すべてに勝る触感 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

ばーばが

「じーじがおりません」

と、ノートにしばしば書く理由がわかりました。


ばーばは今まで、私が仕事などで家に居ない間、

ずっとじーじの見守り(見張り)をしてきました。


特に、徘徊がピークだった頃は、じーじがいなくなった時間をメモし、

私の職場や携帯に電話をしてくれていました。


だから、ばーばにとって

「じーじがいない」=「徘徊」=「迷惑がかかる」

ということなんです。


きっと、当時の大変だった日々の記憶が残っているんだと思います。


もうじーじは徘徊することも無く、天国でゆっくりしているというのに。


じーじを探す必要は無いのに。



ずっとずっと、じーじの様子を見守り続けてきたばーば。


いきなり「亡くなりました」と言われても、やっぱり受け入れられないよね。



じーじが亡くなった日は、泣き続ける私を励ましてくれたばーば。


顔は白い布でおおわれていても、いつもと同じように布団に横たわっているじーじの姿は、

ばーばには、普段と変わらなく見えていたのでしょう。


でも次の日、納棺の前にじーじのほっぺに触れたばーば。


その瞬間に、冷たくなったほっぺの感触に、すべてを理解したようでした。


「起きて。起きて。」

「寝とっていかん。」

「起きて、シッコに行くよ。」

「じーじ起きて。キャラメル食べて。」


泣きながら、ずっと同じことを繰り返し言っていました。


「じーじ、冷たくなっちゃった。」


泣き叫びながら、ずっとじーじのほっぺを触り続けていました。



その日以来、ばーばの前では、私は泣くことをやめました。



白内障のかすむ目と聞こえの悪い耳では理解できないことも、

触感、触ることで「じーじの死」を理解したばーば。


今はもう、触ることはできないから、理解できなくても仕方ないね。



今日も寝る前、ベッドに腰掛け、ばーばにしか見えないじーじに向かって、

今日一日デイサービスで頑張ったことや、ご飯がおいしかったことを喋っていました。


はたから見たら独り言。


でも、ばーばにとっては必要なことなんだと思います。



そして、私にも「触感」は残っています。


私の腕の中で息絶えたじーじ。


まだ温かいのに、触っても動かない胸の感触。


脈打たず、だらんとした手首の感触。



明日でちょうど三か月。


まだまだ、最愛の夫と、大好きだった父を亡くした悲しみから、

癒えることができない、私とばーばです。










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