インタビュー<21>切に求めた平和の時代へ~花を咲かせた木があるように~大いなる存在への気付き
ブーケ2A.Tさん 京都府 40代 福祉職

ー瞑想を始めたきっかけを教えてください
 

せんせーの奥さんでもあり、幼なじみのマリちゃんからこの瞑想の事を教えてもらいました。 ゆっくりお家に訪問させていただき、せんせーと初めて対面した時に、以前の職場で全く上手くいかなかった人間関係の話をもとに項目を立てて試してみました。職場の人が私のことを否定したり、受け入れてくれていないのではないかと悩んでいて、そのテーマについて瞑想をしていきました。

誘導されるがままに、自分の感情と向き合い、感じつくしていくうちにずっと苦しかった引っ掛かりがウソのように消えてなくなっていました。「 ああ、あの苦しみは一体何だったんだろう?」と思えて、豆鉄砲をくらった感覚の中にただいたのを覚えています。

その後すぐには瞑想を続けてやろうという気持ちにはまだなれませんでした。 本格的にスタートしたきっかけは、その1年後くらいの二人目を出産した直後だったと思います。 ほぼワンオペ育児で、新生児と娘二人をみないといけない慣れない時間。それに加えて過干渉で、いつも心がギスギスしてしまう母親との関係の中で、当時の私にとっては色々としんどい時期でした。

その私の感情を代弁するがごとく、上の子(娘)の低くくすぶってたアトピーが、日に日に悪化しました。日中はもちろん夜も痒さで何度も起き、介抱を余儀なくされるようになりました。 新生児の世話もあり極度な寝不足と疲れで発狂しそうな日々に、この2極の瞑想を思い出し、藁をもすがる思いでマリちゃんに電話で瞑想のやり方を確認しながら・・・、気が付いたらノートと向き合う日々を送っていました。

娘のアトピーは正に頭から足の指先までと全身から見せてくれてたので、項目はずっと雪崩のごとく見せられていたように思います。 傷一つ一つからみせられる自分の過去世。眠れないという精神的な苦痛や憎悪。夜中に搔きむしる音やそこから連想される項目。 それに加えて、実親や保育園の先生などの第三者からも色々と厳しい意見を受けていたりもしていたので、それに対しての引っかかる内容にも取り組みました。

紫外線や思い浮かぶ食べ物などの、アトピーという症状が引き起こされると思える原因。 薬を使うことにも抵抗があったので薬剤関係からの項目。幼少期から積み重ねてきた、どこにも見当たらなかった自己肯定感と、根っこにべったりくっついて離れてくれなかった、きっつい承認欲求など。

アトピー関連はとにかく大量にあったので、湿疹のひどい箇所がわかるようなイラストを起こし、項目をメモ書きしながら一つ一つ統合していきました。その中で、まず最初に真っ赤だった娘の顔がとても綺麗になりだしたのです。

それが、雪崩のように降りかかる項目に向き合っていく大きな勇気となったのを今でも覚えています。  


ー愛を見出すまでの苦労を教えてください

 発狂するような毎日の現状を変えていきたい!私のせいで娘がこんなにもつらい思いをしてる。 自分の凝り固まった概念をなくすことで、娘や自分が救われていくのなら、ただやるしかない!!といった心ひとつで項目をクリアにしていきました。

子どもたちの瞑想がひと段落すると、自分の人生を振り返り瞑想のテーマを探していきました。そのなかで、私が大学生の時に、祖父が自死した出来事を思い出したのです。遺書には『特攻隊で亡くなっていった人たちに後ろ髪をひかれる思いでずっと生きてきた。平均寿命を生きた今を区切りにしたい』といった内容のものが書かれており、当時の私はそれが非常にショックで、それを切っ掛けに戦争について色々考えるようになっていきました。 

平和ボケとされる世の中にいながらも、戦争の後遺症がずっと人を苦しめてる胸の痛み。 そんな戦争は一体誰が起こしてきたのか?世界的なものから始まって、身近な個人同士の争いへと意識がいって。「なぜ?なぜ?なぜ??」と自問自答を繰り返す中でした。答えが見つかるかもしれないと沖縄や長崎、広島へと足を運びました。大学を卒業してから8年ほど後、30歳のころの事になります。

実際に集められた資料を目のあたりにし当時の風景や当事者の数々の声を拾いながら胸が張り裂ける時間を持ったり、原爆被害現地でエネルギーを感じ『悲惨』さのすぐ横にあった『平和』の数々。 そこで感じたエネルギーを絵に託したり、他の賛同下さったアーティストさんと共に展示やステージをもって発信。 戦争の語り部さんに直接話を伺ったりしながら、終戦記念日の【イベント】として形にして自分なりの答えを示し、納得させていました。

同じころ、東北大震災後の復興ボランティアに、居ても立ってもいられずに参加して現地で1か月半ほど過ごしました。 そこでは、まるで津波で何もかもが視界から崩され消えた戦地のような景色で… 落胆や憤り虚しさの人々の感情が渦巻いていた中でしたが、ただただ自分が泥となり一つ一つの泥まみれになったお家や畑の立て直しをして、少しでも綺麗にしていくという無の中心に入っていった境地と、その境地の中に確かに存在した暖かく光のようなものを感じていました。

その頃から、私の中で“平和”を求める心は既に存在していていました。

当時は、戦争や派閥はなくならないと世の中の仕組みを知れば知るほどに理解してしまうのですが、それでも争う事をしない道はないのか?と“考え続ける事”に意味があると思っていました。

しかし、この2極の瞑想を知ってからは、平和を求めて行動することや、戦争や派閥を否定することでは何も解決しないと理解できるようになりました。まずは自分の中の争いや戦争をなくしていくことです。誰の中にも争いは小さくてもあるもので、その心をもちながら外側に見える社会を変えることはできませんでした。

自身の問題を統合させることによって、 その自分の中で根付く基盤となった『平和』が大きな灯となり原動力となり、この2極の瞑想を通しながら『調和』に気づかせ、『愛』の存在を紐解くようにして導いていってくれた感覚がこれまでの瞑想体験をふりかえり感じられます。

ー平和や戦争の瞑想にはどのような項目がありましたか
 

とてもリアルで具体的な項目がありました。

◎防空壕の中に閉じ込められたら?(閉塞感)
◎防空壕で生き埋めになったら?
◎ずっと鬼気迫る緊張状態の中で逃げ回らないと。
◎殺したくもない相手を殺さないといけないと
◎死にたくもないのに、死へと飛び込んでいかないと行けないと(崖からの身投げ&特攻隊)
◎家族や友人が戦地に行くのを見届けないと行けないと
◎目の前で、さっきまで普通に生きていた人が無残な姿となるのを目の辺りにしないといけないと
◎誰もいない世界(今まで当たり前にあった建物が全て崩壊した)を目の辺りにしないといけないと
→震災時の新聞記事で取り上げられていた一人立ちすくむ写真のシーンが強く残っており、そういう人に対して何も出来ない不甲斐なさとかもとっていったと思います。
◎意味も分からない社会の制度(社会が勝手に決めた方針)に全て黙って従わないといけないと
◎おかしいと思う決まり(やられたらやり返す的な)に周りの人が何の疑問も持たずに一致団結し行動してたら

等々、沢山ありました。

さらに、人同士が争う根元的なところに「相手を省みない正義感や主張したい正論」というものがありましたし、こっちの方が良いのにといったような信念的なもの。この辺りも瞑想して超越していきました。


ー愛を見出した時の事を教えてください

そして平和や調和をテーマに瞑想を進めていき、娘のアトピーや戦争などいろいろなテーマがひと段落したころ、仕事の休憩時間。桜の下で、ふと上界から眼差しを感じるという何とも不思議で懐かしい体験がありました。 

ただ、そこに花を咲かせた桜の木があって、それをただただ眺める私がいたように、 私の人生を、ただ穏やかに見守り微笑む大いなる存在があることに気づきました。


そして、その大いなる存在が=自分の魂そのものだったなと。その時はまだそれが“愛”だとは分からなかったのですが、私の話を聞いたマリちゃんが「もしかして、愛を見出した?」と質問を投げかけてくれました。

確認のため、その大いなる存在に「あなたは愛ですか?」といった質問を自身に問いかけました。 答えは「yes」とあり、ただただ静かにずーと見守っていてくれたんだなぁといった感謝がこみ上げてきました。   

ーその後の変化や目標、現在の状況を教えてください

項目の雪崩に合うことはほとんど無くなり、愛を大きくするために心を集中させる時間はとても増えたと思います。

私たちが瞑想を進めていくうえで指標にしている「牧象図」においては愛を見出した段階(⑦)から愛から生きていく段階(⑧)をまず第一の目標にしています。⑦の段階に来るために、子育てや娘のアトピーなどの(項目の雪崩になる)問題が、瞑想に向き合えるようにここまで連れてきてくれました。

⑦から⑧、この段階においては出来事(魂の導き)にやらされてやる段階を過ぎて、自らの意志と神の意志が沿っていくように自身を高めていく必要が出てきます。

そのため、それを鏡写しのようにして、残された自分のエゴが相手の目にも止まりやすくなったり、相手に大きく見せてつきつけてしまうという“現実”が起こるようになりました。 相手にとっても自分にとっても苦しく良くない状況が続いてしまいました。

それは私自身が次に進もうと決意したことの表れなのかもしれません。そこでやっと“エゴ”よりも“愛”にもっと集中しようという大きな気づきを受け、相手を無償で愛そうとする自分の中で大きく太く流れ出したエネルギーがありました。 

私が私であっていいように、相手も相手、そのままでいい。 どんなに強くて醜いきついエゴでも“全てyes”と言ってしまえる無償の愛のエネルギーの中に、身を預けるという感覚が初めて芽生えてきています。

自分以外の誰かを愛するという行為、愛していこうとする意志は、全ての可能性の始まりだなとつくづく思えます。 2極の瞑想を通して、相手がみせてくれる項目がまるで自分の事だったと気づく。相手のこんな愛せない所があるけども、私が相手だったらここは愛してほしい。

その積み重ねで相手が見せてくれる世界が、どんどん知らなかった自分を掘り起こし、どんな怒りや悲しみも赦し、癒し、最後は胸の中の灯りとなり光=愛へと導いていく。 自分を変えていけるのは鏡として映してくれる相手がいるからなんだ。相手がいるから自分の事がよく見えるんだ!と思えたらどのような人にも感謝がこみ上げました。

▷ 自分を愛することも他人を愛することも同じ
せんせーが教えてくださるその言葉の意味を毎回の瞑想を通して深く理解を進めています。

相手をまるまる愛せて初めて、自分の世界は愛で広がっていく感覚=可能性が広がるエネルギーをようやく最近になって知りました。今はその感覚を探しながら項目と感情と向き合っている感じです。  

また 最近では、娘と息子の姉弟喧嘩の項目に多く取り組んでいき、家庭は平和で落ち着いた状況になってきました。子どもの安全を守る仕事(小学校の役員)を定期的に行うようになったこともあり、自分の中の“平和”が大きく膨らんで満たしてくれる感覚がすごくあります。 

そのような気づきとともに、趣味で家の庭で採れた梅を使って梅シロップを作り、梅と氷砂糖が融合していく様子を日々観察しながら、 自分の中にあるプラスとマイナスを溶け合わせ統合していく感覚を意識的に同調させ感じたりする中で“調和”が膨らんで大きくなる感覚。 日常のちょっとした中で今は平和と調和が大きく大きくなろうとする感覚がすごくあるので、意識的にそのようなエネルギーに集中しよう、最近ではそのように思っています。     

ーその他、皆さんにシェアしたいことはありますか

自分自身、愛を見出したもののどのように進めばいいのかと行き詰ってたころ、せんせーをお招きして市役所で開催されている瞑想会に毎月2回参加に参加するようになりました。

今までは瞑想で分からないことがあれば、せんせーに尋ねてただ目の前の現実をクリアにしていくという個人瞑想のスタンスでしたが、定期的に瞑想会に参加する事で、せんせーや他のメンバーの皆さんのやり取りを一緒に聞かせてもらう中で、本当に少しずつ少しずつですが、様々な真理が心の中に落ちていくようになりました。

以前は、スピリチュアル的な知識がゼロに等しい状況からこの瞑想を始めたこともあり、真理を教えていただいても、興味が沸かない、どこか他人事のようなおとぎ話としか受けとっていけてないような状況でした。

私から、せんせーに質問すらしないであろう(思いもつかないであろう)内容の事を、とてもオープンにシェアしていってくださるので、皆さんのエネルギーに助けられ自分のハートからのエネルギーが循環されていく感じです。

また、主催者のえみさんとモヤモヤする出来事の話をするだけで、自分だけの力では、霧が晴れず手放し方が分からなかった自分のエゴがボロボロっと一気に4~5個ほど取れた事もありました。

今までは『自分の内側とどれだけ深く繋がれるだろうか』といった思いが大きかったと思いますが、えみさんと“ただ、話をした”だけの中で起こった出来事だったので、私の中でそれは正直驚きでした!

せんせーに「どうしたら私も人の荷物を軽くすることができますか?」と尋ねると「もっと自分の執着をなくしていくと、できるようになっていくよ」とおっしゃっていただき「あ、そっか!」「執着ね🆗!」とストンとスイッチがオンになった感覚でした。

✨自分がただただ軽くなるだけで「相手のお荷物」さえも軽くしていける✨

それは自分だけでなく、相手の愛さえもより大きな愛へと結びついていける可能性を見つけられたように思えて。その動機は私にとって積極的に自分の中の理想を手放していくというとても明るいエネルギーとなってくれています。
 

 

ー編集部より(とこ)


職場の人間関係に始まり、育児、お母さまとの関係と積極的に瞑想してこられたのですね。おこさんのアトピーに関する瞑想への覚悟には、おこさんへの優しい愛が感じられます。そしておじいさまの自死。私の祖父も終戦後すぐ自死しましたが、戦争の残す想像を絶する闇を感じつくすこと。そこから逃げずに向き合い、悲惨さを感じ、表現されてきたことは、瞑想の素地ともなる必要な体験だったのですね。『悲惨』さのすぐ横にあった『平和』の数々を実感されたのも、すばらしいことだと思います。戦争の闇を丁寧に瞑想していかれたことで、おじいさまの心も晴れたのではと思います。また、美しい花を咲かせた桜の木の下で愛を見出された状況に、そんな優しいA.Tさんを見守る暖かい存在を感じずにはいられません。
現在、月に2回の瞑想会に積極的に参加されて、次々と気づきを得られていくお姿がすてきだと思います。マリさんが引導されたように、これからA.Tさんを頼り、瞑想をしていく方も増えてくることでしょうね。
 

 

右矢印愛を見出した人のインタビューシリーズはこちらラブレター



右矢印家トップページに戻る

 

お問い合わせは

右矢印手紙アメブロメッセージから

 

または

右矢印手紙こちらからもどうぞご連絡下さいクローバー

 

フォローしてね