今日は、月一のかかりつけ医への通院日。
特に検査もなく、血圧測ってぽんぽんして、はい終わり。
ま、薬もらいに行ってるだけなので。
まだインフルエンザも流行しているようで、小学生の子も数人来ていた。
あとは、高齢者と付き添いの人ばかり。
両手に四点杖で、必死になってヨタヨタ歩いているばーばと、手を差し出すことなく見守ってるだけの私。
他人の目には、おそろしく冷たい娘と映っているんだろうなぁ。
「頑張って歩いてみえるね。うちの母は90過ぎたら全く歩こうとしなくなって。」
と、声をかけてきた方がいた。
「少しでも動いて、元気でいて欲しいのに。」
実の母親を介護している娘は、そう思っている人が多いと思う。
車椅子で移動する方が、時間もかからない。
でも、どんなに不恰好でも時間がかかっても、私は、ばーばには、出来るだけ自分の足で歩いて欲しい。
病気や怪我で歩けなくなったら、車椅子を使うのは当たり前。
ばーばや、今日話しかけてくれた方のお母さんのように、高齢になって歩こうという気力が無くなって、車椅子になってしまうことがある。
その状態を受け入れるのは、娘にとってはなかなか難しい。
頑張れば歩けるのに、なぜ頑張ろうとしないの?
最近の私のイライラの原因は、ここにある。
私が促せば、歩いてトイレに行けるのに、自分からは立ち上がろうとせず、ベッドの上でパッドだけ替えようとするから、シーツが濡れる。
かといって、濡れたままのパッドは気持ち悪いと、自分で替えるので、オムツにすることもできない。
そして毎朝、うず高く積み上がった、使用済みリハパンとパッドの山。
尿汚染したパジャマとシーツ。
なぜ、立ち上がってポータブルで用を足さないの?
頑張ってよ。
そう思ってしまう。
そういう私だって、頑張れないことがあるのにね。