もともとファッションを仕事にしていました。
服を大量に買い、大量に処分。
この繰り返しに違和感を感じるようになり
たくさん服を持つことを手放し始めます。
そんな時ニューヨークでの生活がスタート。
物価が高い!高すぎて服が買えなくなります。
でも、困りませんでした。服はそんなに必要ない。
むしろないほうが自分の輪郭が見えてきました。
わたしのミニマルライフはこんな経緯で始まります。
必要以上の服やモノがなくなって見えてきたこと、
できるようになったことを書いていきます。
手放し予備軍から
復活させたばかりのカーキパンツを
手放すことにしました。
詳しくはこちらのブログ↓
このパンツを買った経緯を
振り返ってみようと思います。
カーキのカーゴパンツといえば、の
ブランドで有名なショップで
買いました。
はかなかったわけじゃないです。
わたしなりにはいていました。
でも、残念ながら
あまり残っていないんです、
自分の中に
今思えば、、、
「カーキのカーゴパンツで有名な〜」
が欲しかっただけのように思います。
このパンツをこんなトップスに合わせて
こんなふうに着たい、がなかった。
「○○のカーゴパンツ」をただ、
買ってしまったんだと思います。
コーデ案が全くなかったわけでは
ありません。
でも、それは強いものではなかったです。
なんとなく、こんな感じで着るか〜♡
ぐらいでした。
「合わせてこんなふうにしたい」
の意思がない1枚の服は
どんなに流行っていようが、
人気で品薄だろうが、
良い結果をもたらさず。。
コーデが自分の中に残らない
結果的に買ってよかった!のきっかけに
望みを託す、運頼りだけとなる。
コーディネートは
買った後ではなく、買う前に
これぞわたしのコーディネート
が、思い描けているべきであると
思い知りました。
今思えば、、、
服が多かったころのわたしは、
「欲しい」と「着る」の分別がついて
いなかったです。
カーキのカーゴパンツ。。。
このパンツに罪はありません。
またまた悪いのはわたし
欲望だけで買った服には
未来がなかった、というお話でした
参考にしていただければ
幸いです。
最後までお読みくださり
ありがとうございました。