梅雨の真っ只中で、蒸し暑いですね~
さて、前回は冠嶽鎮国寺の歩き遍路の1日目・2日目でのお話を書きました。
今回は、3日目・4日目のお話を。
2日目の午前中から降り始めた雨は止まず、
3日目も雨のなか、菅笠とレインコートで歩くことに。
前日の夜にせっかく乾かした地下足袋もすぐに濡れてしまい・・・
というのはありつつ、
朝からヒラメいていたことはあって、
それは、
今日はお寺のやり方でやってみよう!ということでした。
この数ヶ月、更年期のお年頃で、
以前にくらべてあまり体調がよくなかったので、
いろいろと自分の健康に気をつかうことで
2日目までなんとか歩き通せる程度にはできていたのですが、
それではつまらない、と感じました。
せっかくの機会なのだから、
「郷に入っては郷に従え」
いままでの自分のやり方はいったんすべて手放して、
お寺のやり方だけでやってみようと決めました。
お遍路は「同行二人(どうぎょうににん)」
弘法大師空海とともに歩む、となっています。
杖は弘法大師の象徴。
それを持って、
ただひたすら「南無大師遍照金剛(なむたいしこんごうへんじょう)」を唱えながら歩きました。
そうすると、マインドフルネスの歩く瞑想と似ている。
ただし、
講座でやっている宗教性をなるべく排除した瞑想とはちょっと違う感覚もある・・・
「南無大師遍照金剛」の「南無」は「帰依する」という意味とのこと。
「おまかせする」「ゆだねる」といってもよいのかな?
そして、「遍照金剛(へんじょうこんごう)」は弘法大師空海のことを指します。
我を放棄して、受け入れる感じ、ということでは、
ヒプノセラピーセッションのなかで
深い催眠状態に入ったクライアントさんたちが時々言われること:
「大いなるものにゆだねる」
「まかせる」
「あるがままを受け入れる」
「なるようになる」
などに通じるものがあると感じます。
ただ、歩き遍路の場合は、
大いなるものというよりも、より具体的な、弘法大師という存在があるので
ちょっとちがう感覚になるのかな~
おもしろいことに、
3日目は大変、元気でした。
朝8時から歩き始めて、
途中、約22カ所の祠で足をとめて般若心経と真言を唱え、
途中30分程度の昼食をはさみながら
夕方6時ころまで、歩いていました。
1,2日目は帰りのバスの中で眠り込んでいたのに、
3日目は、まだまだあと10カ所くらいは歩けるぞという気持ちでしたし、
からだも元気いっぱいで、
先達さん(案内人のかた)たちと楽しくお喋りしていたところ、
まあ、天の恵み(あるいは、お大師さまのおかげ?)ともいうのでしょうか
バスが海沿いの道にはいると、
雨雲がまだあるなか、
雲の切れ間から、沈みかけた太陽の光が差しこみ、
遠くに浮かんだ島の手前だけがキラキラと・・・
それはもう本当に美しい光景をみることができたのでした。
携帯は無しという設定だったので写真を撮ることはできませんでしたが、
心に残る画像でした。
実をいうと、
4日目、最終日に山の中腹にあるお寺に戻ってきたときも
曇り空が晴れてきて
表参道から本堂のある敷地に足を踏み入れると
うっそうとした緑の木陰の間から光がさしていて
「結願おめでとう!」と声をかけられたかのように感じました。
さらに実をいうと、
結願の日は、夫の60歳の誕生日。還暦でした。
お寺の方たちに、結願とともに、
誕生祝いの歌まで手話つきで歌って祝っていただき
ほんとうにありがたい心持ちになりました。
👆夫がお寺の方に頂いた、アジサイで作られた花冠。
菅笠に載せて写真とってみました~
今日はこれでおしまいです。
あんまり他のことを書く気がしませんので。
ただ、歩いているときに
山のなかから人里にはいったときに
安心感というか親しみというか慈しみというか
これまでのこと、これから先のこと、
みんなでやってきたことを大事に丁寧に生きていきたいなという気持ちが湧き上がる感じはあって、
それを正確に言葉にするのはむずかしいけれど、
これからの人生に、クリニックでの自分のしごとの質に、
影響がでるだろうなあと思いました。
といっても、帰ってからは
いつもの仕事や秋の学会の準備の仕事などが山積・・・
次回かその次くらいには、
秋の学会について詳しくご案内できると思いますが、
そのまえに、まずは、このような体験に導いてくださった方たち、
しばらく携帯をさわらなかったことでご迷惑をかけたのにお許しいただいた方たち、
それから、いっしょに歩いてくれた仲間、
みなさまに感謝です。
私たちのグループの最高齢は75歳の、とても華奢な方でしたよ。
歩き遍路、行ってみませんか?
次は暑さがやわらぐ10月からということでした!
潜在意識にアプローチする心理療法と漢方
よこやまクリニック 宮崎