本日はばーばの最近の様子をちらり。
持病は糖尿病。最近は血糖コントロールができているので、食べ物の制限はなし。
ひざ変形関節症で、両足とも軟骨がすり減り骨と骨が直に合わさっているが、痛みの訴えはなし。
人工関節にはしていないので、四点杖を二刀流使いし、ようやく自力歩行可。
昔からなじんだ家事(ご飯炊き・皿洗い・洗濯物たたみ)は、まだまだできる。
短期記憶の欠落。何度も何度も同じことを聞く。
腹圧がかかると尿失禁。リハパン+尿取りパッド着用。
最近は特にトイレでズボンをおろし、便器に座ろうとする時、便器の手前に尿がもれちゃう。
そのために、便器の前にペット用のトイレシーツを敷いています。
最近の変化は、時々自作の歌を歌うこと。
私だって、鼻歌交じりに家事をやっているので、別にかまわないのだが、
よく注意して聞いていると、じーじがわけのわからないことを言ったり、
夜眠れなかったりする時に歌っている。
たぶん、いくら短期記憶が劣っているとはいえ、随分ストレスがあるんだと思う。
ストレスの原因は、私とじーじ。
まぁ、毎日のように、娘がじーじを怒鳴り散らしている日々に、ストレスを感じないはずがない。
もともと人に気を使う性格。
私や私の旦那に対しての気遣い、じーじが起こす意味不明の言動への対処。
娘家族に迷惑をかけていると思う感情、でも、そうでなければ生活できない現実。
いっそ、何もわからなくなるほど呆けちゃったほうがいいのかも。
日曜日の昼、「昼ご飯だよ。」と呼びに行くと
「おはよう。」と言いながらダイニングにやってきたばーばに、カチンときて
「今が朝か昼かもわかんないの?しっかりしてよ。」
と言ってしまった。
「ごめんね。自分でもどうしちゃったんだろうと思うほど呆けちゃって。」
と答えたばーば。
不自由な身体・自分の意志ではどうしようもない尿失禁・衰える記憶。
きっと、怖いんだよね。
歳をとるって、怖いことなんだよね。
今までできていたことが、できなくなる。
私だって、いつかはたどる道。
歳をとることは、残酷。
かつて、娘の私がプレッシャーに感じるほど、きれいで裁縫が上手で、
仕事もでき、決して怒らない優しい母。
だから、余計にその衰えを認めたくない。しっかりしていて欲しい。
今だって、リハパン替えたりお風呂に入れたり、身体の世話はしてるけど、
精神的にはまだまだ頼ってしまっている。
ひどいこと言ってごめんなさい。