呼び覚まされた記憶 | ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

ひとりっこの両親在宅介護ブログ(施設入所後)

娘に迷惑をかけまいと、老老・認認介護で限界まで二人暮らしを頑張った両親。でも、遂に限界突破。仕方なく実家に戻ってきて始めた在宅介護。一人っ子のため否応なくやらざる負えない。
平成27年4月じーじは旅立ちました。令和2年1月末、ばーば特養入所しました。

高倉健さんに続き、菅原文太さんも亡くなった。


テレビでは連日、懐かしい映像が多く映し出されている。


「仁義なき戦い」「トラック野郎」で、菅原文太さんがかっこよく

タバコをふかしているシーンが流れていた。


それを、何気なく見ていたじーじ。


まだ食事中だというのに、いきなり

「タバコ買ってくる。」

と言って、席を立とうとした。


もう、私とばーばは顔を見合わせて

「はぁ~?」


外は今年一番の寒さ。


お金も一円も持っていないのに、どうやって買いに行くつもりなのか?


それよりも何よりも、「タバコ」という悪夢が甦ってしまったのか?



じーじは約三年前までタバコを吸っていた。


それはそれはヘビースモーカーで、現役時代は一日に3箱吸っていたこともあった。


昔は、現在ほど、タバコに健康被害があるとは考えられていなかったんだと思う。


ストレス発散のためか、かっこよさを追求したためか、

とにかくずっとタバコを吸っていた。


じじばば二人で住んでいた当時の家は、そこらじゅうに焦げ跡があり、

良く火事にならなかったものだと思う。


実家を建て替えた今の家でも、新築だというのに、

同居している私の旦那はぜんそく持ちなので、タバコが大嫌いだというのに、

じーじはタバコを吸い続けていた。


何度「自分の部屋でだけ吸って」と言っても、言うことを聞かず、

歩きタバコ、くわえタバコをするので、灰が床に落ちてるし、

網戸を焼かれたこともあった。


こうやって思い出してみると、あの時のストレスの方が半端なかった。


タバコの嫌いな旦那と、タバコを吸うことくらいしか好きなことがなかったじーじ。

板挟みになった私。


認知症とはいえ、当時はお金も家の鍵も持っていたので、

自分で勝手に、次々とタバコとライターを買ってきていた。


あの頃は、タバコを麻薬指定してほしいとさえ思っていた。


タバコを吸ったら、逮捕されればいいと思っていた。



そして三年前、元々のCOPDの症状に加え、肺化膿症になって入院したことがきっかけで、

無理やり禁煙させた。


禁断症状もあったので、禁煙させるのも本当に大変だった。


禁煙のために、タバコもお財布も家の鍵も取り上げられたじーじ。


無事禁煙は成功し、じーじの命を永らえさせることはできたけど、

今では、ただご飯を食べ、リハパンの中で排泄し、一日中口をポカンと開け、

何もやることはなく、寝てばかりいる。



ちょっと思うんだよね。


好きなことして、好きなもの食べて、それが身体に悪いことだとしても、

好きなようにして、それで死んでしまってもいいような気がする。


現在は、健診でちょっと数値がオーバーすると、食べ物を制限したりする。


そこまでストイックになって長生きする必要ってあるんだろうか?



禁煙中、

「タバコが吸えないんだったら、死んだ方がいい。」

と言っていたじーじ。


禁断症状が言わせた言葉だとは思うが、

じーじの最期の時には、タバコを吸わせてあげようと思っている。


昔、私が幼い頃、タバコの煙でま~るい輪っかを作ってくれたじーじ。


大好きだったんだよな。







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