【親友の好きなところを手放す瞑想】
えみです。
いつもブログのご愛読、ありがとうございます
先日(緊急事態になる少し前の3月末頃ですね)、学生時代の友人とアスレチック、大型遊具などある公園に遊びに行ってきました♡
お互い、小2になる子どもがいるので子どもたちを遊ばせながら過ごしました。
雨の混じる風の強い寒い日でしたが、子どもたちは一日中外で遊びまわってピンピンしていました。
私も友人も、ボートという過酷な競技をしてきたので、ちょっとやそっとのことではうろたえない精神力があります^^
気の合う友達でした。
あっさりしていて、パワフルで、男性的で、決断力があって、世話焼きで、人のことをいつも考えてくれて、姉後肌で。
私は過去の友達を思い出すと、心が温かくなるような、楽しい気持ち、好きだと思う気持ちがたくさん出てきます。こういう感情も、二極の感情なので、静かにそーっと手放していきます。
好きだと思う人がいるのなら、そうでない人を好きではなかったり苦手と結論付けてしまう場合もあるからです。
好きだと思う性格を書いて
〇あっさり
〇パワフル
〇男性的
〇決断力がある
〇世話好き
〇人のことを考えてくれる
〇姉後肌
そうではない人を仮定して
〇ねちこい
〇弱弱しい
〇女々しい
〇何も決められない
〇世話をしない
〇人のことを考えない
〇甘えんぼう
どちらも瞑想をしながら、大なり小なり自分にも同じところがあるのだと気付くことができます。
そしてそもそも、これは私の目から見て考えたことなのだから私が作り出しているだけで、別の人の目からその人を見れば違ったものを見るでしょう。
私たちはこのように、自分の目を通してしか物事を見ることができないのです。
その事実を知って、それならば内なる神にお尋ねします。
本当のあのひとを教えてください、真実を教えてくださいと。
そうしたら、神は、
自らの愛をもって相手の愛を見なさい。そこに違いはない。
と教えてくれます。
人とのご縁は本当に不思議ですね。
タイミングが合わなかったり、すれ違ったり、ひょっこりとまた出会ったり。
不意に傷つけあうことも含めて、それは成長のために起こったベストタイミングなのだと思うのです(^^)
心の中で大切にしまってきた人たちへの感情を味わい愛でるように、瞑想する時間が慈しみの時間となり、静寂の中にただ在る自分を知ります。
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