日曜日に、じーじの一周忌の法要が無事に済みました。
全く信心も無い私ですが、読経を聞いていると心が洗われるような気がして、気持ちが落ち着きました。
一周忌の法要で、ようやく気持ちの区切りがついたような気がします。
一周忌の法要は自宅で、家族だけで行いました。
横浜の長男夫婦は来れなかったので、ばーばと私、旦那と次男。
考えてみれば、一番じーじとの濃い時間を持った顔触れですね。
在宅介護を始めた時、長男はすでに大学生で家から出ていました。
まだ高校生だった次男は、徘徊して行方がわからなくなったじーじを、私と一緒に汗だくになりながら自転車で探してくれました。
何度も徘徊を繰り返すじーじに、掴みかかったこともある次男ですが、実際に同居して在宅介護してみないと、わからない心境ですよね。
どんなにヤンチャで口が悪くても、いつも側にいてくれて、私の味方になってくれました。
ばーばはボケているようで、しっかりわかっています。
「○○ちゃん(長男)はちっとも来てくれんけど、○○(次男)はいつも来てくれる。」
「遠いとこにおるでいかんだわ。」
子供といっても成人すれば立派な大人。
どこに住んで何をしようが自由だと思いますが、いざ介護や看護が必要になると、近くにいてくれると本当に助かります。
一度もじじばばと同居した期間が無い長男には、介護や同居の大変さって、頭ではわかっていても肌で感じられないんだと思います。
それは仕方ないことですね。
じーじとの濃い時間を過ごした顔触れだけでしたが、無事に一周忌の法要が済みました。
しかし、ばーばと次男、仲がいいのはわかりますが、読経の最中もつつき合ってふざけていました。
全く困った人たちです。
その後、仏前に供えられたおまんじゅうを、両手に杖をつかないと歩けないはずのばーばが、右手に二個、左手に一個、指の間に挟んでダイニングまで持ってきました。
その姿に大笑い。
この食欲がある限り、まだ私の介護は続きそうです。