことを母や生まれてこなかった2人の子が実体験を通して教えてくれていたのです。子どもたちとその真理をかみしめながら、過ごしていた病棟での時間がふと蘇ります。折り合いが悪い悪いと瞑想項目ばかり見せられている小3の娘ですが、娘なりの愛や優しさを感じることも何度もありました。

そして、長い闘病生活を終えた実母が神様のもとへと帰っていきました。

ちょうど同じころ2022年12月。そんないろいろな経験を通して「これって、もしかして愛なのかな?」と感じるようになり、せんせーに確認をとり「おめでとうございます」と言っていだたき「愛なんだ!」と確信を持つことができました。私にとって、愛は、受け入れる・赦すという感覚ににているかな・・・と思います。


ーその後の変化、目標、現在の状況を教えてください

現在もまだまだ残っている執着がたくさんあるので、瞑想項目はどんどんでてきますし、特に、小4になった娘とは、いろいろなバトルがでてきます。これも、私の執着を手放すために娘が見せてくれていると思って、コツコツ瞑想に励んでいます。次のステップとしては、愛から生きることを目指しています。

また、近頃、せんせーが以前皆さんに紹介され、2022年12月に新訳で再版された『心身の神癒』という本

https://amzn.asia/d/gYTchBR)を読みました。分からないところもあるけれど、心にすっと入ってくる感じでとても読みやすく、読むことでの癒しもいただいている感じです。

その中で第8話81節『あなた方を互いに分離するものはすべて偽りであり、分離することはあなた方の中の神我(キリスト)を否定することになるのである』という言葉に今現在の私の課題を教わりました。

まだまだ、私の中には、分離の感覚が強く、自分と他者という感覚があります。愛から生きているえみちゃんやせんせーに聞くと、自分も周りの人も一緒だというワンネスの感覚があると言います。「その感覚になったころに愛から生きられるのでしょうか?」とせんせーに質問すると、「愛から生きるのはもっと早い段階だよ」と答えていただき、私のなかで愛から生きることをハードル高く考えていたのだという気づきもありました。

自分も他者もすべてが1つ・・・このことを感覚として体感すること、そのためには、自分自身が愛となり、愛をつたえていくことで愛から生きることを実現し、取り組んでいきたいと思います。今までは、自分が瞑想することに精一杯でしたが、自分の周りの人にも瞑想を伝えていきたいと思えるようになり、えみちゃん、せんせー、京都、滋賀の瞑想仲間の皆様のお力を借りながら、滋賀で瞑想会を開催するようになりました。

以前は疲れやすく、1ヶ月前の予定を1ヶ月間気にして過ごすくらい、神経質なところがあり、どこか1日出かけると、疲れて体調をくずしていました。そんな私が、友人を誘い、瞑想会をしようと思うようになったのも、愛を見いだし、少しずつ心と体が軽くなってきたからだと思います。

滋賀での瞑想会の開催を始めたものの、
🌟 母が危篤になった!
🌟 朝起きたら滋賀だけ雪が積もっている(京都は晴れているのに💦)
🌟 子どもが熱を出した
などなど、毎度のように突飛なことが起こりながら・・・
それでも何とか毎回開催&参加できている私。肝も据わってきたようです。

瞑想会では、本当に普通の主婦の何でもない瞑想項目が(自分ではこんなことばっかり瞑想してほんとに嫌になるなぁと思っていた内容でも)これから始めようとされる方に参考にしていただけることもあったりして、以前えみちゃんから夫ががんになった時に、「いまJちゃんが経験していることが誰かの助けになる日が来る」と言ってくれたことを思い出します。

瞑想や活動に使う時間が必要となったことで、今までは、3歳と0歳の子どもを家で見ながら、二人の子どもが昼寝をした間に瞑想をしていましたが、愛から生きられるようになりたいと思った時に、10ヶ月の娘を保育所に預けるという選択肢が浮かびました。

『夫に反対されたらどうしよう…』
『小4の娘が留守番することや学童にいくことをいやがったらどうしよう』
…などという思いがあり、理想の家族像や母親像などについても瞑想をしました。

結果、夫の納得も得られ、10ヶ月の娘も3歳の息子と同じ園に通いはじめました。今は、瞑想の時間を確保しながら働ける、自宅近くの工場スタッフとして働きはじめたところです。

しかも、第2子が0歳のころには6万円近くした保育料が、現在、3歳になる第2子は無料、0歳の第3子は規定の半額で預けられるようになっていました。これも瞑想の効果というと言い過ぎかもしれませんが、自分のとらえ方が変わることでハードルは実際に下がるんだなぁ、としみじみ思います。

まだまだ自分の胸の中に小さな愛があるのを感じるくらいです。他の方の、愛の感じ方を聞くと、その違いから、『自分の見つけたものは、本当に愛なのかな?』と思うこともあります。でも、それだけ神様が多様な愛の感じ方をしたかったということで、どれもかけがえのない愛の形なのだと思います。これからも、瞑想を積み重ねながら、自分の中の愛を大きくし、愛となり、ワンネスの光となっていけたらと思います。


ー編集部より(とこ)

もともと人のためになりたいとの思いを持ち、子育てや保育、心理学などを学び、崇高な神の存在に従順な心を持っていらっしゃったJ.Yさん。義理のご家族との関係に悩まれて、それに勇気を持って向き合い、瞑想されてきたことは、これから同じような状況におられる方の助けになっていくのですね。瞑想会や「Love Earth ファミリーの集い」での仲間との交流、マリさんからの助言、せんせーからの教え。たくさんの仲間に助けられ導かれてこられたのもその明るいお人柄ゆえですね。この間に、旦那さんのがん、流産や、お母さまのご臨終というつらい体験も乗り越えて来られたのですね。3人の子育てに追われながらも時間を捻出されて、積極的にリアルとオンラインの瞑想会に参加されていて、パワフルにひたむきに努力されているお姿がまぶしいです。滋賀県で瞑想会を開催されていて、これからもJ.Yさんとともに大きく愛を広げていけるのが楽しみです。
 

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