前回のせんせーの投稿から1年が過ぎようとしています。この間わたしたちの瞑想グループでは、瞑想実践を続けたり、培った瞑想体験をもとに次の人へ働きかけたり、各々に活動に取り組んできました。

今回はこの1,2年の間に愛から生きられるようになった人のインタビューをまとめました。まずはブログメンバーのえみ、マリ、で相互にインタビューをしましたので公開します。

愛から生きる人へのインタビュー<1>
奉仕の道を探して教職からの転職と悟りへの道:えみ


【1】2極瞑想との出会いと社会の仕事からの転換期

マリ:えみちゃんは、いつから瞑想を始められましたか?

えみ:私は、2016年の12月に瞑想に初めてお伺いしましたが、それから1年ほど行かずに2017年の12月ごろ、少し生きづらそうな人と仕事で知り合い、その人に瞑想を紹介するために再びせんせーのもとへお伺いしました。

2016年の末にはじめてお話ししたとき
「愛から生きることは、何の見返りもなく人のためにできることです」と教えていただき

そのようにしようと仕事に取り組んでみるのですが、「無償の奉仕」というのはなかなかできるものではないというのを思い知ったんです。

マリ:その時は何のお仕事をされていたのですか?

えみ:これと言える仕事がありませんでした。それで「仕事がない」ということについて瞑想すると、細々とやっていた仕事が軌道に乗り始めたのです。

具体的には、オンラインでの子どもたちの学習支援、コンテンツ販売、ブログ代行業やビジネスサポートなどです。在宅起業という形ですね。もともと、起業スクールで知り合った人のご縁でせんせーも紹介していただきましたので、まずは瞑想よりも仕事で「無償の奉仕」を実践しようとしました。

先行投資ということばの如く、先立つ奉仕は見返りを求めたものとなり、それを1年ほど続けるとやはり苦しくなって身の振りようが分からなくなりました。そうして、再びせんせーのところに訪れる機会をいただいたときに、自分がいかに浅はかで表面的であったかと、前回来た時と変わらずに(かれこれ20年以上も)人々に無償の奉仕をされている先生の姿を見たときに、自分が恥ずかしくなり、胸がギューッと締め付けられました。私のなかのソウルが本当の自分に出会いたいと教えてくれたのだと思います。



私の転生のテーマは「奉仕」だったんです。

マリ:テーマが「奉仕」素晴らしいですね

えみ:いまから1年くらい前だと思いますが、瞑想をしていると、色々なマスターに囲まれて光の大海に浮かびながら、宇宙の母のもとを離れてくるときのことを思い出していたんです。「光の子よ、人々のために仕え奉りなさい」と。そのメッセージははっきりと覚えています。

『このママにきーめた(のぶみ作)』より


今生では、もともと教員をしていました。教員は全体の奉仕者であるようにと教えられましたが、この仕事が何のためになるかと考え、心を痛めて働けなくなりました。あれは2015年、学校で勤めた最後の年です。今まで普通にやっていた、採点、成績処理、日々の授業などをしようとすると、心が苦しくなり泣けてきて仕事になりません。私は逃げるように退職をしました。

2018年に瞑想に取り組み始めたころに私は、非常勤講師として3か月間、高校で働くことになりました。高校での勤務と同時に瞑想を進めていき、任用期間の3か月を過ぎたとき、愛に進んでいく仕事をしようと決めました。そして初めに取り組んだことがこの「愛から生きる悟りへのブログ」の運営です。

【2】愛から生きることへの模索と悟りに向かう瞑想実践

マリ:自ら愛に進んでいく仕事を選ばれて、愛から生きる方法をどのように見つけていきましたか?

えみ:まずはじめに取り組んだブログの運営についても、楽な仕事ではなかったと思います。もともと、自己開示するような発信は苦手で2018年に始めた当初はやりたくない気持ちがあったのでブログ発信自体が挑戦でした。誰もが瞑想を始めてから、愛を見出すころになると、自分の愛を表現したり周りに瞑想を伝えたりすることにハードルを感じると思いますが、どうか勇気を出してくださいと今なら言えます。

チームブログ運営やインタビュー活動にもたくさんの時間と労力を費やしました。
無償の仕事とわかっていても
・読む人の参考にしてほしい
・多くの人に興味を持ってほしい
・みんなが協力してくれる
など見返りを求めている自分に気づき善行や慈悲喜捨というテーマで瞑想をしました。

一方、愛を大きくすることについては
日常的な瞑想項目に取り組む際に

(例)
①人に冷たくされたら
②優しくしてくれたら
③自分がだれにも冷たくしてはいけないと
④冷たくしてもよかったら
⑤全ての人に優しくしないといけないと
⑥優しくしなくてよかったら

と瞑想をした後で、①にもどって「気にならなくなるか」とチェックするのではなく、「愛せるようになったか」とチェックします。さらに「その人にどんな言葉をかけてあげますか?」と自問しことばにせずに待っているとやさしい気持ちでいる自分に気づくことができ、それが愛の波動だとわかるようになり、その方法を続けていきました。

 



マリ:統合した後に、愛の波動に変えてそれを強くされていったのですね。とても参考になります。

えみ:あとは、先生がおススメされた本
・アミ小さな宇宙人 3巻
・バーソロミュー 4巻
・バシャール 8巻
・心身の神癒(イエスをチャネリングした本)
・せんせーの教え「完全な悟りと解脱のためのチェックリスト解説」

これらを読み、自然に自身の使命のことを思い出していきました。私たちのように覚醒に向かうものは、人から嫌われることを厭っていては仕事をなすことができないとわかり、誰が何と言おうともそれでも光を出していくよう、ハートを強くしていきました。

マリ:誰が何と言おうとやる!という決意と熱意は大切ですよね。せんせーの教え100個のリストについてはどのように活用されたのでしょうか?

えみ:1回目は、解説全文を読み、その中から

1.気になるワードに赤ペンで線を引く(消せるタイプのフリクションペンです^^)
2.ノートに書き写しそのワードをネット検索
3.検索ページからさらに気になるワードを書き写す
4.そのテーマについて、2極の瞑想をする

〇〇だったら?と項目を立てるのですが、やがてだんだんと感情は出なくなり項目に対する答え(神の叡智)がポンと返ってくるようになり、その答えをメモしていくようになっていきました。

サイト検索では、キリスト教、仏教、心理学、ライフ、など、様々なサイトに行きつき、視野を広げる機会にもなりました。そうしていくとエゴの自分(小我、自我)ではなく、大きな水晶にたとえられる魂(大我、真我)なんだと、より自覚していきたいと思いになり「宇宙的な魂」とか「魂の個性」などについて調べたときに何度か行きついた「バラ十字会」サイトが気になり、そこで学びを深めました。

そして2回目はバラ十字会で学んだ方法を応用して瞑想をしました。
1.1つのリストを選ぶ(解説を読まずに自分なりに達成したい動機を明確にします)
2.その動機を良心と愛に照らして分析する
3.私はこの存在にふさわしいか?と吟味し、不十分なところを二極の瞑想で取り組む
4.集中してそのビジョンを視覚化し、その中にいる自分を感じて波動を高める
5.明瞭なものになったら「宇宙が望むのであればそれはなされた」と口にして手放す
6.自分の言葉でリストを表現しなおしてみる

まだこの方法では途中までしかできていないので、次に再開するときに自分がどのように変化しているか楽しみです。その時には完全な悟りを達成するつもりです。

マリ:きちんと完全な悟りまでのビジョンを持たれていて、私もえみちゃんの変化が楽しみです。

【3】アセンデッドマスター イエス・キリストに魅せられて
 

えみ:また、書籍『心身の神癒』マクドナルド・ベイン著と、聖書も併せて読み、その中でのイエスの教えも私の心に深く響きました。聖書を読んでいる私はイエスと一緒に旅をしている感覚です。私はイエスが実践する聖愛と博愛とリーダーシップを敬愛する気持ちが芽生え、そしてイエスがされたように人々を愛する気持ちが根付いていきました。そのころから、愛から生きるという自覚が生まれたように思います。

マリ:イエスの教えの中で特に印象に残った教えなどはありますか?

えみ:一番心に響いたのは、処刑前夜の教えヨハネ16ー17です。それから、山上の垂訓マタイ5-7はとても有名で心に響きます。聖書でのイエスの教えが『心身の神癒』の中でも繰り返されているので、両方を読んだことでイエスを感じることができました。

 



マリ: イエスと一緒に旅をしている感覚について詳しく聞きたいです。そして、イエスの愛の実践をどのように感じてえみちゃん自身の中に根付いていきましたか?

えみ:天にまします父を祈るイエス、聖書の中のひとりひとりを自分事ととらえてひとつになっていく感じです。自分の中にもイエスと同じ性質を見るし、付き従った弟子の視点にも共感できます。裏切り者となったユダ、処刑を執行した役人。町の人、逸話の中に出てくる人物、それぞれに自分を投影し、自分の課題を見つけたり、超越できていない「人の心」の部分を瞑想して味わいました。

はじめは弟子のペテロがとても気になりペテロについて書かれた解説サイトを参考にし瞑想しました。イエスが捕まったとき、ペテロは敬愛する師をおいて逃げていくのですが、イエスが復活した後で「私の子羊を養いなさい」との言葉を託され、使命に導かれていく様子が心に残っています。私もイエスの子羊の一人だと感じました。

そしてマグダラのマリア、一説ではイエスの妻と言われた人です。イエスの死を見守り、死体にミルラの香油を塗って埋葬し、復活の時に最初に対面した人、マリア。その感情があまりに繊細に感じられて『マグダラの書』トム・ケニオン著を合わせて読みました。タントリックな聖愛、神秘的な錬金術を通して、最愛の人に対して、性愛、敬愛、ストレートな感情を表現し、情欲ではなく神聖な愛に育てていくこと。身体の活性化とアセンションボディの目覚めを私なりに体験することができました。

そして処刑。私はたくさんの処刑の瞑想をしてきましたが、イエスの処刑を瞑想した時に、今までのすべての処刑は同じだったと分かりました。どのような処刑であろうとも、その死に至る瞬間に、イエスが言われたように「わが魂をあなたの御手に委ねます」と、きっと誰もがそう言ったでしょう、と悟りました。

『宝瓶宮福音書』リバイ・ドーリング著によるとイエスとヨハネの母はエジプトの神秘学校で「あなた方のお子達は、多くのいばらの道をたどらねばならない。彼らは飢渇の苦しみを知り、故なくしてあなどられ、牢獄に投ぜられ、ムチ打たれるだろう。」と教えたようです。その苦しみを私も味わう覚悟があるのか、ひとりで、この地球に来たとしても同じように真理を広めていけるのかと問い、同じ選択をする覚悟を確かめてきました。

イエスはストレートでカリスマ性がありリーダーとして男性としても魅力的です。神への一途な聖愛、人々への惜しみない博愛と、存在からあふれ出る慈愛を感じ取りました。私のなかにあるキリスト(真我)が共鳴して自覚を強めていく感覚もありました。『アルクトゥルス人から地球人へ』トム・ケニオン著によると、イエスはもともとアルクトゥルス人だったという説もあるようで、情熱と献身と博愛そして使命遂行の志はアルクトゥルス人の気質だったのかなと、どこか私にとって身近な存在に感じられました。イエスに会いたいと瞑想をすれば次元を上昇して気持ちが伝わっていくような意識の拡大と繊細な光を体感します。

近ごろは『プレアデス覚醒への道』(アモラ・クァン・イン著)とともに瞑想を進めていてこの本のなかでのイエス・キリストからの働きかけを楽しんだり、新たなご縁でまたユニークな仲間と巡り合う機会が増えてきました^^


【4】愛から生きる、魂の職業を見つけていくこと

マリ:魂の成長を目指す私たちにとって愛から生きるというのは具体的にどのようなことでしょうか

えみ:友人が愛から生きることを「魂の職業を見つける」という言い方をしていました。魂の職業はオンリーワンだけど、発展途上の私たちなのでやっていけばまた変わっていくとは思いますが。

私は教員をしていたので、それを通して培ったこと

・部活の引率指導 ・授業と教材の工夫 ・図書の整理
・企画や広報 ・進路指導、面接練習、学習支援

書き出すときりがないくらいですが(笑)
その時に培ったことが世俗枠を超えて生きてくるという感じがあります。

初任当初、教育長からいただいた「教育とは水に矢をさすような営みである」の言葉と、せんせーから初日に教えていただいた「愛から生きるとは何の見返りもなく人のためにできることです」という言葉が重なって感じられて、私はあの教育長の言葉を追いかけてきたんだなぁと思い返すことがありました。

社会での職業と照らし合わせて

1.どんな仕事をしてきたか、何を達成したかったのかを見直す
2.世俗的やエゴ的な理由、執着や観念は2極の瞑想項目として超越し
3.エッセンスだけを残しそれを魂の職業として表現する

など、自分を棚卸すると見えてくるものがあると思いますし、培ったものは自然に生かされてくるのだと思います。今は、ひとりでも多くの人に瞑想を知っていただける機会をつくろうと、グループ瞑想を計画したり私もサポートに回ったり、色々な形をとりながら皆さんに働きかけています。

瞑想を通して自分の心を磨き、叡智に基づいて愛と光を表現できる自分でいて、そこから関わる人に自然な形で気づきを生み出していくこと。神を想い、人を想い、やさしい波動がうまれてきて、そういう自分で皆さんに接していくことが、愛から生きることなのかなと今では力の抜けた状態にあって、自然なかたちで神とひとつということが理解できてきました。

アセンションの時代に生まれ、自分がスターシードだと自覚するようになったので、今は迷いや焦りはなく、必要なことは何でも奉仕していくことができると思っています。『アミ小さな宇宙人』のアミ(=友人という意味)のようにして寄り添い、その人その人の魂の表現をサポートしていくこと。愛から生きることが魂の職業選択ならば、その進路選択を手伝うという言い方になるでしょうか。これからの学校もそういう機関になってくるでしょうね^^

「愛から生きる」という言葉はあくまでも象徴的な言い方であって、それぞれの人がそれぞれのテーマをもとにふさわしい表現をしていくものです。例えるならそれは「社会人になりました」という言葉のようなものなのかもしれません。具体的なことは個々に任されています。ひとりひとりが自分の魂のオンリーワンの光を見つけて自由に表現できますようにと願ってやみません。

この瞑想とせんせーとの出会いから、導きを受け愛と光をもたらしていく仕事にご一緒させていただくことで、新時代を築いていくパイオニアでいられることに喜びを感じていますし、より多くの存在とコンタクトでき制限を超えていくことのできる時代の到来をとても楽しみにしています。

 

 

マリ:えみちゃんは職業であった教師から、魂の生き方へといち早くシフトし、ブログを立ち上げ、愛や真理を広める場として書かせてもらう中で、私の中でも愛や真理を確立させる事ができ、貢献して頂きました。
赤ペンで線を引いて瞑想されたり、聖書を用いてはイエスから学んだりと、魂がワクワクとお勉強を楽しむかのようにも感じられますが、実際は様々な見えない努力を積み重ねられて、愛を大きくしたり、向上されたんだなぁと頭が下がる思いに至りました。えみちゃんが、愛から生きるゾーンに入ってしばらくしても、せんせーはその事についての発表をなされなかったので、インタビューという形でお疲れ様を労いたいなぁと思っていましたが、苦手な自己開示をして頂きありがとう໒꒱· ゚えみちゃんのこの体験や経験が光の進路となって、沢山の魂が続いていくことでしょう。

これからも大きな愛と光を表現、体現されていく姿を傍らで拝見しながら、共に向上・発展してゆけることを嬉しく思います。

えみ:こちらこそ、ありがとうございます。あとになりましたが、導師であるせんせーと、奥さんのマリちゃん、また、この瞑想を通じてお知り合いになれた皆さんに、私はいつもこれからも変わらない気持ちで感謝しています。

 

 

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