元介護職員が殺人で逮捕された。
今朝の新聞にも一面で取り上げられ、各ワイドショーでも特集されていた。
殺人の動機は、介護に嫌気がさしたから、だとか。
介護に携わっている人は皆、嫌気がさしていると思う。
殺意だって湧く。
叩いたり、無視したり、暴言だって吐いたりしたくなる。
でも、どんなにストレスを溜めていても、多くの人は「殺人」という一線を越えはしない。
自分が一線を越えてしまったら、大切な人たちが悲しむことになる。
激昂にかられ一線を越えそうになっても、失うものが大きければ大きいほど、ブレーキがかかる。
逮捕された彼には、大切なものはなかったのか?
家族でもない老人を、殺す必要はあったのか?
介護施設での仕事を辞めるだけで、認知症の老人と接することも無くなり、平穏な日常が戻ったはずなのに。
仕事は、選ばなければ介護以外でもあったはず。
私も含め多くの人は、今自分の身近にある世界しか知らない。
他の世界を知ろうともせず、今自分が置かれている世界で、なんとかしようともがき苦しんでいる。
彼はきっと、この手のかかる老人さえいなければ、自分はこの施設で働き続けることができ、収入も得られる、と思ったのだろう。
でも、手のかかる老人は一人だけではない。
次から次へと、問題行動のある老人がやってくる。
だって、そういう施設なんだから仕方がない。
そして、逃げ出すことはいけないことだと思っている。
逃げる、仕事を辞めることをせず、ついに一線を越えてしまった。
介護職に限らず、仕事でストレスを抱え、逃げることをせず、我慢し続け、その結果病気になったり、最悪の場合は自殺をしてしまうこともある。
まだ若い人たちが、人生をダメにしてしまうのを見るのは本当に辛い。
逃げればいい。
嫌だったら、やめちゃえばいい。
無責任かもしれないけど、逃げることだって勇気のいる選択の一つ。
この事件に比べ、政治家は不倫したり多額のお金をもらっても、記者会見開いて謝って、簡単に辞めていく。
不倫する暇があったら、政治家全員介護施設で働いてみればいい。
この事件を犯した彼は、確かに「罪人」だけど、なんか割り切れないものがある。
自分自身にも、「逃げることも勇気のいる選択の一つ」だと、言い聞かせています。