我慢強い | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

自分が肩が痛くなって、思うように動けなくなってみると、

改めてばーばがいかに「我慢強い」かが分かった。


ばーばは、まだじーじと二人で暮らしていた時、病院のトイレで転び、

元々の変形性膝関節症の足の骨にひびが入り、さらに手をついた左手も骨折したことがあった。


それでも、当時ノロウイルスが院内で感染・発症していた病院に入院を拒まれ、

手も足も動かない、まるでだるまさんのような状態で家に帰ってきたばーば。


今と同じ、ちょうど年の瀬を迎えた、寒い冬の時期だった。


既にその当時から、じーじは認知症を発症していたと思われる。


離れて暮らしていた私は全く気付いていなかったのだが、

「じーじを一人で家に置いておくわけにはいかない。」

と、自ら頑なに入院を拒んだばーば。


じーじが「おかしい」と気付いていたのだと思う。


年が明けると、私の長男がセンター試験を迎える予定だった。


「実家に帰って、私が面倒をみようか?」

という私の申し出を断り

「孫の受験の方が大切だから、あんたも帰ってこんでいい。」

と言ったばーば。


そうは言われても、心配な私は急きょ実家に帰った。


実家はゴミ屋敷同然。


ばーばはトイレまで、寒い廊下を這って移動していた。


もちろんご飯の支度などできない。


夜だけは、自治体が提供していた宅配弁当を頼んでいた。


テーブルには、じーじが買ってきたコロッケと菓子パンがいくつも置かれていた。


とにかく、ばーばを入院させよう。


そう思って、近所の整形外科に入院させてもらえるよう頼み込んだ。


ばーばは無事に入院できたのだが、それまでの間骨折の痛みに耐え、

娘にも頼ることをせず、そんな状態にもかかわらず自分で何とかしようとしていた。


自分のことで、娘夫婦の世話になるわけにはいかない。


自分が我慢さえすればいい。


そう思っていたのだろう。


おそらく今も、その思いは消えないんだと思う。


この

「家族であっても迷惑はかけられない」

「自分が我慢さえすればいい」

というばーばの考え方は、そっくりそのまま私に引き継がれてしまっている。


「自分の親の介護なんだから、旦那や息子たちは巻き込みたくない」

「どんなに大変でも、私が一人で全部やるしかない」

そんなふうに考えてしまう私。


家族のみんなそれぞれが、お互いを大切だと思い、守りたいと思っている。


じーじは、娘の私に下の世話になるのはしのびなく、

そういうことは妻であるばーばにやって欲しいと思っている。


ばーばは、自分たち夫婦の介護で、娘の生活が犠牲になっていると思っている。


私は、いままで辛くてもいっぱい我慢してきたじじばばに、

暖かいご飯を作ってあげ、お風呂に入れてあげ、

最期の日が来るまでこの家で過ごして欲しいと思っている。


旦那と息子たちは、介護で疲弊している私を心配してくれている。


それぞれの立場で、考えは異なる。


何が正解なのか、答えはまだわからないけど、

暖かい家族に恵まれていることは、本当に有り難いことだと思う。







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