土曜日、久しぶりにプチ家出をした。
きっかけは、旦那の一言。
金曜日の朝、その日は資源ごみの日だったのだが、
朝いつものようにお弁当を作ろうとしたら、
「新聞、縛っとけよ。」
この一言に、ぷっつん。
資源ごみの日だってわかってるなら、
新聞読んでのんびりしている暇があったら、
あなたが新聞くらい縛ってくれればいいんじゃない?
いつの間にか、すべての家事が私一人でやることになっている。
わかっていますよ。
ずっと休みも無く、朝も早くから夜遅くまで働き続けていることは。
仕事が忙しいのも、いろいろトラブル続きで大変なことも知っている。
でも、私だってパートといえど仕事していて、家に居る間は家事と介護に追われ、
夜は疲れて寝るだけ。
お互い、忙しすぎて相手を思いやる気持ちも無くなっていた。
土曜日、この日も旦那は休日出勤。
もうね、なんかすべてが嫌になって、どうでもよくなって。
きちんとしなきゃとか、ちゃんとしなきゃ、
そんな気が全く起きなくて、
とりあえず、ばーばのお昼ご飯を用意してから、
ふらっと車に乗り家を出た。
行先は、じーじのお墓。
高速使えば、ものの30分で着く。
お花を替えて、きれいに墓石を拭いて、お線香をあげた。
不思議と、たったこれだけのことで心が落ち着いていく。
お墓に向かって、話しかけてた。
「じーじ、出てきてほしいな。」
「出てきて、頑張ってるなって言ってよ。」
でも残念ながら、霊感のない私には全くじーじを感じることはできず、
ずっと、玉砂利の中の落ち葉を拾っていた。
アホみたいだが、お墓に2時間くらいいた。
きっと、他のお墓参りに来た人からは、変な人だと思われていただろう。
そのうちに、携帯が鳴った。
旦那からだった。
しばらく、そのまま出ないでいた。
でも何度も何度も着信があるから、電話に出た。
仕事を早めに切り上げて家に帰ったら私がいないので、
心配してかけてきてくれたのだ。
旦那の声を聞いたら、素直に家に帰ろうと思えた。
本当は、お墓じゃなくて、じーじのいる世界に行っちゃいたいなって、
なんか疲れたから、もう楽になりたいなって、
そんなこと考えてた。
亡くなった人のことを想えば想うほど、そちらの世界に惹かれていく。
ばーばもそう。
いつも
「じーじのところに行きたい。じーじに会いたい。」
そう独り言を言っている。
半年が過ぎたけど、やっぱりまだ半年。
90歳だったけど、大往生だって言われるけど、
失った悲しみはそんなに簡単には消えない。
残された者は頑張って生きていかなきゃならないんだけど、
そんなふうに前向きに考えられない時もある。
行ったり来たり。