歩兵25連隊の運動場ゎ連隊敷地の北にあり
現在は札幌月寒高校のグランドになっています。
こんなところに…!
明治29年(1896年)月寒に独立歩兵大隊が置かれた。
後に歩兵25連隊に改編されました。
同連隊は、現在の月寒東またがる広大な敷地を持っていました。
実際、歩いてみて驚きでした!
この松は兵営の正門前に植えられた2本の松の1本で
多くの兵士が出征するのを見送った松です 。(´;ω;`)ウゥゥ
空が暗くなってきたせいか、少し悲しい気持ちになりました。
旧陸軍「北部軍司令部司令官邸」(つきさっぷ資料館)
辺りの膨大な敷地にゎ
現在、月寒中学校があり
その裏手ゎ現在、官舎になっている・・・が
この一帯が北部軍管区司令部防空作戦室跡である。
北部軍司令部の防空作戦室は昭和18(1943)年に落成しました。
当初は北海道・樺太・千島・東北4県の航空情報を収集し
命令・指揮を発した軍の中枢機関です。
地下1階地上2階、1トン爆弾に耐える厚み1メートルを超える壁や
地下1階地上2階、1トン爆弾に耐える厚み1メートルを超える壁や
全体が二重構造の耐弾式構造が特徴で
同様の施設は全国に7カ所ありました。
管轄地区の防空監視廠(かんししょう)から「敵機情報」などが入ると
大地図盤に赤ランプが点滅します。
その飛行機の航跡を判断して、高射砲に迎撃命令を出しました。
また、警戒警報や空襲警報もこの地下作戦室からNHKのラジオを
通じて発令されました。
2階には固定通信隊という無線隊も常駐し、遠くは中国の関東軍まで
連絡していました。
この防空作戦室と北部軍司令部には、司令官や参謀などの軍人の他に
この防空作戦室と北部軍司令部には、司令官や参謀などの軍人の他に
女学校を卒業した女子通信隊250人など、合わせて3000人が働いていました。
戦後は自衛隊の通信所として使われていましたが
平成20(2008)年に解体され、跡地には案内板が建てられました。
残念…見たかったです。
当時の建物(お借りしてきました)
次回ゎ「北海道陸軍兵器補給廠」跡です。