【今世理不尽な目にたくさん遭う人へ】 | 繋ぐ命、育む愛。魂意識革命®︎

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愛と育みと安らぎの居場所の専門家/家族、家系、遺伝的体質、遺伝的運勢、意識と現実化の最高峰メソッド魂意識革命®︎創始者/魂意識革命協会代表/人権力子育て®︎/Polaris Core®︎スキンケア創設者

よくエセスピリチュアルでは、
「過去世で自分がしてきたから今世やり返されているんだ」という情報操作をしていたりしますが、
 
あまりにも理不尽な目にたくさん遭う人の場合は
そう考えてどうにか心に折り合いをつけるしか
生きる術がないから、
 
そう考えて
納得しようとしたりする人がいます。
 
人間って「わからないこと」が
ものすごく恐怖なんですよ。
 
それは皆さんもわかりますよね。
 
それが、実害がないわからない事なら
無視すればいいけれど、
 
実害がある事ならば、
無視するよりなによりも
本当に「ふりかかってくるから」
避けようがないんですよ。
 
私も本当に、
自分が何をしてもしなくても
害の方からやってくるので、
 
本当にそれが大変だった。
たまたま本気でまぐれて生かされているとしか
思えない人生だった。
 
でも、
私は子供の頃から過去世を思い出す事が
できる能力があったから、
「今世の体験の害」が
 
過去世からすでに伏線として存在していたものだと
整合性を取る事ができていて、
だから、スピリチュアル業界で言うカルマの概念とかも、
 
‟辻褄が合わない”ことは
全部偽物だと判断できたんです。
 
今世、意味不明なまでに
害が降りかかってっくる人の場合は、
 
過去の時代において、
聖職についていた方がとても多いし、
過去の時代において、
人を守る仕事、人助けの仕事を
してきた方がとても多いのです。
 
だから今世も、
最初から自分が矢面に立つ事が多かったり、
なぜか頼られる側だったり、
誰かを守ろうとしてきたり
「習性として」それがあったはず。
 
これを魂意識革命®の
旧作では、
 
職業カルマと名付けていて
その役割のコードを清算する事で
もう引き合わなくなる事が可能だったから
 
人間関係等もかなりスッキリと
清算できるようになっていました。
 
がしかし。
 
本当は、
 
過去の時代において
誰かを導き助ける仕事がある事そのものに対して
疑問を持たないといけなかったんですね。
 
本来の人間というのは、
自分が楽しい事したい事、好きなことをする。
 
これを探求して極めると
楽しんでいる過程で得た事が
誰かにとって欲しい情報になり
 
それを「経済」にして
それぞれが、それぞれであるだけで、
互いに喜び、循環し、喜びが増え、
 
完全に調和する現実を
創る事ができるものなんです。
 
※だからお金は絶対に悪じゃなくて、
パーソナルスペースを守った上で
「他人の能力」を借りる事ができる
素晴らしいツールで、これがないと逆に
奪い合いが生まれるんですよ。
 
しかし
ある時から「人助け」という概念が生まれた。
 
「概念」と言っていますが、
ここ最近ずっと書いているように
これは「概念」という名目であって
 
「人助けの存在」が
人間界に介入し始めた。
 
他人を助けることが良い事
他人を思いやることが良い事
出来る人ができない人を助けることが良い事
 
これですね。
 
めちゃくちゃ道徳的で
善良風に見える。
 
そして人間はもともと
御霊があるから、
「そうなんだ、そうするとより幸せな人が増やせるんだね!」と
 
良心、愛、育みの本能、信仰心。
 
こういったものを
まんまと扇動されて、
 
「他人のために心を配る人生」を
スタートしたんです。
 
心配りをしていて気持ちがいい人もいるけど
それって、最初だけで
ずっとやっていると
そういう職業の人に限って
鬱になる人が多いの、わかりますか?
 
人は人を喜ばせる事がもともと好きだし、
特に日本人でいれば「感じがいい」のが
デフォルトだったりするように
 
最初からそういう精神性を
持っている魂なんです。
 
というよりも
御霊の本質が
幸せな好奇心の躍動で
愛と光だから、
 
子どもの時って純粋無邪気じゃないですか。
あれが御霊の躍動そのものの時の話ですね。
 
だから、
人助けをしようと
教育で教えられたなら、
 
そうだね、そのほうがいいよね!ってなるのは
当然の事なんです。
 
だから私たちも
困っている人がいたら助けましょうと
たくさん教えられてきた。
 
しかし、本当は
人間界には「協力関係」しか
存在していないんですね。
 
「出来る人ができない人を助ける」
というのは、ただの「犠牲」で、
 
できる人は
できるんだからどんどん先に進む。
 
できない人は
できるようになるための創意工夫をする
 
その過程で、自分だけだと
どうにもならない事もあるから、
 
それぞれの能力で
「協力関係」を築けるシステムとして、
「お金で買う」という事が可能になるんです。
 
これだけなんです。
 
人間界にあるのは「協力関係」のみ。
 
私は美容業界にずっといたし、
それより以前は4歳から人間の事を探求しているから、
もう本当に歴でいうと
とてつもなく長いのですけど、
 
とくに
無形のものを売っている人のところに
魔族が集中して集まっているし
私もそういうのの餌食になっていた期間が
少なからずあるのでわかるのですが、
 
助てよ~
わかってよ~
こうしてよ~
ああしてよ~
生立ちがこうだよ~
 
と言っている人はほぼ全部
魔族なんですね。
 
似たような体験をしていても
人間の場合ってまず本能として
「自分で自分の登山をしようとしている」という
大前提があるから、
 
だから
「助かりたいんです!助かりにきました!
自分を絶対に幸せにします!だから買わせてください」
 
っていう人以外は
全部魔族です。
 
何がいいたいのかというと
 
困っている人がいたら助けましょう
心配りをしてあげましょう
 
という時に
この先にいるのは全員魔族ですよ。
 
私たちは、
こういう御霊と魂の
 
愛と育みと
良心の感覚を
 
歴史的に利用され、扇動されてきていて、
だから過去世の時代には、
 
他人の泣き言とか懺悔を聞きまくって
解決してあげたり受け止めてあげたりして
相手の心を癒す、満たす、愛する、アドバイスを授ける
等の事をしてきて、
 
そして、
 
今世、そのカルマを持っているせいで
寄ってくるのが魔族ですから
 
ガンガン害されて
奪われて、浸食されて、理不尽に攻撃されて
 
受け容れろよ!
愛せよ!
わかれよ!
セラピストなんだからいい事を言えよ!
どんな人間でも愛するはずだろ?!
人を癒す仕事なんだよな
いい言葉を言え!
気持ちよくしろ!!
 
っていう存在が
集まってくるんですよ。
 
これを「職業」にしている人なら
まだマシなんだけど、
※一応金銭の授受で関わっているという点では
まだ守られる。
 
ただ、
こういうカルマのコードが
自分から出ていると知らずに
 
そのままふらふらと歩いていたら
(というより普通にしているだけで)
 
性加害に遭う、とか、
変な人にしか好かれない、とか、
 
こうい被害に遭うんですよ。
 
容姿レベル、身長、体重、雰囲気
これが似たような人の女性の写真を並べた時に
 
「自分ならどの人を狙うか」という
犯罪者の心理実験の話があるのですが、
 
別々の部屋で選んだのに
満場一致で同じ人を選んだという結果が出た事があります。
 
5枚くらい写真があって
全員美女なのに、同じ人って、
おかしいと思いませんか?
 
これが「魂の匂い」なんですよ。
 
目、鼻、口、皮膚、髪、
骨格、人間、、、
 
という見た目やパーツは同じで、
全員肉を纏っているのですが、
 
人間の体内から漏れ出ている
魂の匂いを、
 
「害する存在は嗅ぎ分けている」んですね。
 
じゃあ
害せそうな人ってどんな人か?というと
 
実際の性格はそこまで関係ないんです。
 
「魂に、他人を受け入れてきた痕跡があるか」
「御霊に、心配りをしてきた痕跡があるか」です。
 
これら、
本当は、両方とも絶対禁忌なんです。
 
どれくらい禁忌かというと
「あなたを幸せにしたいから私の命をあげますね」と
言っているくらいの禁忌です。
 
命をくれるっていってるんだから、
そりゃあ性加害くらいしますよね。
 
そういうニオイがしているのは
オーラでも身体でもなく魂なんです。
 
皮膚の奥ですね。
 
皮膚の奥に入りたい場合に、
それを行動に起こすと
 
結果的に
性加害になってしまうという事です。
 
加えて私たちは、
魂の歴史的に
人間が人間を殺し合う凄惨な時代を
経由してきたので、
 
人が人を害し合うなんてダメだよね。という
教訓を魂が知っている。
 
そこに付け込んで入ってきたのが
「やられたからといってやり返してはいけない」
「怒りを持ってはいけない」
「人を嫌ったり攻撃したらいけない」
という
 
概念の顔をした魔族です。
 
その概念が脳の中に入りこんで久しい私たちですが
そうすると
 
「害する存在に優しいでくの坊」として
完成するんですね。
 
これが洗脳なのですが、
これはもう、
DNAに組み込まれるくらいすでに
浸透してきてしまっている魔族の概念です。
 
話しは戻りますが
思い出してくださいね。
 
私たち人間は、
 
「そんなことを教えられるまでもなく、
最初から人を傷つけると自分が傷付くという
良心の感覚を持っていて、最初から人と育み、共存共栄をして行けるレベルの魂ですよ」
 
その人達を扇動するために
「人を助けましょう」
「人を愛しましょう」
「人に親切に、、」
「できる人ができない人を、、」
 
といって洗脳すると、
 
自分の人生、生まれてきたプランを
堂々と放棄して
 
他人のために生きるようになりますね。
 
「そこがねらい目」という事です。
 
魔族には魂はあっても
御霊を持っていません。
 
だから人が持っているキラキラが欲しいんですね。
それを簡単に奪う手段が
 
まず、
「助けて~」といって助けを求めて
そして「優しくしてもらう」「親切にしてもらう」
「慰めてもらう」等、心を配ってもらう事です。
 
そうやって配られた心を取り込んで
どんどん「好意」のようにして「ファン」のようにして
近付いていきます。
 
すると今度は
仲間、みたいな顔をして
協力しますよ、と言い始めます。
 
でも、狙いはそこじゃないので、
あくまでも心が欲しいので、
 
そのためにぺタリとくっついて
まるで自分の右腕、左腕のようにして
存在したりします。
 
そして、
頃合いを見て裏切ります。
 
すると
信頼関係を築いていたと思っていた人は、
深く傷つきますね。そして絶望したりするんですよね。
 
そうすると
人間にできるのは疑いと不信とトラウマ。
 
相手が砂をかけて去っていった時に奪ったのが
自分の御霊のパーツという事です。
 
そして
御霊のパーツを奪った存在は
以前よりも見た目も声もキレイになり
そして狡猾さが増します。
 
そしてますます人間と同じ見た目なのをいい事に
御霊を持っている善良な人を害する、、
 
というサイクルが出来上がるんですよ。
 
「うまいことやられてる」
という事です。
 
うすうす気づいていましたよね。
 
同じ学年で同じように道徳教育を受けたとしても、
道徳を採用するのは最初から善良な人だけで、
 
害するものは何を教えようと
道徳など関係なく害する。
 
どうしてあの人はそんなことができるんだろう、
心がないとしか思えない、、
 
という経験がありますが、
 
はい、正解です。
 
御霊を持っていない存在がいます。
御霊と魂は違います。
 
御霊が「光」で、
魂は「経験値」です。※ザックリと言うとです。
 
人間が持っている本能は
「自分で自分の課題を超える」です。
魔族が持っている本能は
「より多く人間から奪う」です。
 
だから本当の意味でこの世が調和するために
次元を分けないとダメなんです。
 
二極化は、悲しい事じゃなくて
いよいよ世界の均衡が取れる時代だよ。
と言う事です。
 
これまで見た目と言葉さえ
人間と似せて、同情心を煽れば
人間を容易くだまし続ける事ができ
 
人間は多くの者を扇動され、
心と自我を失って生きる事になった。
 
でも今は
奪われたパーツを取り戻し
同じ見た目だろうが、なんだろうが
 
見える力があろうがなかろうが
ニオイと気配で
魔族を見分ける事ができるところまで
すでにみんなの魂が成長しています。
 
だから私もこれを
安心して語れるようになった。
 
世の中には助けを求めている人がいます。
でもそういう人はまず「自分でもどうにかしようとしている人」
だかね。
 
人間には「協力関係」しかないんです。
 
受け容れる
心を砕く
心を配る
お金を配る
 
これは絶対にダメな事ですよ。
 
あなただけでなく
この習性は遺伝子プログラムに成る。
 
だから
 
受け容れる人には←性加害
心を砕く人には←暴言暴力、裏切り傷つける
心を配る人には←依存からの寄生搾取で砂をかけて去る
お金を配る人は←命を狙われるか性加害
 
こういう層と
結びついてしまうんです。
 
ちなみに、
お金は最も大切なものです。
 
お金がなぜ命なのかというと
お金って、自分の命、時間、知恵、労力、経験値、試行錯誤、
全部がかかっていますよね?
 
自分の命と時間をかけて
育んで人を喜ばせた結果生まれるのがお金。
 
「命そのもの」と
何が違うのか?という事です。
 
エネルギー的に同じなんですよ。
「お金は子供」みたいなもの。
 
育んで育んで育んで、そして生み出したもの。
 
これを配る=善行ではなくて
狙われるんですよ。
 
それは、有形無形の存在に限らずです。
 
だから慈善家ほど
大切な人を失う悲しい人生だったりするのがそれ。
 
悲しい人生だから余計に他人に
心も時間もお金もくばって救おうとするのだけど
本当は逆。
 
あなたが「何もかもあげます」と
譲渡するカルマを持っているから、
 
だからいつでも
有形無形の存在から
命を狙われていて、
 
お金を配る度に
大切な人を失うのです。
人を助ける旅に、
大切な人を失うのです。
 
ウソだと思うのなら
あなたが気になる人を調べてみて。。
 
カルマが必ず先なんだよ。
そして、私たちは「愛と育みと良心」を
ことごとく利用されてきた。
 
だから善良な人が馬鹿を見る世の中だったんです。
 
もともと愛の存在が
さらに愛を配る事をしなくて良い。
 
人間がする事は
楽しいと思う事を極めて楽しく発表してお金に変えるだけ。
 
そうすると他人が買いに来てちゃんと喜んで
日常にかえっていくから
害されようがないんです。
 
「協力関係」が築けない人を
助けようとすると奪われるよ。
 
あなたのバリアが弱い場合は
あなたが何かを失い、
 
あなたのバリアが強い場合は
あなたの周りの人から失っていく。
 
今世、意味不明に害されてきた人は、
過去世から人助けをしてきた事が
今世の課題として来ていて、
同じような存在から今も害されているだけ。
 
それを清算するには、
あなたの家系、あなたの魂が
どんな歴史の中でどんな部外者の魔族を
概念として脳裏に寄生させてきたのか。
 
そこを暴いて
自分の中から始末するだけです。
 
相手を変えようとしてもとてつもなく
消耗して終わるでしょう。
 
しかし、害の存在は、
自分の中にいるので、
 
その存在を始末すれば、
そもそもあなたは害の世界とは無縁の
御霊を持っている人間の魂ですから、
 
安心安全な世界が当たり前に
謳歌できるようになります。
 
道徳を採用した
自分が悪いんじゃないよ。
 
ウソで扇動して
御霊を差し出すように仕掛けた存在が
歴史的にたくさんいた、というだけです。
 
争いの世の前には
必ず信仰が介入しています。
賢くなりましょう。
 
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