先月、感情から動いたり、行動するという瞑想項目と向き合って手放してみました。
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感情から行動したくなった時
その感情をよく内観すると
感情を満たすために行動したり
何かに反応して感情が
とっさに動いたりしてました。
感情も表裏一体なので例えばとてつもなく大きな喜びや幸せ・嬉しいのエネルギーの反対には、それに相当するエネルギーが必ず隠されています。
大なり小なり出る感情を
取り除いていきました。
感情の例をあげると私は
このような二極が多かったです。
良かった・幸せ・安心
心地いい・ 嬉しい
嫌だ・苦しい・ツラい
不安・イライラ
感情が動く瞬間を内観すると
感情に浸ることや
感情を動かすことで
何かのメリットがあったり
自分の<存在>や<主張>を
<精神的>にアピール
していた気がします。
そして瞑想始めたての頃何かの拍子に<嫌悪感> を抱いたり、人から抱かれてるなと感じる時がありました。
何かを見たり、誰かに嫌悪感を抱く時、それは自分自身の中にある<未熟な部分と共鳴>しているからなんだそうです。
未熟な部分が沢山あったなぁと、過去の自分に反省しつつ、感情や気持ちを使って自分自身を表現しなくても、もう私は内なる愛で十分に表現してゆけると覚悟できたので、瞑想をすることで真の反省という意味も含めて、感情から動くことを手放してみようという気持ちに至りました。
そして行動を振り返ると私はよく
苦しみや辛いという感情から
無意識に避けたり逃げていました。
だけど……。
我が家の家訓(モットー)が……。
•*¨*•.¸¸苦しんでるツラい人の
痛みと共にいる•*¨*•.¸¸
なのです。産後は特にこれがどうにもこうにもムリムリムリでした。(ムリ多すぎw)
見出した内なる愛をさらにさらに大きくするためには、苦しみ・ツラさ・痛みの3つがカギとなるので、超越することが大切なんですよね。
(美味しいカレーで例えると辛さ・コク・まろやかさが大切なのと同じかなw)
でもこの3つがしんどいからといって、避けてばかりいると、ずっと追いかけてきたり、何度も繰り返してさらに大きくなったりするので、逃げずに共にいることで、それがいつの間にか日常になり、この3つのトンネルを超えた先に三重奏のハーモニーとなって大きな愛になるんですよね໒꒱· ゚
(当時は三重苦でしたw)
感情から動くことを
統合することで
無表情になるのかな?
と思いきや……
作り笑いや愛想笑い
変な相づちがなくなり
むしろ柔らかくふわりとした
自然体での笑顔でいられる
ようになった気がします。
瞑想項目としては
作り笑い
愛想笑い
無表情
の統合もしました。
振り返ると、感情も自分の一部になっていたので、それを乗り越えることは、私にとっては、容易ではなく、苦しくてしんどくてどうしようもなかったけど、超えるとそれ以上に温かくて大きな愛が待っていたので、トンネルを突き抜けてホントに良かった!と思いました。
物理的には、出産をして赤ちゃんを抱っこした時の感覚に似てました。赤ちゃんだと産道を通ってきた時の感覚と似てるのかな!?
さらに削ぎ落として整えては、超えてゆき愛の純度ももっともっと高めてゆけたらと思います。
*:.。. .。.:*・゜゚・* ・*:.。. .。.:*・゜゚・* ・*:.。.
ブログに目を止めてくださり
抱かれた小さな気づきから
やがては大きな愛を
見出していかれますように。
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